現在、雑誌『SWICH』で谷川俊太郎さんとタッグを組んで「恐竜がいた」を連載をしている下田昌克さん。
その他にも、世界旅行で出会った人たちの似顔絵を描きつづけ、それが週刊誌に連載され、その後書籍化されるなど…
その活動は絵だけではなく実に幅広い。
そんな下田昌克さんの活動のキッカケに迫るべく、girls Artalk編集部はインタビューを試みた。
girls Atalk編集部(gA):
2年にわたり世界旅行していたとお聞きしましたが…
下田昌克さん:
20代の頃ですね。バックパッカーみたいなもんです。だいたい20ヶ国ぐらい巡ったかな。
gA:
キッカケは何だったのでしょうか?
下田昌克さん:
会社を辞めて、ブラブラしながらアルバイトなんかしていたら100万貯まって、「あぶく銭だ!」と思ってさ(笑)
綺麗なホテルに泊まって、美味しいものを食べるのに、1ヶ月100万円あったら足りるかな。と思って、
そんなこと今までやったことないし、それがはじめての海外旅行でした。
gA:
はじめに向かわれた国はどこですか?
下田昌克さん:
神戸港から鑑真号という船に乗って中国の上海に行きました。
それから、だんだん旅行が楽しくなっちゃって、1ヶ月後にはチベットに行って、チベットの下にネパールがあると
聞いて、ネパールではインドから来ている人たちがいっぱい居たので…その人たちからインドの話を聞いてインドに
行って、そして再びネパールに行って…そしたら、今度はどこ行こうかな?と思って、世界地図を買ったんだよね!
ほら、外国の世界地図って真ん中がヨーロッパで日本が右の端っこにあるじゃない?それで、ヨーロッパの国々を
回ってたら2年が過ぎちゃってました(笑)
gA:
それでは帰国後に絵の仕事をされたということですか?
下田昌克さん:
世界旅行で日記帳をつけるながら会った人たちの似顔絵を描いてたんだ。
いっぱいあげちゃったりもしたんだけど、250枚ぐらい持ち帰って、女の子を描いたらあげちゃったりもして、
ここに残っているのはおじさんの絵ばっかりなんだけど(笑)帰ってきて 友達に旅行の写真を見せるような感覚で
似顔絵を見せてたら、それが人伝に週刊誌の編集部に渡ったのがキッカケでした。 帰ってきて半年目ぐらいかな?
そこから一年間週刊誌に一枚ずつ似顔絵が連載されて、それがはじめての絵の仕事でした!
gA:
皆さんどのようにして似顔絵を描かせてくれたのでしょうか?自分から思い切って「描かせてください!」と声を
かけるんですか?
下田昌克さん:
それもあるけど…道中で何となく知り合った人とご飯やお茶している時に、写真撮るような感じで絵を描き始め
ました。「描かせてください!」というより「描いていい?」みたいな感じで似顔絵を描いていた。そんな感じ
やっていると…その土地でだんだん”絵描き”という風に認知されてくるんですよね。それで、そのうちに「俺描い
てくれよ!」と向こうから声をかけてくれたり、それで気付いたらネパールで5ヶ月ぐらい遊んでいました(笑)
gA:
現地でのコミュニケーションは英語ですか?
下田昌克さん:
うん。全然下手なんだけど…ぽけーとしてたら楽な方に行っちゃうから、せっかく外国にいるのに周りが日本人
ばかりだと勿体ないじゃん! だから、意識して日本語から離れていました。
gA:
それまでは全く絵の仕事はされていなかったということでしょうか?
下田昌克さん:
もともとデザインの学校は卒業してたんだけど、デザインの学校に入学したのも東京に出てくる口実で…(笑)
gA:
ああ…(笑) なるほど。
下田昌克さん:
20代の頃、サラリーマンになりたかったんです。いろいろ仕事してたんだけど何やっても続かなくて…25歳で
最後の会社をクビになって、自分が何をしたらいいのか分からなくなって、それで一度、仕事から離れようと
思いました。ブラブラしながらアルバイトしてたら100万円の貯金がたまって、さっきの世界旅行と週刊誌の
連載話につながります。
gA:
それでは、帰国後からずっと絵の仕事をされていたということでしょうか?
下田昌克さん:
いやいや、その間にもちょこちょこイラストレーションの仕事はもらったりしていましたが、それと同時に就職先も
探していたんだけど…結局、何やっていいのか分からなくて30歳を迎えてしまいました。
30歳になると求人が一気に減るんですよね。取り敢えず、一度絵の仕事1本でやってみて、ダメだったらまた考えよう!
アルバイト辞めて絵の仕事だけにしました。今考えれば…アルバイトしながら絵もやれば良かったんだけど(笑)
一本に絞ったほうが分かりやすいな。って…そしたら、何となく絵の仕事が貰えるようになって今に至ります。
gA:
雑誌『SWICH』で連載している恐竜の作品はどこから生まれたのでしょうか?
下田昌克さん:
今から4年前…2011年の夏、上野の国立科学博物館で開催していた『恐竜博』を見に行ったのがキッカケです。
幼い頃から恐竜、怪獣、ロボットが好きだったんですが、久しぶりに大きな恐竜の骨格標本を見たらすごく
かっこよくて。それで、ミュージアムショップで買い物する気満々だったのに欲しいものが何もなくて…
それで、家に帰ってから絵を描くキャンパスの布を使って切って丸めて、頭につけるツノとか作りはじめました。
それから恐竜の顔全体のものができて…今思うと第一号目はヨレヨレだったんだけど、顔にかぶってみると自分が
何かに変身するような、ぶわっと興奮するものがありました。
gA:
それワクワクしちゃいますね!テンションがハイになり、とても楽しいというか…
下田昌克さん:
絵とは違う何かがあって…そこから止まらなくなって今のように作りはじめました。
だいぶ恐竜の作品が溜まってきた頃、写真家の藤代冥砂さんが写真を取り始めてくれました。
打ち合わせや移動中にもいつも恐竜を持ち歩いていたら、仕事の打ち合わせで谷川俊太郎さんにお会いして、
そしたら谷川さん躊躇せずかぶってくれて… それからお会いする時は一番新しい出来立ての恐竜を持って
行きました。そしたら谷川さんが「詩を書くから連載できるところ探してきて。」って言ってくれて、
谷川さんの主導のもと『HUgE(ヒュージ)』という雑誌で連載がスタートしました。
そのことがなかったら日の目を浴びることはなかったと思います。
gA:
日の目を浴びてよかったです!ちなみに一つの制作期間はどれくらいなんですか?
下田昌克さん:
頭だけだと2〜3週間ですね。
gA:
雑誌『SWICH』では月刊の連載ですよね?
下田昌克さん:
そうなんです…一ヶ月一体のノルマがありますから(涙)
gA:
今で何体ぐらいつくってきたんですか?
下田昌克さん:
全部で50体ぐらいですね。だけど、最初の20体ぐらいは上達期間。
今のものと一緒に並べちゃうと差がありすぎて…
gA:
どんどん作っていくと恐竜の種類がなくなってネタが尽きてきませんか?
下田昌克さん:
それが作るためにどんどん調べていくと詳しくなるにつれて面白くて、最初は見た目でティラノザウルスとか
トリケラトプスとか作っていたんだけど、だんだん恐竜じゃないものも作るようになっていきましたね!
gA:
恐竜じゃないもの?混ぜちゃうということですか?
下田昌克さん:
例えば、人間の頭蓋骨に恐竜のツノをつけたり、山羊の大きな渦を巻いたツノがアンモナイトみたいだなと思って
作ってみたり、自分がかぶりたいものを作ったり、カルカルトントサウルスとか名前の響きが好きだから作って
おこう!とかね(笑)
gA:
名前の響きですか(笑) 制作される際は写真を見ながら作るんですか?
下田昌克さん:
そうだね、調べて作ります!
だいたい図鑑とかに記されているのは恐竜の横顔だけなので、博物館に足を運んで恐竜の立体物をスケッチします。
恐竜の顔の正面や後頭部とか…その他にも、よくできている恐竜の模型が販売していたらついつい買ってしまいます。
gA:
図面とかは起こすんですか?
下田昌克さん:
いや、図面とかわかないので、作り方が分からなくて…まず恐竜の骨の横顔を布に描いて切り抜いて、
何が足りかないかを考えながら、足していったり、引いていったりしていく感じです。
gA:
考えながら作るということですね。
下田昌克さん:
例えば、正面の三角形を足したら恐竜の顔になるのかな?とか、最初からどんな形を縫い合わせれば立体になるか
分かるといいんだけど…なかなか分からなくてね。
gA:
その作業に加えて綿を詰めてミシンで縫いながらですしね。
下田昌克さん:
そうなんですよね!一個できるたびに筋肉痛になります。 針とか折れるのが怖いからゴーグルしながらミシン
かけたり、ひっちゃかめっちゃかです。
gA:
想像すると壮絶ですね…出来上がったら、自分でかぶってみたりするんですか?
下田昌克さん:
基本的に全部自分で被るために作っています。人間の目の位置と恐竜の目の位置を合わせるのがいつも上手く
いかなくて。でも、自分でかぶっちゃうと確認できないから、近くにいそうな友達に片っ端から連絡しては家に
来てもらって、作品をかぶってもらって客観的に「ここをこうしよう!」とか、この部分を「ああしよう!」とか、
調整をするためのバランスを確認したりしています。
gA:
楽しそうですね「恐竜の日」(笑)
下田昌克さん:
マネキン買えって話ですけどね。
gA:
雑誌『SWICH』の連載では下田さんご本人がかぶっているんですよね?
下田昌克さん:
それから、写真の上から絵も描いています。でも、これも恐竜の作品と一緒で…一回目と今とで上達してしまって、
差が生まれちゃっているんですよね(笑)
gA:
やっぱり恐竜ということで『ジュラシック・パーク』の映画作品なども好きですか?
携帯ケースが『STAR WARS』ですし(笑)
下田昌克さん:
映画好きですよ!!!
小学生の高学年の頃から僕の親は一人で映画館に行くのは許してくれていたので、昔から一人で何でも観ていました。
gA:
絵を描いたり、恐竜を作っている時以外は、何をされていますか?趣味とか…
下田昌克さん:
趣味が絵を描いたり、物を作ったりだからね。 趣味が高じて…今もあんまり働いている感がないんです。
gA:
お休みの日とかは?
下田昌克さん:
だいたい休みみたいなものなので (笑) 本当に遊んでばっかり!25歳で会社辞めてからゴールデンウィークならぬ、
ゴールデンイヤーに突入しているかんじですよ。
gA:
じゃあ、今されていることは天職ですね!
下田昌克さん:
好き好き! でも、そんなに上手じゃないんですけどね(笑) 美術を専門にしている高校だったんですが、
学科試験がなかったから受けたんですよね。美術の先生に「学科試験ないから、試しに受けとけ!」って言われて…
たまたま受かっちゃって!でも、同級生は美大を目指しているから、デッサンとか凄く上手くて、追いつけませんで
した。で、高校一年の時に先生から「君、美大無理だね。」って言われて(笑) 「そーなんだ。みんな上手いからしょう
がないよね。でも、高校入れたからラッキー!」ぐらいに思って、そこから絵はマジメに描かなくなりました。
絵が描けなくても出来るものは何だろう?と思って、それでデザインを専攻して、なるべく絵を描くことと関係ない
ものを選びました。それで、東京に桑沢デザイン研究所があると知って「そこだなー!」と思って受験しました(笑)
gA:
でも、見せていただいた似顔絵では豊かな色彩で描かれてたり、高校で培ってきた経験が生かされているんじゃないですか?
下田昌克さん:
いやー!高校の頃は全然絵を描いてなかったからねー!今思うと…夏休みの宿題の絵日記さえ一度もちゃんと描いて
なかったです(笑) でも、旅行とかしたら日記書きそうじゃない?!それで、スケッチブックと色鉛筆を鞄に入れてい
て…はじめは風景を描いていたのが、そのうち会った人を描くようになって、人をモデルにする時って目の前で待って
くれているんですよね。だから、早く描かなきゃ!って思って、目の前にある道具を使って急いで描いていたら…
必然的に今の絵のスタイルなりました。 高校の時を思い出したら…油絵とか日本画とかかじったんですが、全然好き
じゃないんですよねー。それ自体が好きか嫌いかとかじゃなくて、準備や後片付けが嫌いだったんだなーって(笑)
gA:
面倒くさかったんですね(笑)
下田昌克さん:
そうそう!色鉛筆だと…パカって開けたら始められて、閉じたら終われるし。しかも、乾かさなくていいですからね。
俺向き!…とは当時は思っていなかったけど、結果自分にあっていたようです。
gA:
好きな音楽はありますか?
下田昌克さん:
ぐっちゃぐちゃ、なんでも聞きます!邦楽、歌謡曲…井上陽水とかジュリーとかになっちゃうんだけど。
洋楽、ロック、…なんでも。仕事で会う人に色々教えてもらいます。最近だと、クラシック音楽も聞きます。
自分が大人になってチケットを買って、クラシックのコンサートに足を運ぶようになるとは思っていなかったです。
gA:
好きな音楽家はいますか?
下田昌克さん:
グスターボ・ドゥダメル。
南米ベネズエラの指揮者なんですが…“エル・システマ”という音楽教育にも力を入れていて、それを追った
ドキュメンタリーでは、今まで子どもたちは楽器を持ったことがなくて、おもちゃのバイオリンを作って練習する
ところから始まるみたいです。しかも!その音色を聴いていると南米のリズムが入っていて面白いんだよ!
サントリーホールでのコンサートの時に、一列目の真ん中で見たことがあって、そしたら、指揮をする手の指先から
音楽が溢れてくるような…ディスニー映画作品「ファンタジア」でミッキーマウスが魔法使いの弟子で、魔法で波を
動かすんだけど、本当に魔法を見ているみたいでした。
gA:
尊敬するアーティストさんはいますか?
下田昌克さん:
ピカソ!作品というよりかはピカソそのものが好きです。
作品もだけど、ピカソ自身がカッコイイ!あと顔も好き(笑)
gA:
最後にgirls Artalk読者のメッセージをください。
下田昌克さん:
僕も美術館とか、ギャラリーとか、あんまり行かないのですが…映画館とか、LIVEとかに足を運ぶように美術館に
行ったり、LIVEや遊園地に行くような感覚で展覧会も楽しめるといいですね。
これまでの人生を振り返りながらニコニコと話す下田昌克さん。
終始気遣ってくれるその優しさに、インタビューをしている私たちも笑顔になるが…なかなかドラマチックな
生き方をしている。この人の人生そのものがアートであり、エンターテイメントそのものなのだと思った。
文 / 新麻記子 写真 / 洲本マサミ (SUMODESIGN LLC.)
【プロフィール】
下田昌克(しもだまさかつ)
1967年兵庫県生まれ。1994年から1996年まで世界を旅行。現地で出会った人々のポートレイトを描く。
この旅の絵と日記をまとめた「PRIVATE WORLD」 (山と渓谷社) をはじめ、「ヒマラヤの下インドの上」
(河出書房新社)など著書多数。近著に谷川俊太郎との絵本「あーん」 (クレヨンハウス)、「ぶたラッパ」
(そうえんしゃ)。最新刊は「恐竜人間」(恐竜制作・下田昌克/詩・谷川俊太郎/写真・藤代冥砂 PARCO出版)。
現在製作中の恐竜は、月刊誌「SWITCH」で谷川俊太郎さんと「恐竜がいた」というタイトルで連載中。