もし、あと3日しか生きられないとしたら?「ライアン・ガンダー われらの時代のサイン」
イギリスを代表するコンセプチュアル・アートの新騎手であるライアン・ガンダー(Ryan Gander)の東京の美術館では初の大規模個展「ライアン・ガンダー われらの時代のサイン」が、東京オペラシティアートギャラリーで開催中だ。昨年の開催を予定していた本展は、コロナ禍により延期となったにもかかわらず、その期間代替として「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展(2021/4/17〜6/24)」を開催。ようやく、今回待望のライアン・ガンダー本人の個展となった。
オブジェや写真、インスタレーション、絵画、映像など多くのメディアを用いる彼が、今回の展示に際して掲げたキーワードは“時間”。知的でユーモア溢れる個々の作品たちは、実にさまざまなスケールや密度の時間を感じ取ることができる。
ガンダーは本展について、以下のように語っている。
「時間の価値を人々はどう考えているだろうか。これから3日しか生きられないとしたら、インスタグラムを見て過ごすだろうか。人々はすでに手にしている自由を使うことなく、同じことを繰り返して日々を過ごしている。本当に大切なのは、私たちのアイデアや考え、各々の瞬間の出来事なのではないか。それらは目に見えないから、価値を置くことを忘れてしまう。時間が何より大事であり、世界が自分の力によって回ることを知ること、本展にある作品はそうした考えによるものだ」。
彼の言葉をヒントに、“この作品にはどんな時間があるか”を想像しながら作品をみると、より理解が深まるだろう。
《野望をもってしても埋められない詩に足りないもの》(2019-2020)
ガンダーが大切にしているのは、普段は気に留めることすら忘れている、あたりまえの物事への着目。会場入口から続く床には、黒い四角形のカッティングシートが散りばめられていることに気づく。これらのシルエット《野望をもってしても埋められない詩に足りないもの》(2019-2020)は、展示される国の通貨やクレジットカード、航空券、タイムカードなどをかたどったもので、それぞれのカードが持つ個々のアイデンティティと、それに関して消費される時間との関係性を表している。私たちの身の回りにあるさまざまな価値や機能、記憶の大小が、四角くて薄い形だとシルエットで捉えて改めて認識できる。
あなたをどこかに連れて行ってくれる機械》(2020)とライアン・ガンダー
同じく入口近くには、壁のスチールパネルに組み込まれた発券機《あなたをどこかに連れて行ってくれる機械》(2020)があり、非接触センサーが反応して紙のチケットが発券される。そこには地球上のどこかの座標が500ヶ所(海を除く地上のどこか)からランダムに印字され、美術館に居ながらも私たちを知らないどこかへ連れ出してくれる。展示空間に入ってすぐに、“外の世界にはもっと楽しいことがあるよ!”と鑑賞者に気付きを促すガンダー。床の航空券のシルエットとイメージが重なるところも面白い。
江戸時代の哲学者である三浦梅園は「枯れ木に花咲くに驚くより 、生木に花咲くに驚け」という言葉を残しているが、ガンダーの作品は、あたりまえの日常の中にあるワクワクや楽しみを私たちに気づかせてくれる。
《タイーサ、ペリクルーズ;第5幕第3場》(2022)
グラファイト(黒鉛)でできた人型の彫刻《タイーサ、ペリクルーズ;第5幕第3場》(2022)と《脇役(バルタザール、ヴェニスの商人:第3幕第4場)》(2019-2020)は、演劇の舞台袖で出番を待つ脇役をモチーフにした作品だ。彼らはたった一言のセリフを何度も練習し、その瞬間を待ちわびる。出番の時間よりも圧倒的に長い練習時間とそこに賭ける彼らの集中力がピークを迎える、最も濃く圧縮された時間が表現されている。周囲の壁のグラファイトの擦れた汚れからは彼らが動いた痕跡が感じ取れ、舞台の瞬間に向けた、過去の時間の蓄積を想像させる。
《クロノス・カイロス19.04》(2022)
時間に関する興味深い作品としては、ステンレス製の針のない壁掛け時計の彫刻《クロノス・カイロス19.04》(2022)がある。文字盤が少しずれたかたちで重なった時計は、2つの異なる時間が同時に存在しているかのように見える。タイムリープして過去を変えるというのはSFでよくある手法だが、この時計の文字盤はどちらが過去でどちらが未来かは明確に分からない。物理学の世界では、時間が過去から未来に流れているのは人がそう感じているだけで、本来は過去・未来の順序や区別はなく、出来事どうしの関係性のみがあるともいわれている。
《最高傑作》(2013)石川文化振興財団蔵とライアン・ガンダー
左:《あの最高傑作の女性版》(2016)国立国際美術館蔵、右:《最高傑作》(2013)石川文化振興財団蔵
《最高傑作》(2013)と《あの最高傑作の女性版》(2016)は、“美術館に目があったら…”と視点をずらすことで風景が変わって見える、ガンダーの遊び心ある作品だ。センサーが鑑賞者に反応して、通常見られる立場にある展示空間の壁がこちらを見返してくる。相互に“見る / 見られる”の関係になることで、作品を見ているのに見られてもいると感じる違和感そのものが作品といえるのではないか。2つ作品が1つの壁に展示されるのは、今回が初めてだ。
《もはや世界はあなた中心ではない》(2008)大林コレクション蔵とライアン・ガンダー
《もはや世界はあなた中心ではない》(2008)は、ガンダー考案の「美術・デザインの新しい学校」のプランを現地の美術大学生の協力により描くという作品。牢獄の看守に着想を得たという回遊性のあるプラン。学生たちは校内で常に公共の目に晒される仕組みで、ここにも“見る / 見られる”の関係が内包されている。
《はじめに、言葉がある以前は、そこには……》(2021)
人類と他の霊長類を決定的に分けたとされる火の存在を象徴的に表現しているのが《はじめに、言葉がある以前は、そこには……》(2021)だ。石や薪などを黒いブロンズで鋳造したパーツを、展示毎にその場で組むのだそう。
火が使えることで安全・安心な時間が生まれ、生きること以外を考える暇ができ、人類に備わっていた想像力が開花しいていく……。文明発展の過程も、もしも火がなかったら起こらなかったのだろうか。壮大な時間の物語を私たちに語りかける。
《すべては予定通り》(2022)
手前:《ひっくり返ったフランク・ロイド・ライト+遠藤新の椅子、数インチの雪が積もった後》(2022)
《すべては予定通り》(2022)と《ひっくり返ったフランク・ロイド・ライト+遠藤新の椅子、数インチの雪が積もった後》(2022)の2点は本展に合わせて製作された新作だ。フランク・ロイド・ライト設計の名建築、自由学園明日館のためにデザインされた遠藤新の椅子を用いて、一方には死にかけの小さな蚊の彫刻、もう一方には大理石の雪が積もっている。蚊は展示期間中ずっと瀕死の状態が続き、雪は今まさに積もったかのような状態が溶けずに残り続ける。本来であればたまたま居合わせないと出会えない刹那の状態が、そこにあり続けることに違和感を覚えるだろう。
ここまで紹介してきたとおり、本展では“時間”というキーワード1つとっても、様々な角度での見方を提示してくれる。この他にも、雪のアニメーションのJavaScripttしたステンレスプレート、解けないクロスワードパズル、2032年の未来からやってきた25米ドルコイン、石のかたちをしたフォント、ただの石ころやダイヤモンドがはめ込まれた石、鋳造された様々なものがランダムに出てくる自動販売機……など、耳にするだけでもワクワクする作品が会場のいたるところに展示されている。また、会場上階では「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」も開催されているので、こちらも見逃さないようにしたい。
「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」会場風景
文=鈴木隆一
写真=新井まる
【アーティスト プロフィール】
ライアン・ガンダー(Ryan Gander)
1976年イギリス・チェスター生まれ。現在はロンドンとサフォークを拠点に活動。美術作品や普段の生活で遭遇する物事を素材にオブジェ、インスタレーション、絵画、写真、映像、印刷物など多彩な表現手段を用いる。コンセプチュアル・アートの旗手として知られ、鑑賞者の認識を拡張するような作品を制作する。
日本国内では、11年に個展「墜ちるイカロス 失われた展覧会」(東京・メゾンエルメス)を開催したほか、ヨコハマトリエンナーレ2011、岡山芸術交流2016などにも参加。また、17年に個展「この翼は飛ぶためのものではない」、美術館のコレクションを活用した「ライアン・ガンダーによる所蔵作品展 かつてない素晴らしい物語」(ともに国立国際美術館)が開催された。
【展覧会情報】
ライアン・ガンダー われらの時代のサイン
会期:2022年7月16日〜9月19日
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
住所:東京都新宿区西新宿3-20-2
電話番号:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:11:00〜19:00(入館は18:30まで)
休館日:月(祝日の場合は翌火曜)、8月7日
料金:一般 1400円 / 大学・高校生 1000円 / 中学生以下 無料
https://www.operacity.jp/ag/exh252/
トップ画像:《最高傑作》2013 公益財団法人石川文化振興財団