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独自の道を生きた彫刻家「ブランクーシ 本質を象る」

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2024年4月27日

独自の道を生きた彫刻家「ブランクーシ 本質を象る」


独自の道を生きた彫刻家「ブランクーシ 本質を象る」

 

20世紀の彫刻界を代表するコンスタンティン・ブランクーシを網羅的に紹介する、日本の美術館では初の展覧会「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」が、東京・京橋のアーティゾン美術館で2024年7月7日まで開催されている。

ブランクーシの作品は、アフリカ彫刻のような野性的な造形と洗練されたフォルムが特徴で、同時代および後続の芸術家に多大な影響を与えてきた。本展では、ブランクーシの初期のアカデミックな作品から、彼の代表作である抽象作品《鳥》に至るまで、23点の彫刻作品を中心に、絵画や写真など異なるメディアを通じて制作された作品89点の作品を通して、ブランクーシの多面的な創作活動を紹介。

また、パリ時代に交流のあったアーティスト、モディリアーニやデュシャン、そして弟子イサム・ノグチの作品も同時に展示され、ブランクーシと同時代の人々との関係性も知ることのできる内容となっている。

 

ここからは、本展のキーワードに沿って、コンスタンティン・ブランクーシについて紹介していく。なお、本展では作品に感覚を向けてほしいという美術館側の意向から、作品周辺に説明文がないことも特徴的と言える。

 

 

形成期

展示風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《プライド》(1905、光ミュージアム蔵) 

 

ルーマニアのホビツァで生まれのブランクーシはブカレスト国立美術学校で彫刻の基礎を学んだ後、ブランクーシは1904年に芸術の中心地パリへ渡仏。そこで彼は、アカデミスムの流れを汲む彫刻家アントナン・メルシエに師事し、アカデミックな技術と表現を深めた。この時期に制作された作品《プライド》は、モデルの顔の精密な描写にアカデミックな様式が色濃く反映されている。

一方で、メルシエの指導から離れた1907年に制作された《苦しみ》では、モデルの少年の痛みが首を捻るポーズで表現されているものの、表情のディテールは抑えられ、表面の滑らかな仕上げに注力されている。これはブランクーシの関心が、単なる外見の再現から、彫刻の表面処理と全体のフォルムへと、短期間のうちに移行していたことを物語っている。

また、《苦しみ》に見られる表現スタイルは、1906年から作品を展示し始めた国民美術協会のサロンやサロン・ドートンヌでオーギュスト・ロダンから高評価を受けている。

 

 

直彫り

展示風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《接吻》(1907-10、石橋財団アーティゾン美術館蔵) 

 

1907年の春、コンスタンティン・ブランクーシはオーギュスト・ロダンの工房で助手として短期間働いたが、「大樹のもとでは何も育たない」という言葉を残し、その職を辞している。当時彫刻界に絶大な影響力を持っていたロダンから離れ、自身の創作活動における自由を確保したブランクーシは、この時期から石や木を直接彫る、いわゆる「直彫り」の技法を採用し始めている。

その代表作の一つ《接吻》は、この新たなアプローチを取り入れた初期の作品で、本展出品作品は石の直彫りをもとに石膏で制作されたものだ。ルーマニアで家具職人の修業を積んだ経験が、この技術の基盤を形成している。

当時のパリでは、ロダンが確立した彫造の分業制や粘土を使用した彫刻方法に対する反発が見られ、ブランクーシもこの流れを受けて独自の彫刻表現を模索した一人だ。素材の固有の特性に基づき形を創出する直彫りの手法を通して、ブランクーシは彫刻における新しい道を切り開き、後の彫刻家たちにも大きな影響を与えている。

 

 

フォルム

展示風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《眠れるミューズ》(1910-11頃、大阪中之島美術館蔵) ※展示期間は5月12日まで

 

1907年に直彫りの技法を取り入れたブランクーシは、彫刻のモチーフにも革新をもたらしている。その象徴が、胴体から独立した頭部の創作だ。《眠る幼児》はその先駆けであり、ブランクーシはここで、重力の束縛から解放された横たわる頭部像を創出し、伝統的な台座を廃した彫刻がその純粋な形態で空間に立ち現れている。

 

展示風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《眠れるミューズ II》(1923、鋳造は2010、個人蔵)

 

このスタイルは《眠れるミューズ》にも継承され、顔の細かい特徴が僅かに残されていながら、全体の形状はより卵形に近づく。この形態の変化には、プリミティブなアフリカの仮面や彫刻、ブランクーシが興味を持ったとされるインドや東アジアの仏像との類似性が見て取れる。しかしながら、ブランクーシの造形における探求は、単なる外形の模倣に留まらず、より根源的な形態への到達を目指していた。彼にとって、思考や夢想を内包する頭部や卵形は、生命の起源や誕生といった概念に深く関連し、全ての存在の原型、本質的な形態を象徴している。また、不明瞭な輪郭やブロンズの鏡面仕上げによる周囲の映り込みにより、鑑賞者の“見る”という行為自体を曖昧にさせる。

 

 

交流

展示風景より、右奥はイサム・ノグチによる作品

 

ブランクーシは、画商や批評家とは距離を保ちつつも、同じ芸術家や彼の作品に共感を示すコレクターとは積極的に交流を深めていた。1910年頃には、頭部を主題にした造形への関心をアメデオ・モディリアーニと共有するなど、創作活動における意見交換が行われた。第一次世界大戦前後では、ピカソやキュビズムの画家たち、さらには戦後のダダイズムやシュルレアリスムの先駆者たちとも関わりを持ち、常に前衛芸術の渦中に。また、オシップ・ザツキンやイサム・ノグチなど後世の彫刻家との関係も築いた。イサム・ノグチはブランクーシから“素材を表現に従わせるのではなく、表現を素材に従わせる”ことを学んだとのちに語っている。

特筆すべきは、マルセル・デュシャンがアメリカでブランクーシの作品の認知と受容に大きく貢献したことが挙げられる。デュシャンは、1926年と1933年にニューヨークでブランクーシの個展を企画し、展示からカタログの編纂に至るまで幅広くブランクーシを支援。また、アンリ=ピエール・ロシェと共に、キャサリン・ドライヤーやジョン・クインなどのコレクターへのブランクーシ作品の紹介にも尽力し、仲介者としての役割を果たしました。ブランクーシの芸術世界の拡がりには、こうした人脈が大きく寄与している。

 

 

アトリエ

展示風景より、ブランクーシのアトリエをイメージした空間

1907年からパリのモンパルナスに根を下ろしたコンスタンティン・ブランクーシは、1916年にモンパルナス地区西端のロンサン小路にある集合アトリエへ移っている。この新たなアトリエは、天窓から射し込む自然光で明るく照らされ、ブランクーシ自身や彼の愛犬の衣服まで含め、全てが白で統一された空間であったとされる。時間が経つにつれ、彼の創作活動の拡大に伴いアトリエも広がり、1940年代の初頭には175㎡の広さに達した。このスペースの半分以上の約105㎡を展示室が占め、そこには完成した作品や制作途中のもの、台座や使用する石材、木材などが置かれていたそうだ。ブランクーシの生前はアメリカを除きブランクーシの作品を集中的に観察できる唯一の場所であり、パリで作品を見たければアトリエに行くしかなく、訪れた人々によって伝説となっていた。

また、ブランクーシ自身により、この充実したアトリエ空間の作品群を様々な角度から撮影され、残された多くの写真はアトリエが制作と展示の境界なく、生き物のように日々変化する場であったことを示している。本展ではブランクーシのアトリエの再現に際して天窓を模した照明を採用しており、現在の時間と同期した調光により刻々と変化する空間を楽しむことができる。

 

 

カメラ

展示風景より、ブランクーシによる写真の数々

 

ブランクーシが写真撮影に本格的に取り組み始めたのは、ブカレストの国立美術学校に在籍していた時期からで、その頃からアトリエの風景を捉えた写真を残している。ブランクーシは当初、自作の記録のために写真家に撮影を委ねることもあった。しかし、1914年に開催された自身の個展の際に、ギャラリー運営者で写真家のアルフレッド・スティーグリッツから送られた写真に不満を感じて以来、自ら撮影していることを写真家マン・レイに語っている。ブランクーシの撮る写真は、専門教育を受けていないがゆえの独自性を持ち、マン・レイはその露光技術をオーロラや爆発とたとえている。

また、ブランクーシは、写真を単なる記録ツールとしてではなく、彫刻作品の新たな側面を浮かび上がらせる再解釈の手段と見なしていた。1929年にはマン・レイの助言を得て16mmのカメラを手に入れ、映像撮影も始めている。これらの活動は、ブランクーシが彫刻に取り組む際、単に手仕事に留まらない、動的な世界観を持っていたことを示している。

 

 

展示風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《雄鶏》(1924、鋳造は1972、豊田市美術館蔵)

コンスタンティン・ブランクーシが鳥をモチーフに選んだのは1910年のことで、インスピレーションの源はルーマニアの民話に登場する伝説の鳥、マイアストラであった。この鳥が持つ重力に逆らう飛翔の力は、ブランクーシに自由や昇華の象徴として深く響いたと思われる。1912年、彼はデュシャンやフェルナン・レジェと共にパリの航空博覧会を訪れ、その時の関心が当時の先端技術である航空機にも及んでいたことが窺える。

1910年代末から、鳥のテーマはブランクーシの作品においてより顕著になり、《雄鶏》に見られるような垂直の形態から、《空間の鳥》の流れるような曲線へと昇華していった。この変遷は、無限に広がる空へと向かう“飛翔”へのブランクーシの憧れの体現と言える。1918年から20年にわたる「無限柱」やピラミッドのモチーフにも、この垂直への追求が反映されており、ブランクーシの作品全体を通じて、上昇や無限への願望が表現されている。

 

展示風景より、コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》(1926、鋳造は1982、横浜美術館蔵)

 

文=鈴木隆一

写真=新井まる

 

【展示会情報】

ブランクーシ 本質を象る

会期|2024年3月30日〜7月7日

会場|アーティゾン美術館 6階展示室

住所|東京都中央区京橋1-7-2

開館時間|10:00〜18:00(金〜20:00、5月3日を除く) ※入館は閉館の30分前まで

休館日|月(4月29日、5月6日は開館)、4月30日、5月7日

料金|ウェブ予約 1800円 / 窓口販売 2000円 / 学生無料(要ウェブ予約)、中学生以下予約不要

※日時指定予約制。予約枠に空きがあれば、美術館窓口でもチケットを購入可能

※この料金で同時開催の展覧会をすべて鑑賞可

同時開催:石橋財団コレクション選(5・4階 展示室) 特集コーナー展示|清水多嘉示(4階 展示室)

https://www.artizon.museum/exhibition/detail/572

トップ画像:展示風景より、ブランクーシのアトリエをイメージした空間



Writer

鈴木 隆一

鈴木 隆一 - Ryuichi Suzuki -

静岡県出身、一級建築士。

大学時代は海外の超高層建築を研究していたが、いまは高さの低い団地に関する仕事に従事…。

コンセプチュアル・アートや悠久の時を感じられる、脳汁が溢れる作品が好き。個人ブログも徒然なるままに更新中。

 

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