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絵画の可能性を提示し続ける巨匠、リヒターの大規模個展「ゲルハルト・リヒター展」

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2022年7月5日

絵画の可能性を提示し続ける巨匠、リヒターの大規模個展「ゲルハルト・リヒター展」


絵画の可能性を提示し続ける巨匠、リヒターの大規模個展「ゲルハルト・リヒター展」

 

フォト・ペインティング、カラーチャート、アブストラクト・ペインティングなど、様々な技法を駆使しながら作品を生み出し、数多くの批評や研究の対象となりながらも、人がものを見て認識する原理自体を表すことに、一貫して取り組み続けてきた巨匠、ゲルハルト・リヒター。現役でありながら90歳を迎えた今年、2005-06年にかけて金沢21世紀美術館・DIC川村記念美術館で開催されて以来、日本国内で16年ぶり、東京では初となる美術館での大規模個展が開催中だ。本展はリヒターの作品の各シリーズ代表作を含めた122点を、明確な章構成なく回遊しながら振り返る大規模個展。特に日本初公開となる4連絵画作品《ビルケナウ》(2014)はリヒターを語る上で大きな意味を持つ作品であり、ぜひ現地で鑑賞することをおすすめしたい。

 

© Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

ゲルハルト・リヒターは1932年、ドイツ東部のドレスデン生まれ。ドレスデン造形芸術大学で美術教育を受け、修了制作ではドレスデン公衆衛生博物館の壁画を担当。西ドイツを旅行中にドクメンタ2を訪れ、ポロックやフォンタナといった抽象表現主義に強い影響を受け、ベルリンの壁が建設される半年前に西ドイツのデュッセルドルフへの移住を決意する。デュッセルドルフ芸術アカデミーで二度目の大学生活を始め、コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケと友情を築き、「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動のなかで独自の表現を発表し、その名が知られることとなった。1971〜94年までは、同アカデミーの絵画学科の教授として教鞭をとっていたが、現在はケルンにアトリエを構え活動している。 これまでポンピドゥー・センター(パリ、1977)、テート・ギャラリー(ロンドン、1991)、ニューヨーク近代美術館(2002)、テート・モダン(ロンドン、2011)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク、2020)など世界の有名美術館で個展を開催。ドイツのみならず、世界で評価されている現代アートの巨匠だ。

 

ゲルハルト・リヒター 《アブストラクト・ペインティング》 2017年 作家蔵   © Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

リヒターは自身の作品について、「私の絵画における中心的な問題は光(シャイン)である」と語っている。シャインとはドイツ語で、光のほかに“見かけ”という意味もあり、リヒターのシャインとは「可視像を支える不可視な面(スクリーン、水面、鏡面、レイヤー)」のこと。シャインという視覚性自体はレディメイド(既成)であり、「デュシャン以来、つくられるものはレディメイドである。たとえ自分がつくったとしても。」と語るように、リヒターが制作しているのは、シャインを出現させるための様々な方法と一貫して捉えることができる。

 

ゲルハルト・リヒター《モーターボート(第1ヴァージョン)》 1965年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

© Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

代表的なシリーズとしては、新聞や雑誌のスナップを精密に模写し、イメージを微妙にぼかす「フォト・ペインティング」や、さまざまな色のカラーチップをモザイクタイルのように並べた幾何学的な絵画「カラーチャート」、グレイのみで展開する「グレイ・ペインティング」、スキージ(シルクスクリーンで使うゴムベラ)やキッチンナイフなどを用いて、鮮やかな色を組み合わせる「アブストラクト・ペインティング」、写真の上に油彩やエナメルを配置する「オイル・オン・フォト」、ガラス板にラッカー塗料を転写させることでつくる「アラジン」シリーズ、絵画をスキャンしたデジタル画像を2等分し続け無数の細い横縞をつくり出した「ストリップ」シリーズなどがある。

 

ゲルハルト・リヒター《ストリップ》 2013~2016年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

今回展示される作品は、リヒターの一貫しつつも多岐にわたる60年におよぶ画業を紐解くもの。そのほとんどは、リヒター本人が手放さず大切に手元に置いてきた財団コレクションおよび本人所蔵作品だ。ゲルハルト・リヒター財団は、2019年12月に創設されたが、それにはドレスデンやデュッセルドルフにリヒターの美術館を建設しようという様々な人の思惑があった。リヒターは作品を財団に収め、作品に対する権利を保持することで、市場の思惑から作品を保護するとともに、公共の美術機関や企画展に適切な経費で出品することができる、と考えた。今回の大規模個展は、こうした背景があってこそ実現したものと考えると、彼の作家としての懐の深さがうかがえる。財団所蔵品の大半は、ベルリンに建設中の20世紀美術館に落ち着くこととなっている。美術館は南青山のプラダでも有名なスイスの建築家H&dM(ヘルツォーク&ド・ムーロン)による設計だ。

 

ゲルハルト・リヒター 《1999年11月9日》 1999年 ゲルハルト・リヒター財団蔵   © Gerhard Richter 2022 (07062022)

ゲルハルト・リヒター《エラ》 2007年 作家蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

 実は、本展の会場構成にはリヒター自身も参加している。一連のシリーズを一ヶ所にまとめすぎず、多様な素材による作品を離散的に配置した展示構成をしており、絵画である特徴を消したいというリヒターの意図にも沿うようなかたちでの展示となっている。その中でも注目すべきは、冒頭でも紹介した、アブストラクト・ペインティングによって描かれている4連絵画作品《ビルケナウ》(2014)であろう。アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所で密かに撮られた4枚の写真から描かれた作品で、作家活動における重要な仕事として位置づけていたリヒターは、本作を描いたあとに、「もっと自由になってもいいと思うようなった」という趣旨の言葉を残しているそうだ。絵具で塗り固められた積層の下には複製写真のイメージが描かれており、複雑な歴史背景とともに鑑賞者に何を見たいか、何を見出すかといった営みをより強く想起させる。

アブストラクト・ペインティングはその後、より鮮やかになったことからも、《ビルケナウ》がリヒター自身へ少なからず影響していたことがうががえる。2017年に大型絵画の制作を終えることを宣言したリヒターであるが、本展では《ビルケナウ》前後、2017年の大型作品といった節目にも注目しながら鑑賞することで、より理解しやすくなるだろう。

 

© Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

アブストラクト・ペンディングにたどり着く以前から、リヒターはフォト・ペインティングに取り組んでおり、現在まで継続的に制作されてきた。《モーターボート(第1ヴァージョン)》は、財団所蔵の中でも唯一初期のフォト・ペインティングだ。リヒターは家族や新聞の写真をモチーフとすることがあるが、この写真はコダック・カメラの宣伝写真であり、写っているのは余暇を楽しんでいるかのように演技した広告モデルたち。一見、キラキラした憧れの休日を写した思い出の写真も、私たちが勝手に脳内で補完したイメージであり、題材としてはただの写真に他ならないことを突きつけられる。

 

ゲルハルト・リヒター 《4900の色彩》 2007年 ゲルハルト・リヒター財団蔵   © Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

目にも鮮やかな作品が並ぶ、カラーチャートのシリーズの《4900の色彩》(2007)は、東ドイツ時代に壁画制作を仕事としていたリヒターが、公共空間におけるイメージのあり方を思考し、既製の色見本(カラーチャート)をコンピュータの乱数発生装置を用いて配する本作は、公共空間のあらゆるイメージとの接続も想起させる。何かを描いているようで、何も描いていない。市販されている既成の色見本帳と絵具を題材につくられた本作は、マルセル・デュシャンの「レディメイド(既製品)」へのオマージュとも取れる。この試みはケルン大聖堂のステンドグラスにも応用され、高さ22mの大画面に、約11,500枚の72色の正方形ガラスが敷き詰められている。

 

© Gerhard Richter 2022 (07062022)

 

リヒターはガラスや鏡を用いた作品も数多く制作している。会場の中心には、角度を違えて重なるように設置された8枚のガラスの作品《8枚のガラス》(2012)がある。約35%は鏡のように像を映し、65%は向こう側が透けて見える特殊なガラスを使用し、反射と透過の比率を巧みに調整されたガラスは、ぼんやりと鑑賞者の像を写し、光の反射によって像を結びつける絵画の根本的な機能と問いを私たちに投げかける。この作品以外にも、表面をガラスで覆われた作品は多く、ガラスに反射する対面の作品や鑑賞者の像も、作品の一部ととらえると、より本展を楽しめるだろう。

 

東京国立近代美術館では本展にあわせて、収蔵作品展である「MOMATコレクション」内で「ゲルハルト・リヒターとドイツ」という章が設けられている。リヒターの《9つのオブジェ》(1969)や《抽象絵画(赤) 》(1994)が、ベルント&ヒラ・ベッヒャーやゲオルク・バゼリッツといった、ドイツ現代美術の巨匠の作品とともに展示されているため、こちらも合わせて見逃せない。

 

 

文=鈴木隆一

写真=新井まる

 

 

 

【展覧会情報】

ゲルハルト・リヒター展

会期2022年6月7日~10月2日

会場東京国立近代美術館

住所東京都千代田区北の丸公園3-1

電話番号050-5541-8600(ハローダイヤル)

開館時間10:00〜17:00(金土〜20:00) ※入館は閉館の30分前まで 

休館日月(ただし7月18日、9月19日は開館)、7月19日、9月20日 

料金一般 2200円 /  大学生 1200円 / 高校生 700円 / 中学生以下無料 ※東京国立近代美術館(当日券)、オンライン(日時指定券)にて販売

​​https://richter.exhibit.jp/

巡回

豊田市美術館:2022年10月15日〜2023年1月29日

 

トップ画像:

ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ》 2014年 ゲルハルト・リヒター財団蔵 © Gerhard Richter 2022 (07062022)



Writer

鈴木 隆一

鈴木 隆一 - Ryuichi Suzuki -

静岡県出身、一級建築士。

大学時代は海外の超高層建築を研究していたが、いまは高さの低い団地に関する仕事に従事…。

コンセプチュアル・アートや悠久の時を感じられる、脳汁が溢れる作品が好き。個人ブログも徒然なるままに更新中。

 

ブログ:暮らしのデザインレビュー
Instagram:@mt.ryuichi

 

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“言葉と数字ですべてを語ることができるならアートは要らない”

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