水彩画で彩るアーティストの恋。
第3回目は「愛の画家」と呼ばれるマルク・シャガールの恋に迫りたいと思います。
あなたは、シャガールの絵と聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。
抱き合い空中を浮遊する恋人たち 色鮮やかな色彩 ヤギ、鶏が宙を舞う幻想的な空間
幸福感と愛と希望に満ち溢れるシャガールの芸術の源泉となったのは、
彼が愛したミューズ・ベラの存在でした。
ベラとの運命的な出会い
19世紀末、シャガールは刑務所と精神病院の裏にあるロシアの貧しいユダヤ人街・ヴィテブスクで、9人兄弟の長男として生まれました。
シャガールは、周りの人やものを注意深く観察する少年でした。
店を営む母、床屋の伯父、屠殺業の祖父、鳥や犬、猫など、故郷でふれあった様々なものたちが、少年・シャガールの心に宿り、後の彼の作品に大きく影響します。
シャガールは、詩や音楽、踊り、そして絵画まで幅広く興味をもち、美術学校に通います。
1909年、22歳のシャガールは、ヴィテブスクでベラと運命的な出会いをはたします。
ベラは、裕福な商人の娘で異彩を放つほどに美しい女性でした。
ベラと出会った時の衝撃を、シャガールはこのように表現しています。
「まるで彼女は私をずっと以前から知っているようだった。
私の少年時代も、現代の私も、私の将来もすっかり知っているようだった。
私は、彼女こそ私の妻になるのだと感じた。
青白い顔。その瞳。何て大きく、丸い瞳だろう。
それは私のもの。私の魂だ。」(シャガール『わが回想』より)
そしてベラ自身も、風変わりだけれどもなぜか魅力のあるその画家に、戸惑いながらも心を奪われていました。
「くしゃくしゃの髪の毛がカールして額をつたわり、眉や目の上までたれさがっている。
かろうじて見える目は、まるで天国からじかにとってきたみたいに・・青い。
そして、ほかの人たちの目とはどこか違っている。」(ベラ・シャガール『空飛ぶベラ』)
「面影がいまも私につきまとうあの画家は、きらきら輝く星のようだ。」(ベラ・シャガール『空飛ぶベラ』)
2人はすぐに惹かれ合い、1910年に婚約をします。
ベラとの結婚、芸術家としての名声
シャガールとベラとの結婚がようやく実現したのは、1915年のこと。
ベラの家族は、ヴィテブスクに3軒もの宝石店を経営しているほど裕福で、シャガールの家族との格差は歴然で結婚は容易なものではなく、婚約をしてから5年の月日が経っていました。 娘のイダが誕生したのは、翌年1916年のことです。
同じ時期、シャガールは名声を得つつありました。
1914年にベルリンの画廊でシャガールの初の個展が開催されました。油彩40点、水彩、素描、グアッシュなど160点を出展し、好評を博します。
1916年から1917年にかけて、シャガールはいくつかの展覧会を開催し成功をおさめます。
シャガールはまだ20代でしたが、すでにこの世代を代表する芸術家とみなされていたのです。
戦時中の暗い時代でしたが、シャガールは『恋人たち』と題した幸福感に満ちた傑作を発表しました。『恋人たち』と題された4つの作品は、まとめて『我が妻に捧ぐ』と命名されました。
深い教養や洗練された審美眼をもつベラ。シャガールは、作品について常にベラに対して意見を求めました。ヨーロッパの古典絵画や劇、詩をシャガールに教えたのも、またベラでした。ベラの存在が、彼の芸術に大きく影響を与え、成功へと導くことになったのです。
誕生日、ふわりと宙に浮く愛の表現
愛を主題としたシャガールの代表的な作品に『誕生日』があります。
彼が借りていた部屋を訪れ、誕生日を祝うベラ。シャガールは嬉しさのあまりベラに口づけをします。
そのときのことを、ベラはこのように表現しています。
「『動かないで、そこにいて・・・。』
花はまだ私の腕の中にある。しぼないように、はやく水にさしたいのに。
でも、私は花のことなんか忘れてしまう。
あなたはひらりと舞い上がり、天井のほうへ飛んでいく。
首をねじまげ、私にもそうさせて、私の耳にぴったりと寄りそい、
なにごとかささやきかける。
耳をかたむけるわたしは、まるであなたにやさしい低い声で歌をうたってもらっているよう。」
(ベラ・シャガール『空飛ぶベラ』)
『誕生日』をはじめとした空中浮遊のイメージは、シャガールの愛のモチーフとして定着します。 誰もがこの作品を見ると、ふわりと気持ちが温かくなるような夢見心地に誘われることでしょう。恋人の優しいまなざしに見惚れてしまうように。
亡命、突然のベラの死
戦争下、ナチス・ドイツ軍に占領されたフランス。ユダヤ人だけでなく、名だたる芸術家たちがヨーロッパ各地からの亡命を余儀なくされていました。フランスに愛着をもっていたシャガールでしたが、1941年にアメリカへの亡命を決意します。
世界的な悲劇の戦争の間にも、シャガールは温かな歓迎の雰囲気のなかで、仕事に励むことができました。
しかし、悲劇は突然訪れます。
1944年、パリ解放のニュースが飛び込んできます。
フランスへ帰還することができると喜んでいたシャガールとベラでしたが、間もなくニューヨーク州のクランベリー・レイクでウィルスに感染し、ベラは帰らぬ人になってしまいます。
「ぼくは目の前が真っ暗になった」
深い悲しみにくれたシャガールは、9ヶ月もの間、絵筆をとることができませんでした。
その後、シャガールは2人の女性と恋愛をしますが、シャガールの作品にはいつまでもベラと育んだ愛のテーマが息づいていました。
ベラの死後、シャガールはこのように語ります。
「ベラの口元は、いつになってもはじめてのキスの香をただよわせていた。」
(マルク・シャガール『空飛ぶベラ「愛するベラに」』)
シャガールは『誕生日』を描いていたときに感じた、ときめきと幸福感をいつも感じていたのかもしれません。
ロマンチックで愛に満ちたシャガールの恋はいかがでしたか。
また、アーティストの恋を水彩画とともにお届けしたいと思います。
水彩画・撮影・文 堀 有希子
✳︎絵はイメージです。
〈参考文献〉
アートビギナーズ・コレクション もっと知りたいシャガール 生涯と作品 (株)東京美術
「知の再発見」 シャガールー色彩の詩人 (株)創元社
空飛ぶベラ〜マルク・シャガールとの出会い〜 柏書房(株)
【堀 有希子の過去の記事はこちら】
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