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「異端の作曲家 エリック・サティとその時代展」@渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム

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2015年7月28日


「異端の作曲家 エリック・サティとその時代展」@渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム


2015年7月8日〜8月30日まで、渋谷 Bunkamuraザ・ミュージアムにて
「異端の作曲家 エリック・サティとその時代展」が開催。

 

1866年フランスで生まれたエリック・サティは、1925年パリで亡くなるまで
20世紀の新しい音楽を追求した作曲家です。

 

彼は『Je te veux(あなたが欲しい)』、『Sonatine bureaucratique(官僚的なソナチネ)』、
『Sports et Divertissements(スポーツと気晴らし)』など、ユーモアや皮肉に溢れた、
特徴的な曲の題名をつけることから、「音楽界の異端児」や「音楽界の変わり者」と呼ばれました。

 

彼の生涯もまた面白く…
1879年にパリ音楽院に入学しますが、ピアノの試験で「当音楽院の最も怠情な生徒」と判定を受け、
パリ音楽院は退屈という理由で自ら学校を退学します。

それから1886年にモンマルトルに移り、シャノワール(キャバレー)に通うようになり、
作曲家だけでなく演奏者としても活躍します。

1892年には薔薇十字会に入会し、サティは「薔薇十字会のファンファーレ」などと、
自身の作曲に大きく影響しました。

 

その後は1898年には金銭的な問題などにより、モンマルトルを去りパリ郊外アルクイユに移り住みます。
サティはそのアルクイユからモンマルトルまで歩いて通い、シャンソン歌手の伴奏をしていました。

それが楽曲作りへと次第に変化していき「サティのダンス曲集」へと繋がっていったのです。

 

その後、ジャンコクトーと出会います。
コクトーが筋書きを、パブロピカソが舞台関係を、そしてサティが音楽を担当し、
バレエ・リュスの作品「パラード」を作るなど、若いアーティストとの交流も図っていきました。

バレエ・リュス:https://ja.wikipedia.org/wiki/バレエ・リュス

 

マン・レイ、トリスタン・ツァラ、マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビア、シャルル・マルタン、
アンドレ・ドランなどといった音楽だけの枠におさまらずたくさんの芸術家たちと交友関係を築いていきました。

サティは1925年に亡くなりますが、このような交友関係もあり、その作品は広く評価され続けました。

また、マン・レイは「エリックサティの眼」「エリックサティの梨」などといった
彼をモチーフにした作品をつくりました。

マン・レイ:https://ja.wikipedia.org/wiki/マン・レイ

 

いかにサティという人間が愛され、また人にクリエイティブな種を蒔いていたかが窺い知れます。

今回の展覧会はそんなサティの人生を追って全てで5章からなっています。

 

Ⅰ モンマルトルでの第一歩

サティ済2

サティ済3左:雑誌「シャ・ノワール」 右:レオンス・ビュレ「シャ・ノワールを読む」

サティ済4サティの手稿譜

 

Ⅱ 秘教的なサティ

サティ5真ん中:カルロス・ジュヴァーべ「薔薇十字展の小さなポスター」

サティ済6右:エリック・サティ「サティが自分自身に宛てた自筆の手紙と封筒」「導き手イエスの芸術大司教座教会のレターヘッド」として彼が描いた物を元にした印が赤で刷られている。

 

Ⅲ アルクイユにて

サティ7左よりエリックサティの付け襟、杖、山高帽

サティ8エリック・サティ(作曲)シャルル・マルタン(挿絵)スポーツと気晴らしより
左:狩り 右:ブランコ

 

Ⅳモンパルナスのモダニズムのなかで

 

Ⅴ サティの受容

 

今回の展覧会、中もパステルカラーで統一されておりミントグリーンやピンク、ソファも水玉だったりと、
とてもかわいいです。

 

サティ済9

 

展覧会限定ショップではサティ山高帽や、マン・レイの「エリックサティの梨」の梨の置物だったり、
エリック・サティデザインのミュージックプレイヤーがあったり、とってもかわいいです!

 

サティ10
サティ11

 

音楽に詳しくなくても、サティを知らなくても、十分楽しめる内容になっております。

ぜひこの夏はBunakamura ザ・ミュージアムまで!

 

サティ12

 

【情報】

「エリック・サティとその時代展」

会場:Bunkamura ザ・ミュージアム

会期:2015年7月8日-8月30日 開催期間中無休

開館時間:10:00-19:00(毎週金曜、土曜は21時まで)

HP:http://bunkamura.co.jp

 

文 / 藁科早紀