現代アートの常識を覆すアーティスト、ライアン・ガンダーの展覧会が開催中
箱根の山間に佇むポーラ美術館にて、現代アート界で独特な存在感を放つ英国人アーティスト、ライアン・ガンダーの展覧会「ユー・コンプリート・ミー」が11月30日(日)まで開催されている。
現在、イギリスのサフォークを拠点としているライアン・ガンダーの特徴は、単なる作品制作にとどまらない多面的な活動にある。絵画や彫刻といった伝統的な美術表現はもちろん、映像作品やテキスト、最新技術を駆使したVRインスタレーションまで手がける。さらには建築デザインや出版物の制作、独自の書体開発、儀式的なパフォーマンスまで、その表現領域は驚くほど幅広い。
「一種のネオ・コンセプチュアルであり、特定の様式をもたないアマチュア哲学者」と自らを称するガンダーは、私たちの身の回りに隠された物語や重層的な意味合いを、知的な遊び心と鋭いウィットを織り交ぜながら浮かび上がらせる。作品のテーマとして頻繁に登場するのは、存在しないもの、失われたもの、目に見えないもの、そして秘められた可能性といった概念だ。これらが現実世界と想像の世界を巧妙に絡み合わせながら展開されていく。
展示風景より、《閉ざされた世界》(部分)2024年
また、作品制作のみならず、展覧会の企画・キュレーションを手がけ、大学や美術館で後進の指導にあたり、子どもたちへの支援活動にも積極的に参加している。数多くの書籍の執筆・編集にも携わり、テレビ番組の制作や出演を通じて、アートと一般社会の架け橋となる役割も果たしている。このような多角的な取り組みによって、彼は現代におけるアーティストの新しいあり方を提示している。
ガンダーと日本との関係は深く、近年では2021年に東京オペラシティアートギャラリーで「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」をキュレーションし、翌2022年には同館で「ライアン・ガンダーわれらの時代のサイン」を開催。今年からは、岡山市内に新たに開館した「ラビットホール別館 福岡醤油蔵」で長期展示「Together, but not the same」展を継続中である。
壁面に取り付けられた目と眉毛だけで豊かな感情表現を見せる《Magnus Opus》(2013年)といった代表作で広く親しまれているガンダー。今回の展示では、館内の多彩な空間を活用して計18点の作品を紹介。その大部分が日本初公開の新作で、この展覧会のために特別に制作された作品も数多く含まれている。
「アートの目的はコミュニケーションではなく、触媒として曖昧さを提供すること」という彼の言葉が示すように、彼の作品に決まった解釈は存在しない。むしろ、見る人それぞれの解釈や連想によって、新しい物語が紡がれていく仕組みになっている。
展示風景より、《閉ざされた世界》(部分)2024年
展示風景より、《孤独なまま、幸せでいられるの?》2025年
《閉ざされた世界》(2024年)は、「普段は個人的な背景から作品をつくることはない」と語る彼が、初めて家族との深い絆を題材にした注目すべき作品だ。床一面に秩序正しく配置されているのは、色鮮やかなおもちゃやゲームのパーツたち。この圧巻の光景は、自閉スペクトラム症を持つ息子が日々実践する「ものを一列に並べる」という行動習慣と、それを静かに見守る父親の複雑な感情を表現している。ガンダー自身が考案したアイテムも含まれており、親子の創造性が重なり合う瞬間を捉えた作品となっている。
ロビーとカフェに設置された3つの巨大な黒い球体は、来場者の視線を集める。それぞれに白い文字で「「Can time stop?(時間は止まるの?)」「Do shadows have sounds?(影に音はあるのか?)」「Can you be lonely and happy?(孤独なまま、幸せにいられるの?)」といった哲学的な問いかけが刻まれている。
展示室4のガラスケース内には、無数の小さな黒い球が敷き詰められ、そこでも様々な疑問文を発見することができる。これらすべては、ガンダーの子どもたちや、想像力あふれる人たちが日常の中で抱いた素朴な疑問から生まれた作品群だ。大人になると忘れがちな自由で柔軟な想像力の大切さを、静かに問いかけている。
展示風景より、《君が私を完成させる、あるいは私には君に見えないものが見える(カエルの物語)》2025年
展示風景より、《物語は語りの中に》2025年
館内各所に出現する「アニマトロニクス」シリーズの新作動物たちも見逃せない。作品の声は、まだ幼い彼の子どもたち自身のものだ。長く複雑な文章を最後まで丁寧に読み上げる子どもたちの姿からは、作家と家族の間に築かれた深い信頼関係とコミュニケーションの豊かさが伺える。
ロビーフロアの片隅にひっそりと置かれた植木鉢の中に潜む《君が私を完成させる、あるいは私には君に見えないものが見える(カエルの物語)》(2025年)や、壁から2匹のネズミが顔を出し、互いに会話を交わす《物語は語りの中に》(2025年)、鳩時計からカラフルな鳥が語りかける《生産と反復を繰り返しながらも君は自由を夢見ている》(2025年)といった精巧なアニマトロニクス技術で動く動物たちの言葉に、ぜひ耳を傾けてみてほしい。
すべて実現するには多すぎるガンダーのアイデアの集積そのものを出力する《アイディア・マシン》(2024年)や、各地で撮影した写真の整理のために彼の父親が記した手書き文字を抜き出した《アルル》(2025年)など、多彩な作品群が、私たちの固定観念に優しく揺さぶりをかけてくる。
文・写真=鈴木隆一
【展示会概要】
ライアン・ガンダー:ユー・コンプリート・ミー
会期|2025年5月31日〜11月30日
会場|ポーラ美術館 アトリウム ギャラリー、展示室4、ロビー ほか
住所|神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
電話番号|0460-84-2111
開館時間|9:00~17:00 ※入館は16:30まで
休館日|会期中無休
料金|大人 2200円 / 大学・高校生 1700円 / 中学生以下無料