ルノワールとセザンヌ、2大巨匠だけの初展覧会が開催中
東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「ルノワール×セザンヌ ―モダンを拓いた2人の巨匠」展では、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)とポール・セザンヌ(1839-1906)の傑作約50点が来日、二大巨匠の協演が実現している。
本展示会の最大の見どころは、パリのオランジュリー美術館が初めてルノワールとセザンヌを同時にフォーカスした世界巡回展であること。同美術館とオルセー美術館の全面協力により実現した本展は、既にイタリア・ミラノ、スイス・マルティニ、香港を巡回し、4箇所目となる日本では、東京・三菱一号館美術館が唯一の開催地となっている。
会場では、ルノワールの名作《ピアノの前の少女たち》やセザンヌの《画家の息子の肖像》といった代表作品を中心に、肖像画から静物画、風景画まで幅広いジャンルの作品を展示。さらに、この二人から深い影響を受けたピカソの作品も加わり、近代美術の流れを体感できる。
友情で結ばれた二人の画家が、それぞれ異なるアプローチで切り拓いた表現の世界。彼らの革新的な技法と独創性が、どのようにして現代アートの礎を築いたのか。今回の展覧会最大の魅力は、肖像画、風景画、裸体画といった同一ジャンルにおいて、ルノワールとセザンヌの作品を直接見比べることができる点にある。二人の巨匠が同じ題材にどのようなアプローチで挑んだのか、その違いを間近で体感できる貴重な機会となっている。
対照的な二人の画家が育んだ深い絆
展示風景より、左からピエール=オーギュスト・ルノワール、ポール・セザンヌ
印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールとポスト印象派のポール・セザンヌ。この二人の輝かしい作品たちを知る人は多いであろうが、全く異なる出自と性格を持つ二人が、実は深い友情で結ばれていたという事実は、意外にも知られていない。
ルノワールは職人の息子として生まれ、持ち前の明るさと社交性で多くの人に愛された人物であった。一方のセザンヌは、銀行家という裕福な家庭の出身でありながら、内向的で人との交わりを好まない気質の持ち主。生い立ちも性格も正反対の二人が、なぜ生涯にわたって友情を育むことができたのだろうか。
二人の出会いは1860年代初頭に遡る。若き画家フレデリック・バジールが仲介役となり、ルノワールにセザンヌを紹介したのが始まりだ。バジールは後に普仏戦争で命を落とすが、この紹介がなければ、美術史に残る深い友情の一つは生まれなかったかもしれない。特に印象的なエピソードとして、1882年の南フランス・レスタックでの出来事。制作に励むセザンヌのもとにルノワールが訪ねた際に、ルノワールは深刻な肺炎を患ってしまうのだが、その時にセザンヌと彼の母親が献身的な看病を続けたそう。単なる同業者の関係を超えた、家族ぐるみのつながりがあったことを物語っているエピソードだ。
さらに興味深いのは、ルノワールがレスタックで制作した作品を、セザンヌのもとに残していったこと。また翌年、パリのデュラン=リュエル画廊での個展準備の際、ルノワールは手紙でセザンヌに風景画2点の返却を依頼している。この作品のやり取りからも、二人の信頼関係の深さが窺える。
セザンヌの才能を誰よりも理解していたルノワール
展示風景より、ポール・セザンヌ 《わらひもを巻いた壺、砂糖壺とりんご》(1890-1894)オランジュリー美術館
セザンヌの真価が広く認められるようになったのは、1895年のヴォラール画廊での個展がきっかけだった。それまでセザンヌは印象派の仲間内では知られていたものの、一般的な評価は決して高くはなかったが、ルノワールをはじめドガ、モネといった印象派の大家たちがセザンヌの作品を購入している。彼らがセザンヌの革新性を早くから理解していたことの証である。印象派の画家カミーユ・ピサロは、自身もセザンヌの作品に魅了されていたが、息子リュシアンに送った手紙に、「私の熱狂はルノワールの比ではなかった」と残している。ルノワールのセザンヌに対する賞賛ぶりは、他の画家たちをも驚かせるほどだったのだ。
二人の友情の基盤には、芸術に対する共通の姿勢があった。1874年の第1回印象派展に共に参加した二人だが、その後の歩みには興味深い相違がある。モネのように筆触分割による抽象化に傾倒するのではなく、両者ともに形態を保持しながら、それぞれ独自の絵画表現を追求していったのだ。
また、画商でコレクターのポール・ギヨーム(1891-1934)は、印象派・ポスト印象派の作家の中から、特にこの二人の作品のみを収集しており、彼は「フランス初のモダンアート美術館」の創設を夢見て、そのコレクションをフランス国家に寄贈した。これらの作品群は、現在のオランジュリー美術館コレクションの中核を成している。
対照的な出自と性格を持ちながら、芸術への情熱で結ばれた二人の友情。それは単なる個人的な関係を超えて、近代絵画の発展に大きな影響を与え、後のピカソをはじめとする多くの画家たちにも影響を与え続けているのである。
ルノワールとセザンヌの対照的な表現
展示風景より、ピエール=オーギュスト・ルノワールの《ピエロ姿のクロード・ルノワール》(1909)
展示風景より、ポール・セザンヌ 《セザンヌ夫人の肖像》(1885-1895)オランジュルー美術館
ここで、本展の作品にも触れていく。肖像画における二人のアプローチの違いは実に興味深く、ルノワールの《ピエロ姿のクロード・ルノワール》(1909年)は、画家自身の息子をモデルにした温かみのある作品。ルノワールは頻繁に我が子たちを絵画の主人公に据えており、この作品でも父親としての愛情が画面から伝わってくる。
画面構成も巧みで、縦長の画面に配置された大理石の太い柱を背景とする構図は、スペインの宮廷画家ベラスケスやゴヤの伝統的な肖像画技法を彷彿とさせる。
一方、セザンヌの《セザンヌ夫人の肖像》(1885-1895年)は、全く異なる美学を提示している。妻・オルタンスを室内でポーズさせたこの作品では、背景に具体的な装飾や家具などのモチーフが一切描かれていない。さらに驚くべきは、人物の顔立ちが意図的にぼかされていることだ。セザンヌは人物を「静物」として捉えているかのような客観的な視点で描いている。感情的な要素を排除し、純粋に造形的な美しさを追求したこのアプローチは、後の現代美術に大きな影響を与える革新的な手法であった。
展示風景より、ピエール=オーギュスト・ルノワール《イギリス種の梨の木》(1873頃)オルセー美術館
展示風景より、ポール・セザンヌ《赤い岩》(1895-1900)オルセー美術館
風景画においても、二人の自然に対する眼差しの違いが鮮明に現れている。ルノワールの《イギリス種の梨の木》(1873年頃)は、パリ近郊ルーヴシエンヌの穏やかな郊外風景を描いた作品。画面いっぱいに広がる梨の木は、まるで天空に届かんばかりの生命力を湛えて描かれている。青々とした草木の瑞々しさが画面全体を支配し、そこに配置された三人の人物たちは、あくまで自然の美しさを引き立てる脇役としての役割を担っている。ルノワールにとって自然とは、人間の生活に寄り添う親しみやすい存在だったのだろう。
対照的に、セザンヌの《赤い岩》(1895-1900年)からは、全く異なる自然観が読み取れる。この作品の舞台となったビベミュス採石場は、建築用石材の供給地として栄えていたが、工業化の波により廃止となった場所。セザンヌは、人間の営みによって変容を遂げた風景に独特の美しさを見出している。工業化による環境の変化という現実を受け入れながらも、そこに普遍的な造形美を発見する彼の眼差しは、近代社会に生きる画家としての新しい感性を示している。
展示風景より、ピエール=オーギュスト・ルノワール《風景の中の裸婦》(1883)オランジュリー美術館
展示風景より、ポール・セザンヌの《3人の浴女》(1874-1875)オルセー美術館
裸婦を題材とした作品においても、二人の美意識の違いが明確に表れている。ルノワールの《風景の中の裸婦》(1883年)には、18世紀フランス・ロココ美術の巨匠ヴァトーやブーシェへの深い敬愛が込められている。この作品の特徴は、人物と背景の描法を意図的に使い分けていること。裸婦の肉体は線描を重視した古典的な手法で丹念に描き上げられている一方、背景の風景は印象派特有の自由な筆致で処理されており、伝統と革新を巧みに融合させたルノワールの技術的な成熟を物語る名作である。
セザンヌの《3人の浴女》(1874-1875年頃)は、画家の水浴図シリーズの中でも最も初期に制作された重要な作品で、個々の人物の細部描写よりも、三人の浴女が作り出す三角形の構図に注目している点が興味深い。背景の樹木も人物と呼応するような配置となっており、画面全体が一つの統一された造形として機能している。セザンヌにとって重要なのは、個別の美しさではなく、画面全体の調和だったのである。
名品が語りかける芸術の真髄
展示風景より、手前はピエール=オーギュスト・ルノワール《桃》(1881)ランジュリー美術館
晩年のセザンヌは、「マネ、ピサロ、ルノワールを除いて、同世代の画家はみんな嫌い」という彼らしくも強烈な言葉を残している。オランジュリー美術館が誇るルノワールとセザンヌの珠玉のコレクションが一堂に会する本展、二人の巨匠が同じ題材に向き合いながらも、いかに異なる表現世界を切り拓いたか。両者の作品を介した対話を通じて、近代絵画の豊かな可能性と多様性を実感できる貴重な体験となるはずだ。
文=鈴木隆一
写真=新井まる
【展示会概要】
オランジュリー美術館 オルセー美術館 コレクションより
ルノワール×セザンヌ―モダンを拓いた2人の巨匠
会期|2025年5月29日~9月7日
会場|三菱一号館美術館
住所|東京都千代田区丸の内2-6-2
電話番号|050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間|10:00~18:00(祝除く金、第2水、8月の土、9月1日~9月7日は~20:00) ※入館は閉館の30分前まで
休館日|月(ただし、祝日の場合やトークフリーデー[6月30日、7月28日、8月25日]、9月1日は開館)
観覧料|一般 2500円 / 大学生 1500円 / 高校生 1300円 / 小学・中学生 無料