花の都イタリアのフィレンツェは世界の他の街に比べても美しくあることにとても意識的な場所。
気高く装うさまが個人的に好きな街の一つでもあります。
フィレンツェという街自体は数百年前に完成されており、街自体は既に過去のものとなっているはずなのに、そこに人びとの営みと生が入り交じることで、街に常に新たな息吹が芽生え、今も現在進行形で時計の針が進み続けているのです。
「再生」「復興」という意味をもつルネサンス期は、イタリア語で「花開く」という名を持つ街・フィレンツェを中心に芸術が栄え、ギリシア、ローマの文化の復興への動きが起こり、その名の通り、芸術・文化・学問が花開いた時代です。
同時に、このルネサンス期は「経済と芸術とが並行関係にあり、商業と金融活動がともに繁栄した、芸術の新しいヴィジョンが生まれた時代」でもありました。
(写真:フィレンツェの風景)
今回は~ルネサンス期の経済と芸術発展の繋がり~について、
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の展覧会『ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美』を通して、綴ります。
~ルネサンス期の経済と芸術発展の繋がり~
鑑賞者として美術館にて芸術作品を愛でると、その『美しさ』に心惹かれ、作品そのものに意識と思考が集中します。
しかし、金融と芸術の間には、14世紀から現在に至るまで切っても切れないつながりがあるのです。
イタリア・ルネサンス期も「富を有する金融業者や実業家がその時代に合わせた形で芸術支援を行う」という効率的な経済システムによって、多くの芸術が発展しました。
その「しくみ」がなければ、あれほどの偉大な名画や名作は生まれなかったでしょう!
(写真:サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》と左側にいる私)
しかし、盛者必衰の理―権力と人間の私利私欲と美が絡みあった先には、必ず災いが起きるということはこれまでの歴史が証明しています。
「欲望と断罪」「偉大さと利益」「情熱と後悔」の対象であるお金は時として、人の魂や人生を変えてしまうほどのものです。それはまるで、アダムとイブが楽園で出会った蛇の存在のよう。
だからこそ、時代の経済の流れが人間社会にとって高貴なものであるか、あるいは卑しいものであるかはその時代の美術がコンパスのように示してくれるのでしょう。
ルネサンス期も例外ではなく、お金に対する嫌悪感が社会の中あったため、富を表現する際に美的なものが伴われ、「芸術家にこそ富を美に変換するという役割は委ねられるべき」という概念が生まれました。
ちなみに、ルネサンス期に商業活動のシンボルとなった机は古いイタリア語では「机 banco」といい、それから近代イタリア語の「銀行 banca」(英語:Bank)という単語が生まれました。
また、「壊れた机/倒産 bancarotta」(英語:bankruptcy)は支払い不能となった銀行家の「机 banco」を壊したという慣習に由来するそうです。
このような文化的な背景を知り、美しきフィレンツェの時代の流れに思いを馳せながら鑑賞すると、より『ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美』展が楽しめると思いますよ!
なお、現在、Bunkamura ザ・ミュージアムで行われている『ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美』の展覧会で飾られている作品の中でも私が特に着目している、
サンドロ・ボッティチェリ『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』(1477-1480年頃)については、
こちらの記事(https://girlsartalk.com/common/feature/17593.html)にてご紹介させて頂いております。
是非、合わせてチェックしてみてください。
A thing of beauty is a joy for ever:
Its loveliness increases; it will never
Pass into nothingness; but still will keep
A bower quiet for us, and a sleep
Full of sweet dreams, and health, and quiet breathing.
“Endymion” by John Keats