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記憶と夢の結晶に触れる、「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」

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2023年12月16日

記憶と夢の結晶に触れる、「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」


記憶と夢の結晶に触れる、「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」

 

トップ画像:展示風景より、左から「ランプ(オバQ)[大]、[小]」(1972)、「光の椅子」(1969)、「光のテーブル」(1969)

 

 

倉俣史朗(1934-1991)は、1960年代以降のデザイン界で世界的に高い評価を受けた日本のデザイナー。彼の作品は、従来の家具やインテリアデザインでは見られなかったアクリル、ガラス、建材用のアルミなどの工業素材を使用し、独自の詩情を加えることで特に1970年代以降、世界的な注目を集めた。代表作には《ミス・ブランチ》(1988年)や《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》(1986年)などがある。また、1980年以降のイタリアのデザイン運動「メンフィス」への参加も、彼のデザインを解放し、キャリアを輝かせた。

 

そんな倉俣の生涯と作品を振り返る展覧会「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」が、東京都世田谷区の世田谷美術館で開催されている。この展覧会は、没後30年を超えて、これまであまり公開されてこなかった資料も含め、あらためて倉俣史朗という人物と彼の作品を紹介し、再評価する機会となっている。

 

展示内容は、倉俣の三愛時代の仕事から始まり、彼のキャリアを内面や思考の背景といった「倉俣史朗自身」と紐づけながら、4つのパートに分けて紹介。途中には、「倉俣史朗の私空間」と称して、愛蔵の書籍とレコードの展示や、エピローグでは、彼のイメージ・スケッチやこれまでほとんど公開されていなかった夢日記や言葉が展示され、多角的に倉俣史朗に迫るものとなっている。

 

展示風景より、左から倉俣史朗「トワイライトタイム」(1985)、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」(1986)、「シング・シング・シング」(1985)

 

展示風景より、倉俣史朗「硝子の椅子」(1976)

 

以下、本展を紐解くキーワードのうち、3つを基に簡単に紹介する。

 

 

三愛ドリームセンター

2023年2月に解体が発表された「三愛ドリームセンター」は、日建設計でチーフアーキテクトとして活躍した建築家・林昌ニの設計。銀座4丁目交差点に建つ円筒形のビルは、曲面ガラスの外壁が内照されて銀座の中心に現れる光の柱のような建築であった。設計当時、この計画を聞きつけた倉俣史朗は、1957年に株式会社三愛に入社し、「三愛ドリームセンター」のプロジェクトに深く関わることに。売り場の導線やストックヤードの配置、ショーケース、ハンガーラック、値段札までのデザインと設計を担当している。また、伝統的な木材の代わりに構造を維持する限界まで透明アクリルを使用し、斬新なデザインを実現した。

 

このプロジェクトを通じて、倉俣は恒久的な住宅やオフィスのインテリアデザインではなく、都市の商業空間におけるインテリアデザインへの志向を強めた。彼は、消滅する虚構性を持つ現実の社会や経済からインスパイアされる実験的なインテリアデザインに問いを投げかけ、1965年にデザイナーとして独立した後も、この探求を続けている。独立後の初期の仕事には、同じく林昌ニ設計のパレスサイドビルの飲食店やサインデザインが含まれており、地方都市の小規模な飲食店や服飾店のインテリアデザインも手掛けていた。

 

 

 

展示風景より

引出しの家具

《引出しの家具》シリーズは、独立後間もない頃に、倉俣が依類ではない家具の自主制作として始めたもの。これには、「つくってみたい」という根源的欲求だけではなく、製造や流通を含めた状況への問いがあった。1969年の対談において倉俣は、当時自費で試作するデザイナーがあまりおらず、外部の出資や商品化の機会に便乗するその態度の甘さや、スケールの大きい海外の家具を日本が超えられないことについて語っている。

 

また、倉俣は引出しについて、“なかに入っているものへの期待を導くもの”と捉えていた。多数の引出しは、なにかを仕舞うという実用途以外にも、その存在によって人間と家具との間に対話を生み出すものと考えた。倉俣はまた別のインタビューで、「コミュニケーションを生み出すこと、人間とオブジェとの会話を作り出すこと」が最も重要だと答えている。彼の作品は、私たちに家具以上の物語やイメージを語りかけてくれる。

 

 

 

展示風景より、倉俣史朗「ミス・ブランチ」(1988)部分

ミス・ブランチ

1989年にフランス・パリのギャルリー・イヴ・ガストゥで開かれた倉俣史朗の個展で発表した《ミス・ブランチ》は、大きな話題を呼んだ。作品タイトルは、テネシー・ウィリアムズによる戯曲「欲望という名の電車」のヒロインからの引用で、造花のバラをアクリルで閉じ込めたデザインで、その可愛らしさと同時に浮遊感や時間が止まったような不思議な感覚を演出している。倉俣はデザインとアートの境界についてよく語り、彼の作品は機能性を超えた芸術作品として世の中に認識されていた。本展では製造年のそれぞれ異なる3脚の《ミス・ブランチ》が展示されているので、その違いを見比べるのも楽しい。

 

倉俣は過去の発言においてデザインとアートの関係を、「ガラス(アーティスト)とプラスチック(デザイナー)」に例え、ユーモアを交えてその区別がないことを強調している。また、別の機会には「…海を上から見ると透明なんだけれど沖の方から波がやってくる。その波を見ていて、それがガラスの断面のように見えて、すごくきれいなんだ。…ガラスの断面のなかになんか「過去」と「未来」が同居しているのではないかという感じ。それに対して、板材のガラスの平面というのは、これは「現在」。たとえばガラスが何かのショックで割れるでしょ。割れたとたんにそれは「過去」になっちゃう(「現存」しない)。そのあたりが面白い。」※と発言し、透明な素材としてのガラスのもつ性質を哲学的に捉えていたことがうかがえる。

 

一方でこの頃、「ガラスがプラスチックをまねる時代に入った」とも発言しており、この時期には、アクリルを積極的に使用し、「オブローモフ」や「ヨシキ ヒシヌマ」などの店舗デザインで、ピンクや黄色などの透明なアクリルを使い、視覚的な音楽体験を表現している。「スパイラル」では、大判のカラーアルマイト仕上げスクリーンとカプセル型のアクリルショーケースを用いて空間を演出するなど、彼の作品は単なる家具を超えて視覚的なアートとしての価値を持っていた。

 

展示風景より、テネシー・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」

 

展示風景より、倉俣史朗「ミス・ブランチ」(1988)

 

展示風景より、倉俣史朗愛蔵の書籍やレコード

 

 

本展覧会は、上記以外にも倉俣自身の言葉も多数紹介され、彼の人となりやデザイン哲学に迫っている。若い世代に倉俣史朗というデザイナーの影響力を伝えるとともに、同時代を生きた人々に彼の功績を再認識させる機会となるだろう。また、デザイン愛好家だけでなく、幅広い方にとっても魅力的な展示内容となっているので、この機会にぜひ足を運んでいただきたい。

 

※「ガラスあるいは浮遊への手がかり 倉俣史朗が語る」、『SPACE MODULATOR』第58号、1981年2月

 

 

文=鈴木隆一

写真=新井まる

 

 

【作家プロフィール】

倉俣史朗(Shiro Kuramata)

1934年に東京で生まれる。駒込の理化学研究所内で育った幼年期の思い出と、第二次世界大戦中の疎開先での光景が、その後の倉俣のデザインに通底し続けた。1965年の独立後は、次々と話題となる店舗デザインを発表し、同時代の美術家とも親しく交流した。1980年以降はイタリアのデザイン運動「メンフィス」に参加。その中心となったデザイナーのエットレ・ソットサスは、「ほかのデザイナーが電報を打っている時に、シローだけが俳句を詠んでいた」と語った。

 

【展覧会概要】

会期|2023年11月18日〜2024年1月28日

会場|世田谷美術館

住所|東京都世田谷区砧公園1-2

電話番号|050-5541-8600(ハローダイヤル)

開館時間|10:00〜18:00 ※入場は17:30まで 

休館日|月(ただし1月8日は開館)、年末年始(12月29日~2024年1月3日)、1月9日

料金|一般 1200円 / 65歳以上 1000円 / 大高生 800円 / 中小生 500円

https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00216



Writer

鈴木 隆一

鈴木 隆一 - Ryuichi Suzuki -

静岡県出身、一級建築士。

大学時代は海外の超高層建築を研究していたが、いまは高さの低い団地に関する仕事に従事…。

コンセプチュアル・アートや悠久の時を感じられる、脳汁が溢れる作品が好き。個人ブログも徒然なるままに更新中。

 

ブログ:暮らしのデザインレビュー
https://ldesignreview.com/

 

Instagram:@mt.ryuichi
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【好きな言葉】

“言葉と数字ですべてを語ることができるならアートは要らない”

by エドワード・ホッパー