青木涼子さんインタビュー 後編
委嘱シリーズと新たな取り組み
前編では、能との運命的な出会い、バレエとの決別、東京芸術大学時代の葛藤をお話しいただいた。
後編では青木さんが見つけだした、現代音楽と能による新しい表現手法をどのように確立していったのか、そしてプライベートでの新たな挑戦について掘り下げていく。
委嘱シリーズのはじまり
girls Artalk(以下、gA):2010年から始まった国内外の作曲家に能の作曲を委嘱する「Noh×Contemporary Music」シリーズは、始めるにあたってどのような点が難しかったのでしょうか?
青木涼子さん(以下、青木さん):能は既存の曲を謡うもので、能の節の作曲方法は大学でも習わないんです。節の構造の分析は、今までほぼされてきませんでした。なので、2010年からスタートしたこのシリーズは、本当に右も左もわからない状態で、取りあえず作曲家に委嘱してみようと始めました。その時に日本人だけでなく、外国人にも委嘱してみようと思いました。
海外の作曲家は、私を素材として面白いと思ってくれて、素材の一つとして捉え、作曲する傾向が強いです。日本で作曲を学んだ方に委嘱すると、当初はなかなか難しかったです。西洋音楽の理論と、能の音楽理論は別物で、日本人の作曲家といえども、今の教育制度では、学校で学ぶことはありません。やはり、能は日本が誇る伝統芸能、なかなか踏み込んでいけない聖域で、海外の作曲家のように、素材の一つとして扱うには、日本人としては抵抗があるのだと思います。前述したように、ただの西洋楽器と能のコラボなら70年代にすでにありました。もし今やるのなら、新しいことをやらないと先達がやったことをなぞるだけになってしまう。だから、もう少し踏み込んで、謡の作曲を委嘱することで今までにないものを作っていきたかったんです。
©Junichi Takahashi
gA:その取り組みを続けていくうちにどのような変化があったのでしょうか?
青木さん:色んな作曲家の作品を50曲近くやっていると思います。その中の何人かが、能をよく勉強してくれ、西洋音楽との違いを体感してくれました。どう難しいのかを実感してくれたことで、能の節を書けて、なおかつ西洋音楽と合わせた作曲ができる人が出てきたんです。
日本の作曲家と海外の作曲家の差とは
gA:日本人の作曲家と海外の作曲家、男性や女性で違いは感じられますか?
青木さん:人や性別によって違いがあるのはもちろんですが、日本でのみ音楽教育を受けてきた人と、海外で音楽教育を受けてきた人はやはり違いますね。日本の伝統にとらわれない存在が、海外で学んだ作曲家たちでした。まず彼らが能を素材として扱い、新しいものができて、それを見た日本の作曲家たちが「ああ、ここまでやっていいんだ」という感じで、踏み込んでいけるきっかけになったと思います。
gA:2017年10月に開催された「トーク&コンサートシリーズvol. 5 Noh×Contemporary Music」を聴いた時に、どの作曲家さんたちも、新しいものを作るけど、能の伝統だとか、日本の伝統とかを自分なりに学んでから作曲に落とし込んでいらっしゃいましたね。個人差ももちろんあると思うんですけど、今回、男性の作曲家さんと女性の作曲家さんがいて、男女で捉え方の差が存在するなと思ったんですが、青木さん的に、そういった個性の違いをどう捉えているのでしょうか?また、こういう方が合うなあと思うことはありますか。
青木さん:逆にどうでしたか?聞きたい(笑)
gA:研究的な目線で見ると、トルコ人男性、イーイト・コラットさんのアルゴリズムを使った作曲方法は面白いなと思いました。足を鳴らすシーンも、人間と機械の差を出しているのかなと思ったり。でも表現で見るとイギリス人女性、ジェイミー・マンさんの曲の方が明確で、視覚でも楽しむことができて、引き込まれるものがありました。青木さんは演奏していてどんな感じがあるんですか?
青木さん:今回は、本当に男女の差が明らに出ちゃったなと思っていて。まあ、たまたまそうなってしまったのですが。個人的にはコラットさんの譜面は難しすぎて、とにかく譜読みがすごく大変でした。本番では彼が指揮をしてくれたので、合わせるのはそこまで難しくなく演奏できたんですけど、それまでの練習での音の取り方が難しくて。上中下と書かれた三線譜で謡の音の取り方が書いてありながら、いきなり五線譜に飛ぶんですよ。五線譜のところではパーンとその音をとって欲しいと。こんな風にすごい無茶を言う作曲家は結構いて、それは男女関係ないと思います。
本当に苦労した曲だったけれど、録音したものを聞くと結構いいんですよね(笑)アルゴリズムとか、理論的な考え方を使っていても、音楽的である。理論のみで曲を作る人ではなく、音楽的なものが作れる人に委嘱するようにしています。ジェイミーさんの方はかなり音楽的な人だったので、表現として圧倒されたと思います。
gA:プレゼンテーションの内容も、理系と感覚系で大きく分かれていましたね。
青木さん:女性の方は本人が納得できるものだけを説明していたから、それだけ説得力があったのかもしれませんね。
gA:以前の作品で、作曲家の馬場法子さんとファッションデザイナーの山縣良和さんとのコラボレーションも映像で拝見しましたが、楽しい作品でした。その時はどうでしたか?
青木さん:エッジの効いた作家同士が組み合わさると面白いかなと思って、そのお二人を選んだんです。委嘱した馬場さんの曲もかなり尖っていて、それに対して山縣さんは苦労していたみたいだけど、彼なりに完璧に理解して、できあがったものは素晴らしかった。ただ、衣装はかなり重くて、演じるのに必死でした(笑)
gA:こういった才能同士がぶつかり合うコラボレーションって面白いですよね。
青木さん:私がやっているのはコンサート形式が多く、聴覚に訴えるものになります。そこで視覚的にもインパクトがあるものを入れることで、より多くの方に興味を持っていただきたいと思っています。
単なる即興のコラボレーションではなく、残せるものを作りたい
gA:委嘱する時に気を使っていることはありますか?
青木さん:実は、能って毎回謡う度に、音程が変わっても大丈夫なんです。半音ずれたりしてしまうことが平気であります。西洋音楽を学んでいる人が能の稽古をすると、毎回音程が違うから、音の取り方がわからなくなってしまうようで。
gA:毎日、同じ曲を謡っても、音程が変わるんですか?
青木さん:そう。能は音程が毎回変わっても平気なんです。例えば、「上」から謡ってください、と指示が書いてある時の「上」っていうのは、「あなたの音域の中での上」だから、先生と同じ音程である必要がない。能の譜面で指示されているのは、メロディーの音程の幅だけが問題なんです。だから、スタートの音程はどこでもいいんです。それがまず西洋音楽の人はわからないから、謡い出しの音程が変わると混乱してしまう。
だから、委嘱する人も、能は西洋音楽とは全く別物だとわかっている人や、やってみたいと思ってくれる人じゃないと難しいから、委嘱相手は注意深く選ばせてもらっています。みんな自分が持っている語彙の中で書くから、能は別だってことを言っても難しいんですよね。
gA:この間、初めて能の楽譜をみて、こんな感じなんだ!とびっくりしました。まるで漢文みたいですよね。
青木さん:そうなんです。2年前にまとめてテキストを作ったんですよ。謡のメロディーはこのように音が移動しますとか、音程が上がって降りる時は必ずこういう音程幅をとるとか。日本人の作曲家2人と共同で、謡の五線譜での譜起こしをしたり、他の作曲家の譜例を出したりして、作曲家がそのテキストを見れば、謡が理解できる土台作りをしたんです。
gA:それでウェブサイト「作曲家のための謡の手引き」を作ったんですね。http://ryokoaoki.net/study/
青木さん:そう。そこで譜例を見られるし、音も聴けるんです。日英両語で作ったので、遠隔地の海外の作曲家でも、会っていちいち最初から説明しなくても効率よく作曲できる。
gA:そのテキスト作りってどのくらいの期間がかかったんですか?かなり難しそうに感じます。今までの作曲家の方々のフィードバックを反映させながら作っていったのでしょうか?
青木さん:難しかったですね。ここには、今までの作曲家によく聞かれることを反映させました。半年くらいかかったと思います。手伝ってもらった作曲家2人も、作曲家の観点からの、謡のテキスト作りをやりたいと思っていたみたい。
gA:それこそフランク・ゲーリーのシステムみたいですね。西洋音楽をやっている人たちは、そのテキストを見て現代音楽として能の曲を譜面に起こすんですね。
青木さん:今までやられていた能と他の分野とのコラボレーションはやっぱり即興が多いんです。即興だと1回だけだから、残っていかない。だから能の現代音楽作品を譜面に記すことで、後世に残っていく。そこが面白いと思っています。
gA:伝統を踏まえながら、新しいものも残していく上で重要なテキスト作り。その取り組みもとてもクリエイティブですね。
仕事もプライベートも。これからの挑戦
gA:今後、挑戦していきたいと思っていることはありますか?
青木さん:今まさに自分が好きなこと、やりたいと思えることができてきている状態ですね。2017年12月のパリとケルンでのオペラ公演もそうです。
gA:自分が楽しめる環境を自分で作ったということですものね。委嘱シリーズとオペラはどう違いますか?
青木さん:ケースバイケースなんですけど、2017年12月の公演は細川俊夫さんという世界的な作曲家の方が私を起用して、ソプラノ歌手と私のための室内オペラを作るという提案をフランスのオーケストラにしてくださって。プレッシャーはありますが、大変光栄なことです。音楽業界だと、例えばバイオリニストが技術を磨いてオーケストラに招待してもらって既存の曲を演奏に行くというのが通常のやり方だと思います。でも私には能のための現代音楽の曲がいっぱいありませんから、その図式が成り立たない。だからそのレパートリーを作るために、作曲家への委嘱を続けないといけない。その過程で、面白い作曲家を発掘して、今度は彼らからオペラやオーケストラとの共演などの大きな公演の出演に声を掛けてもらっています。
gA:お話を聞いていると、女性起業家の在り方に似ている気がします。女性が自分のやりたいことを成し遂げるために、何ができるか、考えて行動する。その道の切り開き方が、今の働く女性と通じる部分がありますね。とても勇気をもらえます。さらに伺いたいのは、ミステリアスな雰囲気の青木さんの、プライベートについてです。趣味や休日はどのように過ごしているんですか?
青木さん:仕事にしていることが好きなことに直結しているということもあって、これといった趣味はないんです(笑)他人の趣味に付き合うことも、あまり興味がないし。まわりにいるアーティストもみんなそんな感じなんですけどね。
gA:ストイックな方が多いのですね。
青木さん:最近はオフでは、食事会、展覧会、映画などに行くようにしてます。演奏会も行くんですけど、仕事に繋がるので完全なプライベートとは言えないかも。
gA:プライベートやメインの仕事以外で挑戦していることはどのようなことでしょうか?
青木さん:今まで狭い世界にいたからこそ、今は人生経験のためにも広い視野を持った方がいいかなと思っています。仕事の面でもオファーをいただいたので、文化庁の文化交流使や広告といった新しいことにも挑戦しています。
gA:伊勢丹の広告、とてもステキでしたね。青木さんと能の世界観の組み合わせがとても美しかったです。
青木さん:そういうところを取っ掛かりにして、日本の一般の人々にも能の魅力を伝えていきたいですね。
以前は自分が始めたことに関して、そこまで自信が持てなかったんです。でも2013年に、スペインのマドリッド王立劇場での大きなオペラ・プロダクションに出演するという大きな体験をしたんです。超一流の人たちが沢山いる環境に入った時に、もう引き戻せないと思いました。そこから「日本の謙遜する文化とかが意味がない。私がやってきたことを誇らなきゃいけない」と、取り組みへの態度が変わりましたね。自分が築いたことをアピールして、メディアにも出ていく。そういったことを積み重ねながら、もっと上を目指していきたいと思っています。
にこやかに、しかし終始、能に対してストイックな姿勢を崩さない青木涼子さん。今後の活躍がますます楽しみでならない。
2018年の3月4日(日)には「トーク&コンサートシリーズvol. 5 Noh×Contemporary Music」の第2弾が発表される予定。こちらもお見逃しなく!
テキスト:宇治田 エリ ERI UJITA
写真:新井 まる
プロフィール
©Hiroaki Seo
青木涼子(あおきりょうこ) 能×現代音楽アーティスト
東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業(観世流シテ方専攻)。同大学院音楽研究科修士課程修了。ロンドン大学博士課程修了。博士号(Ph.D)取得。世界の主要な作曲家と協働で、能と現代音楽の新たな試みを行っている。2010年より世界の作曲家に委嘱するシリーズNoh×Contemporary Musicを主催しており、2014年にはデビューアルバム「能×現代音楽」 (ALCD-98)をリリースした。日本だけでなく世界の音楽祭に招待されパフォーマンスを行っている。2013年マドリッド、テアトロ・レアル王立劇場にジェラール・モルティエのキャスティングのもと、ヴォルフガング・リーム作曲オペラ《メキシコの征服》(ピエール・オーディ演出)のマリンチェ役で好演。平成27年度文化庁文化交流使。あいちトリエンナーレ2016参加アーティスト。2017年春の三越伊勢丹JAPAN SENSESのメインヴィジュアルに起用。
2017年12月にはパリ・フェスティバル・ドートンヌ、ケルン・フィルハーモニーにて細川俊夫作曲、平田オリザ台本の室内オペラをアンサンブル・アンテルコンタンポランと共に世界初演する。2018年1月にはフェデリコ・ガルデッラ作曲のオーケストラ曲をソリストとしてフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団と共に世界初演する。2018年2月にはアムステルダムでロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と共演する予定である。
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