『雑貨展』というタイトルを聞いて初めに想像したのは、最新デザインの雑貨が並ぶスタイリッシュな
展示内容だった。しかし、実際に行ってみると『雑貨』の魅力を大解剖したかのような大人のための
展覧会だった…!
会場に入ってまず出迎えてくれたのは、平成生まれの筆者からすると縁がない荷車に、日用品を
積んで販売していた「行商」を再現するオブジェ『松野屋行商』松野屋+寺山紀彦(studio note)。
よくよく一つ一つに注目して見てみると、現在も販売している日用品で再現されているが、
展示施設という空間にこれだけを切り取って置かれると十分に’現代アート’の風格がある。
そして、その横に展示されているのは、川原真由美氏のイラストレーション『雑マンダラ』。
「雑」という言葉を含む熟語が並べられているこの作品。
普段無意識に使っている「雑」という字には「分類できないもの」、「多様に入り混じったもの」という
意味がある。まるで、四次元ポケットのごとく様々な意味をすっぽりと入れてしまうのである。
例えば「雑貨」と和英辞典で引くと…英語に訳そうとしてもなんだかしっくりとくる単語がない。
意味が多岐にわたるため’食糧雑貨’や’服飾雑貨’等ジャンルを絞った単語が並ぶ。
故に、最近では外国人の間で「ZAKKA」と、そのまま会話に取り入れることも増えてきたそうだ。
つまりこれらの熟語は日本独特の文化や感性なのである。
さらに三宅瑠人氏の『雑貨と生活史年表』、『今 和次郎と現代の「考古学」』、『雑貨のルーツ』では、
一昔前に使用されていた物やその歴史とを比較し、どんどんメスを入れていく。
生活の中で『あ~そんなのあったなぁ』という物から現代の必需品までが年代ごとに並べられる。
こうして改めて展示されている作品を眺めていると時代や世相を反映してできていると思っていた「雑貨」が、
むしろスマートフォンのようにその物自体が普及することで人々の生活を変えていると気付いた。
雑貨を取り巻く背景には個人だけでなく世の中との相互作用のもと、既存の物が進化するだけでなく、
私たちが持っている’欲’を刺激するべく、これからも見たことがないような物が新しく生まれ続けるのであろう。
また、参加型の展示もある。
今回の会場である21_21 DESINGN SIGHTの白い壁一面に書かれた「理想の暮らしは買いたい?」を
冒頭の質問にYESとNO答え続けて考える「終わらない自問自答」。
答えた先には冊子などがあり、暮らしにまつわるヒントがまとめられている。
展覧会企画チームによる’深澤直人氏と展覧会企画チームの視点で選んだ雑貨の数々’『雑貨展の雑貨』の後には、
本展中で最もスペースが割かれている『12組による雑貨』という企画と、その映像ドキュメンタリーが上映され
ている。
ドキュメンタリーの内容は出展者12名が展示する雑貨を決めた過程を追跡している。
この映像を見る前と後ではまた少し展示を見た時の感じ方が違うので必ず見てほしい。
12組の出展者は様々な分野のプロフェッショナル。メンバーは以下の通りだ。
***********出展者リスト**********
井出恭子(YAECA)、岡尾美代子、小林和人(Roundabout, OUTBOUND)、
小林 恭・マナ(設計事務所ima)、たかはしよしこ(S/S/A/W)、平林奈緒美、ルーカス B.B.(PAPERSKY)、
PUEBCO INC.、保里正人・享子(CINQ, SAML.WALTZ)、松場登美(群言堂)、南 貴之(alpha co.ltd)、
森岡督行(森岡書店)
***************************
それぞれ活躍するジャンルが違えば物を選ぶ視点が違ってくることは想像できる。
だが、そもそも考えてみれば「雑貨」というのものが個人のライフスタイルに寄り添うものである以上、
人の数だけそのイメージや定義、さらには選ぶ時の視線や感性がある。
中でもハッとさせられた展示はスタイリストの岡尾美代子氏による『LOST & FOUND』。
商品の写真が札として付けられたお店のストックのような展示。
これは作者の仕事柄、役目を終えた後にその存在を忘れられた’かわいそうな身の回りの雑貨’が膨大に
あることを省みているのだ。
選ぶ時は真剣に、もしくは一目惚れして手に取った物たちが、ビニール袋に積み上げられている姿には、
なんだか切なくなる。
もちろん他には雑貨に対して強いこだわりを持ったコレクションを展示している方もいる。
’旅先で持ち帰ったものを見返すと木の雑貨が多かった’というものや、原産国(MADE IN ◯◯◯)に着目して
その雑貨のドラマを感じるといった展示など、それぞれの切り口で雑貨に惹かれ、手に取る理由を考えている。
また、森岡書店代表の森岡督行氏による『「銀座八丁」と「雑貨」』は面白い収集の仕方をしている。
「銀座八丁」という昭和28年当時の銀座通りを撮影した写真帳をモチーフに、今なお現存する店舗から
雑貨を買い集めてきたという展示。
どこかノスタルジックでありながらも、今身に着けてもお洒落な小物や日用品がずらりと写真帳に沿って
置かれている。
これらを見ていると時代に流されるのではなく、歴史を継いでいるどっしりとした威厳のようなものを感じた。
ファストファッションや海外のリーズナブルな雑貨が多く溢れ(中でも銀座という街に店舗を構えているという
ことは、「雑貨」を手にして感じるお店からのメッセージが現代人の購買欲をくすぐっている証拠だろう。
これらの展示を鑑賞して帰路に着くと、思わず部屋の中を見回して自分自身「普段何に惹かれてこれらの物を
買ったのか」と改めて考えてしまった。
探す・選ぶ・買う・使う・鑑賞する・組み合わせる・・・全く同じ人間がいない以上、人の数だけ楽しみ方が
あるのだと思った。
そして、「12組による雑貨」に続いて、d mare used 『D&DEPARTMENT PROJECTが考える
コンビニストア』が展示されている。
よくよく見ると、’傘’や’カイロ’と書かれたラックにかかる物は1つ1つ異なる。
これは、ついつい必要以上に買ってしまった同じ用途の「日曜雑貨」が家に複数あるということに着目し、
’雑貨的購入’がされがちな物でコンビニエンスストアの棚を作っている。
自分にも思い当たる節がある。
必要以上のお金を持たされていなかった小学生の時には毎朝ニュースで天気予報をチェックしていた。
制服が濡れたら嫌だと思い降水確率が少しでも高ければ折りたたみ傘を持ち歩いた。
最近はどうだろう。もし降ったら傘を買えばいいと思い急いで外出し、いざ降るとまたいつ止むかも
調べずにビニール傘を買っている。その購入にこだわりは無く、状況を捉えて目の前にある物を買い、
そして必要以上に所有してしまう。
コンビニエンスストアのような日常品が手軽に買えてしまうお店が普及したからこそ生まれている問題に、
現代人である私たちは反省すべきところなのかもしれない。
普段何気なく使っているカップアイスについてくるようなスプーンや、フリスクのケースなど多くの人が
使ったら捨ててしまう物をコレクションしている展示もあった。
世の中にあるものの多くは生み出す人が消費者を考え、意味を持って‘デザイン‘したものなのだ。
普段ゴミにしてしまっていたものなのに見ていてわくわくした。
最後に、『今 和次郎と現代の「考現学」』(菅 俊一氏)の分析で一際興味深いグラフがあった。
1925年と2014年の生活費の比較をしたもので1925年当時は、衣食住が全体の出費で占める割合が
73%(各13%・40%・20%)であったのに対して、2014年になると38%(各4%・26%・8%)まで
縮小されている。
つまり現代人は過半数を超える62%が’生きるのに必要最低限なもの’以外に使っていることになる。
日本の高度経済成長期にあたる約半世紀前までは「雑貨」が意味する物が’生活に必須な道具’を指していた。
しかし、時代とともに‘雑貨屋‘に置かれる商品が伊達眼鏡やワイングラス等’生活に彩りを与える、
’または用途が分からない物や、実用性を持たない物の割合が増えているように思えるのにも納得だ。
是非、この展覧会をきっかけに日本独特の価値観である「ZAKKA」の奥深さを、今一度考え、誰かと
語り合ってほしい。
生きる上で必要不可欠じゃない物かもしれない。だが私は’理想の生活’には「雑貨」がどうしても必要だと
強く思った。
文・写真 山口 智子
【情報】
「雑貨展」
会場:21_21 DESIGN SIGHT
会期:2016年2月26日(金)- 6月5日(日)
休館日:火曜日(3月15日、5月3日は開館)
開館時間:10:00 – 19:00(入場は18:30まで)
*4月28日(木)は関連プログラム開催に合わせ、通常19:00閉館のところを特別に
22:00まで開館延長します(最終入場は21:30)
入場料:一般1,100円、大学生800円、高校生500円、中学生以下無料
*15名以上は各料金から200円割引
*障害者手帳をお持ちの方と、その付き添いの方1名は無料