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シャガール展に行く方必見!シャガールとベラの物語〜芸術家たちの人生(3)〜

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2017年10月11日

シャガール展に行く方必見!シャガールとベラの物語〜芸術家たちの人生(3)〜


 

シャガール展に行く方必見!シャガールとベラの物語〜芸術家たちの人生(3)〜

 

 

現在、東京ステーションギャラリーで開催されている『シャガール -三次元の世界』。シャガールと言えば、ベラへの愛や結婚をテーマとした作品が有名ですよね。そこで今回は、『シャガール -三次元の世界』を鑑賞する方に向けて、シャガールの人生やベラとの知られざる関係を覗いてみたいと思います。本記事を読めば、より深く作品を楽しめること請け合いです。

 

 

 

 

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<シャガール年譜>

シャガールは1887年7月、帝政ロシア領ヴィテブスクで誕生しました。生まれた時は息をしておらず、桶に入れられて蘇生したといいます。9人兄弟の長男で、貧しい一家でした。ヴィテブスクは、人口の半分以上はユダヤ人が占めており、彼もまた東欧系ユダヤ人でした。この頃、ユダヤ出自の住人は、国内移動にも滞在許可証が必要で、仕事をするにしてもロシアの監視下に置かれていました。シャガールはユダヤ人の為の小学校に通い、両親、特に母親には忠実だったと本人はのちに語っているそうです。

 

サンクトペテルブクルの美術学校で2年間学びを得た彼は、1910年、ロシアを離れ23才でパリに向かいます。当初は苦難の時代が続きますが、ドイツで開催した個展での成功を皮切りにモスクワ、サンクトペテルブルクでも評価を得て、芸術家として充実していきます。1915年7月25日、ベラとの結婚を挙げます。28才でした。翌年の1916年には娘のイダが誕生します。その後、パリ、ベルリン、故郷であるロシアなどを行き来しながら制作活動を続けていきます。

 

1941年に第二次世界大戦が勃発。ナチスから逃れるために、シャガールはアメリカへ亡命します。すでに数々の賞を受賞していたシャガールは、新たな土地でも認められ、舞台芸術にも携わります。しかし、1944年には最愛の妻ベラが、感染症で倒れ55歳で急死。さらに、ユダヤ人迫害の報道など、6ヶ月も作品作りが中断するほど彼にとって悲しい出来事が重なりました。

 

渡米してから6年後の1947年、パリに戻り、南フランスに永住することを決めます。
1952年には、ユダヤ人女性・ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚。しかし、後の作品でも、彼女の顔の横にはベラの顔を描き入れており、作品の永遠のモチーフはベラであり続けたことが伺えます。そして、絵画だけでなく、陶器、彫刻、ステンドクラス、モザイク、タピスリーなどの新しい芸術活動に挑戦し続け、1985年、97歳で静かに息を引きとりました。

 

 

 

<シャガールとベラ>

本展覧会でも、まず目に飛び込んでくるのは《誕生日》。ベラから花束をもらい嬉しさのあまりに空を舞って口づけをする有名な作品です。シャガールと同じヴィテブスク出身のベラ。2人が出会ったのは、1909年でした。当時、シャガールはテアという女性と付き合っており、テアの友人としてベラを紹介されます。一目で結婚を確信したシャガールは、テアをモデルにした絵を描かなくなり、翌年にはベラと婚約をします。しかし、正統派ユダヤ教の最も裕福な家庭で育ったベラの両親からは結婚に反対をされていました。

 

シャガールがパリに、ベラがロシアにいる間の数年は、手紙で関係を続けていました。次第にシャガールは、彼女との結婚を悩むようになり、1913年には別れの危機が色濃くなります。ベラは彼の作品に対する率直な意見や批評を手紙に書きます。またある時は、彼女の誠実な気持ちや愛情、そして、無理にロシアに戻る必要はないと、彼の芸術家として道を尊重した手紙を送ります。1915年には、戦争の追い風と重なり結婚が許されパリで結婚生活をスタートさせます。

 

シャガールにとってベラは、妻でもあり、仕事のパートナーでもあり、生涯のミューズでもありました。ベラはシャガールの仕事の交渉から身の回りのことも含め全てをサポートしたのです。彼女はとても聡明で才能がある女性だったと言われています。シャガールは、自分の作品の感想を必ずベラに求め、意見が異なったとしても彼女の批評を受け入れたそうです。シャガールの作品は、ある意味ベラとの共同作業といえますが、「彼女自身の中にあるものは表現されておらず、抑えられているものがある」と、のちにシャガールは述べています。彼女の力は、彼の創作活動に全て取り込まれていっていたのです。結婚生活においてベラは、常に病と隣り合わせにおり、何度も手術を受けていました。誰かの大きなエネルギーに自分の才能や感性の全てを注いだ時、自分自身の力は失われていきます。彼女が病弱な体に苦しんだ一因として、シャガールとの共同制作があったのかも知れません。

 

シャガールの作品は、恋人や家族への愛、故郷愛、ユダヤの神への愛などが表現されています。現在いる場所、大切な人、故郷、そうした記憶が全て融合しているのが彼の絵の特徴でしょう。境界線のない、抽象的で情熱的な「愛」の作品に心が動かされる人が多いかと思います。しかし、実際の生活で彼は、創作活動を第一優先にしていました。ベラとの関係も含めて等身大の彼自身が愛とどう向き合っていたのかを想像すると、これまでに思い浮かべていた愛の画家というイメージとは少し異なってくるかも知れません。

 

ベラの本名は、ベルタ・ローゼンフェルト。彼女は、シャガールと結婚した時にベルタという名前を捨て、画家の妻としてふさわしい「ベラ」に改名したのです。
愛を捧げ続けたのは、シャガールではなく、ベラだったのではないでしょうか

 

 

 

 

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シャガールとベラの物語、いかがでしたでしょうか?
展覧会記事は、別途アップされていますので、そちらも合わせてお楽しみ下さい。
展覧会記事はこちら→楽しみながら挑戦し続けた生涯「シャガール -三次元の世界」

 

 

<参考文献>
公式図録 2017 『ピカソとシャガール 愛と平和の賛歌』
公式図録 2017 『シャガール -三次元の世界』
ジャッキー・ヴォルシュレガー 安藤まみ訳 2013 『シャガール 愛と追放』 白水社

 

 

文:Yoshiko

 

 

【Yoshikoによる芸術家たちの人生はこちら】
芸術家たちの人生(1)フィンセント・ヴァン・ゴッホ
ミュシャ展に行く方必見!臨床心理士が読み解く「ミュシャ」〜芸術家たちの人生〜

 

【シャガールについてもっと知りたい方はこちら】
安心感を与えるベラ ~一途に愛される女性になる方法~
ポーラ美術館が叶えた2人の”対話”「ピカソとシャガール~愛と平和の賛歌~」



Writer

Yoshiko

Yoshiko - Yoshiko -

東京都出身。中高は演劇部に所属。大学、大学院と心理学を専攻し、現在は臨床心理士(カウンセラー)として、「こころ」に向き合い、寄り添っている。専門は、子どもへの心理療法と家族療法、トラウマや発達に関することなど教育相談全般。

子どもの頃から読書や空想、考えることが大好きで、その頃から目に見えない「こころ」に関心があり、アートや哲学にも興味をもつ。

内的エネルギーをアウトプットしているアートと沢山携わりたいとgirlsartalkに参加した。昨年はゴッホ終焉の地であったオーベルシュルオワーズを訪れるため、パリに一人旅をし、様々なアートを見てまわる。