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歴史的な空間でキーファーの壮大な世界観に浸る 『アンゼルム・キーファー:ソラリス』

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2025年5月10日

歴史的な空間でキーファーの壮大な世界観に浸る 『アンゼルム・キーファー:ソラリス』


歴史的な空間でキーファーの壮大な世界観に浸る 『アンゼルム・キーファー:ソラリス』

 

タイトル画像:会場風景より、《ラー》

 

 

2025年3月31日(月)~6月22日(日)の期間、世界遺産である京都の元離宮二条城で『アンゼルム・キーファー:ソラリス』が開催されています。

 

アンゼルム・キーファー(1945〜)は戦後ドイツを代表する現代アーティスト。デュッセルドルフ芸術アカデミーでヨーゼフ・ボイスに師事、ナチ式の敬礼を行う自分自身の姿を撮影した「占領」シリーズなどでドイツの歴史の記憶を揺さぶり、第39回ヴェネチア・ビエンナーレで個展を開催して高い評価を得ました。

 

本展はキーファーの大作が一堂に会するアジア最大規模の個展。記憶や神話、哲学や宗教といった普遍的なテーマを扱い、人間性や歴史に問いを投げかけるような33点の絵画・彫刻が二条城の二の丸御殿台所・御清所と庭園で展示されます。

 

神話や歴史が絡み合う壮大な世界

本展『アンゼルム・キーファー:ソラリス』の副題である「ソラリス(solaris)」はラテン語に由来し、太陽に関係するものを意味します。

 

会場に入ってすぐ目に入るのは、約9mもの巨大な彫刻《ラー》。鳥が翼を広げているように見えますが、よく見ると絵具のパレットに翼が生え、土台には知恵や不滅の象徴である蛇が絡みついています。

 

「ラー」はエジプト神話の太陽神であり、パレットはキーファー作品にしばしば現れる、画家としての創造性を示すモチーフです。《ラー》の素材はキーファーが「人類の歴史の重みを支えるのに十分な重量を持つ唯一の素材である」とする鉛。本展の始まりにふさわしい堂々たる像です。

 

《ラー》を見上げたところ

《ラー》の土台には蛇が

 

建物に足を踏み入れると、本展のための新作《オクタビオ・パスのために》が。オクタビオ・パスはキーファーが愛好するメキシコの詩人で、ノーベル文学賞を受賞しています。幅約10mの絵の中には、焦土と化した大地の中で苦悶の叫びをあげている女性の顔らしきものが見えます。

 

本作はキーファーがゴッホの絵画『Landschaft mit gepflügten Feldern』(耕作地の風景)からインスピレーションを受けたとされ、該当のゴッホの絵は「原爆の父」とされるロバート・オッペンハイマーが一時所有していたとのこと。人類の惨禍を重層的に示す作品です。

 

会場風景より、《オクタビオ・パスのために》

 

ローマ神話の暁の女神である《オーロラ》をタイトルとする絵においては、焼け焦げて骨組みだけ残っている建物が目に入ります。描かれているのは原爆投下後の千田国民学校(現・広島市立千田小学校)で、手前にあるのは乳母車。キーファーは、セルゲイ・エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』において、乳母車が階段を落ちるシーンが最も残虐なイメージとして頭にこびりついているとしており、乳母車は映画に由来するものと思われます。

 

会場風景より、《オーロラ》

 

自然光の中で金の輝きを体感

展覧会場は静かな外光が暗い床や壁を照らし出す空間で、本展ではほとんどの作品を自然光のみで観賞する形になります。

 

キーファーが12年程前から使っている金箔は、画材の緑青と相まって作品に硬質な輝きをもたらします。金箔は日本の美術品、とりわけ二条城にも障壁画がある狩野派の作品で効果的に使われており、西洋絵画においてゴッホや印象派などジャポニズムを取り入れたアーティストを刺激してきました。本展ではジャポニズムがキーファーに与えた影響を、二条城の繊細な陰影の中で確認することができる貴重な機会といえるでしょう。

 

会場風景より、光の加減によって作品の表情が変わるよう。こちらは《ライン川》

 

会場風景より、ガラスケースの中の作品も。こちらは《月のきるかさの雫や落つらん》

 

本展ではキーファーが2012年に発表したインスタレーション《モーゲンソー計画》を鑑賞することができます。モーゲンソー計画とは第二次世界大戦においてアメリカ合衆国の財務長官ヘンリー・モーゲンソーによって立案されたものの実現はしなかった計画で、ドイツの重工業を全て破壊して農業国にするという内容でした。

 

会場風景より、《モーゲンソー計画》

 

《モーゲンソー計画》がある空間は小麦で覆われており、豊穣や実りを連想させますが、よく見ると麦には黒ずみや灰色に枯れた部分も。

 

キーファーの作品には、輝く金色と無彩色の黒や灰のイメージがしばしば見受けられますが、それはキーファーが愛読するパウル・ツェランの詩『死のフーガ』に登場する二人の女性、金色の髪(麦)のマルガレーテと灰色の髪(焦げた麦)のズラミートがインスピレーションの源であるとも解釈されています。なおマルガレーテはドイツ人を、ズラミートはユダヤ人を示し、ズラミートの髪が灰色なのは凄惨な経験を示していると思われます。

 

《モーゲンソー計画》の金色と無彩色は、二条城の静謐な光と影の中で退廃の美を宿しているようでした。

 

会場風景より、《モーゲンソー計画》の麦(部分)

 

歴史的な空間で、キーファーの象徴性に身を委ねる

本展は、二条城の歴史や雰囲気も展示の重要な要素です。

 

会場の入口や窓から見える八体の彫刻は《古代の女性たち》。モチーフはラーの娘で真実と正義の象徴とされる《マアト=アニ》や古代ギリシアの詩人である《サッフォー》らで、顔がないのは歴史の中で女性らが権利や実績を剥奪され、排除されてきたことを示すのでしょうか。二条城の砂の上で純白や灰色のロングドレスで立つ彼女たちは、痛ましくも超然とした美しさを漂わせます。

 

会場風景より

 

会場風景より

 

絵画《アンゼルム、ここにありき》の中央で立つ人物は、タイトルよりキーファー本人ということになります。着用しているのは初期作品「占領」シリーズを想起させる軍服です。会場の柔らかい自然光の中、こちらに背を向けてライン川を眺めるその姿は、ドイツのロマン主義絵画に登場する孤高の人物の姿を取り、留まることのない川を見つめながら歴史の流れの浄化を試みているようにも思えます。

 

会場風景より、《アンゼルム、ここにありき》

 

展示を振り返ると、二条城という歴史的空間でキーファーの壮大な世界観に浸りながら、無数の隠喩の中で思索を巡らすのは得難い経験でした。まさにこの場所でしか成立しえない展覧会であり、巡回の予定はないそうですので、是非この機会をお見逃しなく。

 

 

文・写真=中野昭子

 

 

【展示会概要】

アンゼルム・キーファー:ソラリス

会期|2025年3月31日(月)〜2025年6月22日(日)

会場|元離宮 二条城 二の丸御殿台所・御清所

住所|〒604-8301 京都府京都市中京区二条城町541

開館時間|9:00 〜 16:30

会期中無休

料金|一般 2200円、京都市民割・大学生 1500円、高校生 1000円、中学生以下 無料

https://kieferinkyoto.com/