リズミカルな色彩の世界へ誘う「マティス 自由なフォルム」
東京・六本木の国立新美術館では、20世紀を代表する巨匠の1人アンリ・マティス(1869-1954)の晩年の芸術表現である切り紙絵に焦点を当てた「マティス 自由なフォルム」が5/27(月)まで開催されている。本展は当初、2021年の開催を予定していたが、新型コロナウイルスの影響で延期され、今回開幕に漕ぎ着けた。フランスのニース市マティス美術館の全面協力のもと、マティスの切り紙絵の魅力を5つのセクションに分け、約150点の絵画、彫刻、素描、版画、テキスタイルを展示。マティスの集大成としての切り紙絵と彼の生涯、様々な時代と要素を持つ作品の魅力について、横断的に紹介する構成となっている。
展示風景より、アンリ・マティス《日傘を持つ婦人》(1905)ニース市マティス美術館蔵©︎ Succession H. Matisse
マティスは北フランスの商人の家に生まれ。もともとは法律の道に進む予定であったが、1890年に病気で療養中に母から贈られた絵具箱が、彼の画家としての道を切り開くきっかけとなった。その後、本格的な美術教育を受けるためパリに移り、ギュスターヴ・モローに師事。ルーヴル美術館での巨匠たちの作品模写を通じて、色彩に対する深い理解を築いていった。
1898年、マティスは南フランスやコルシカ島で光と色彩の研究を深め、自由な色使いが特徴の作品群を生み出すことになるが、特にポール・セザンヌの絵画に触れたことは、マティスにとって大きな転機であり、セザンヌの手法の研究は彼の画面構築に新たな視点をもたらしている。
セクション1「色彩の道」では、アンリ・マティスの画家としての足跡を初期の静物画から色彩豊かなフォーヴィスム作品、南フランスでの作品に至るまでをたどる。マティス自身が「私の最初の絵画」と呼ぶ《本のある静物》や、ルーヴル美術館での模写時代の作品《ダフィッツゾーン・デ・ヘームの「食卓」に基づく静物》など、初期の重要な作品を展示している。マティスの若き日の、色彩を通じた旅路が伝わってくる内容となっている。
展示風景より、アンリ・マティス《ロカイユ様式の肘掛け椅子》(1946) ニース市マティス美術館蔵©︎ Succession H. Matisse
セクション2「アトリエ」は、マティスにとって創作の発火点であるアトリエに焦点を当てている。アトリエは、彼の想像力を刺激し、作品の中でも繰り返し描かれる中心的な主題であった。
1917年にニースに滞在したマティスは、そこでの光に感銘を受け、市内の様々なアトリエを転々としながら作品を生み出した。特にシャルル=フェリックス広場にあるアトリエでは、仕切り幕、絨毯、肘掛け椅子、家具調度品などを綿密に配置し、モデルに東洋風の衣装を着せた代表作、“オダリスク”のシリーズを描いた。
本章では、マティスが実際に使用していたテキスタイルや家具などが含まれており、《ロカイユ様式の肘掛け椅子》に描かれた肘掛け椅子は、本展で実際に見ることができる。
また、1938年にはニースのシミエ地区にあるオテル・レジナにアトリエを構え、マティスはそこで多様な文化的背景を持つ数多くのオブジェを収集。これらのオブジェは彼の絵画の中でも重要な役割を果たし、絵の中の世界を構成する要素となった。アトリエはマティスにとって単なる制作スペースを超え、創造性の源泉であったのだ。
展示風景より、アンリ・マティス《パペーテ−タヒチ》 (1935) ニース市マティス美術館蔵©︎ Succession H. Matisse
セクション3「舞台装置から大型装飾へ」は、マティスの舞台装置デザインから始まり、壁画やタペストリー習作など、次第に装飾芸術の領域へと広がっていく過程を巡る。1920年、パリのオペラ座で上演された「ナイチンゲールの歌」における舞台装置と衣装デザインを皮切りに、マティスはその後、壁画などの大規模な装飾作品を手がけるようになる。この時期の注目すべきプロジェクトが、1930年にアメリカの実業家アルバート・C・バーンズから依頼された、アメリカ・ペンシルヴェニア州メリオンのバーンズ財団のための大壁画だ。マティスはニースの広大なガレージをスタジオに仕立て、長い竹の棒の先に木炭を取り付けて作業するという革新的な手法で、総幅13m、高さ3mに及ぶ3枚からなるダンスの壁画を完成させた。この壁画は後にバーンズ財団に設置され、他のバージョンがパリ市立近代美術館の所蔵となっている。
また、マティスの大型作品に至る過程は、タペストリー制作の準備習作からも垣間見ることができる。タヒチ旅行の印象が色濃く反映された《パペーテ–タヒチ》や、神話からインスピレーションを受けた《森の中のニンフ(木々の緑)》といった作品は、もともと習作として始まりながら、その後、単独の記念碑的な作品へと昇華した。
本章では、これらの作品を通じて、マティスの装飾に対する情熱と、その職業的使命感を感じることができる。
展示風景より、アンリ・マティス《ブルー・ヌード IV 》(1952)オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)©︎ Succession H. Matisse
展示風景より、アンリ・マティス《花と果実》(1952〜53)ニース市マティス美術館蔵©︎ Succession H. Matisse
セクション4「自由なフォルム」では、ついにマティスが後年開発した切り紙絵とそのテクニックを中心に紹介している。マティスの切り紙絵の技法が独立した芸術形式としての地位を確立したのは、1947年に出版された書物「ジャズ」をはじめとするいくつかのプロジェクトによるところ。大病を患った晩年のマティスが「ハサミでデッサンする」と表現したこの技法は、アシスタントによって塗られた色紙をハサミで切り抜き、組み合わせることで、彼の描画に新たな次元をもたらした。
それが後に、ヴァンスのロザリオ礼拝堂の装飾などのプロジェクトでさらに発展を遂げ、マティスの作品世界において重要なものとなっている。紙の重なりや色の透け感など、切り紙絵ならではの独特の表現が見どころだ。
この章では、「ジャズ」のほか、日本で初めて紹介される巨大な切り紙絵《花と果実》や「ブルー・ヌード」シリーズなど、彼の革新的な切り紙絵が多数展示されている。《花と果実》は、ニース市マティス美術館のメインホールを飾る作品で、2021年に大規模な修復を経て今回来日に至っている。5枚のカンヴァスに分かれ、壁一面を飾る広大なこの作品は、まるでタペストリーのように豊かな装飾性と鮮やかな色彩で鑑賞者を魅了する。
展示風景より、カズラ(上祭服)のマケット©︎ Succession H. Matisse
展示風景より、ヴァンスのロザリオ礼拝堂(再現内観)
最後のセクション5「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」では、マティスの晩年の傑作「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」プロジェクトを取り上げている。
マティスは1948年〜1951年までの4年間、ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂の建設に没頭した。切り紙絵の技法を生かし、室内装飾や典礼用調度品、そして典礼の異なる時期の祭服デザインに至るまで、細部にわたって手がけたこのプロジェクトは、彼の総合芸術の代表作だ。
展示空間には、マティスがデザインした6色のカズラ(上祭服)の雛型が展示されるほか、礼拝堂の再現スペースが設けられており、鑑賞者はその空間を体験できる。礼拝堂の内部は、3点の陶板壁画(《聖ドミニクス》、《星形のある背景の聖母子》、《十字架降下》)と3組のステンドグラスが公開されており、《十字架降下》はキリストの受難と復活を描いた《十字架の道行》の中の一幕を映し出している。
宗教的精神性と芸術的表現を融合させたロザリオ礼拝堂を通じて、マティスの芸術における総合性と、彼の作品に込められた深い思索、マティスの芸術的遺産の真髄に迫ることができるだろう。
文=鈴木 隆一
写真=新井 まる
【展示会概要】
「マティス 自由なフォルム」
会期|2024年2月14日〜5月27日
会場|国立新美術館
住所|東京都港区六本木7-22-2
電話番号|050-5541-8600
開館時間|10:00~18:00(金土〜20:00)※入場は閉館の30分前まで
休館日|火(ただし、4月30日は開館)
料金|一般 2200円 / 大学生 1400円 / 高校生 1000円 / 中学生以下無料
トップ画像:展示風景より、ヴァンスのロザリオ礼拝堂(再現内観)