謎めいて美しい「建物としての自画像」とは? マーク・マンダースの奥深い世界に浸る
2021年3月20日(土・祝)から6月20日(日)の期間、東京都現代美術館で『マーク・マンダース ―マーク・マンダースの不在』展が開催されています。
1968年オランダ生まれのマーク・マンダースは、ドクメンタ11(2002年)や第55回ヴェネチア・ビエンナーレ(2013年)へ出展し、ヨーロッパやアメリカで巡回展を行うなど、国際的に評価されている現代美術作家で、本展は、国内美術館としては初となる個展となります。今回は展示の見どころを、内覧会における作家とのオンライン質疑応答を含めてご紹介しましょう。
《4つの黄色い縦のコンポジション》2017-2019 彩色されたブロンズ、木、鉄
1.マーク・マンダースのコンセプト「建物としての自画像」
美術鑑賞は、会場で感じたものをそのまま受け取るのも楽しみ方の一つですし、マーク・マンダースの作品は個々の作品が静謐で美しいため、鑑賞するだけでも充分に堪能することができます。一方で、ある程度作家や作品のことを頭に入れてから鑑賞したいという方はマーク・マンダースの構想やコンセプトを知ってから来場すると、より楽しめるでしょう。
《乾いた土の頭部》2015-2016 彩色されたブロンズ
マンダースのコンセプトは「建物としての自画像」です。作家自身が架空の芸術家として名付けた「マーク・マンダース」の自画像を、想像の「建物」の枠組みを使って構築する、というのがマンダースの構想になります。
この場合の「自画像」とは、一般的に理解される自分自身の肖像画というよりは、思考や記憶など、作家本人の全てを包括しているものです。「建物」というのは、マンダースの想像上のフロアプランであり、部屋のサイズや床の面積など全てを含めているそうです。今回の展覧会で言えば、展示全体が一つの作品であり、「自画像」であるといえるでしょう。
《夜の庭の光景》2005 木、ガラス、砂、その他 ゲント市立現代美術館(ベルギー)蔵
例を挙げると、真鍮と釘の作品《短く悲しい思考》はマンダースの目の高さであり、釘の間が目の間の距離になっているそうです。また、本展で特にユニークな空間《ドローイングの廊下》のドローイング作品を観ていると、マンダースの頭の中を覗いているような感覚に陥ります。他にも靴やティーバッグなど、作品を構成する日常的な道具の数々には作家の痕跡があり、展示全体を通して自画像が構成されているように感じられるでしょう。展覧会にマンダース本人は存在しないのですが、不在であるという事態が存在を強調しているように思います。
《短く悲しい思考》1990 真鍮、釘
《ドローイングの廊下》1990-2021 紙に印刷、ロープ、洗濯バサミ
《ドローイングの廊下》1990-2021 紙に印刷、ロープ、洗濯バサミ
2.作品を知る上でのヒントやキーワード
今回、マンダース作品を鑑賞する際のヒントになると思われる言葉として「テンション」と「センテンス」が挙げられるでしょう。
「テンション」は緊張や不安など、マンダース作品を鑑賞する際に受け取る印象を、複数包括できる言葉です。例えば《マインド・スタディ》などのいくつかの作品に登場するロープや紐(に見えるもの)などは、緊張や引っ張りあい、そこから派生して距離感や関係性などを想起させます。
《マインド・スタディ》2010-2011 木、彩色されたエポキシ樹脂、彩色されたセラミック、彩色されたカンヴァス、鉄 ボンネファンテン美術館(マーストリヒト、オランダ)蔵
本展の鑑賞にあたり、作品との対峙は、最初は穏やかで控えめに始まりますが、緊張感や強度の波を感じる作品や場所があるでしょう。大小のモチーフの組み合わせや、通常は並ぶことのないもの、ひび割れた彫像やビニールの脆さなど、異質なものが一堂に会しており、作品のインパクトや場に生まれる力を味わうことができるのです。
《狐/鼠/ベルト》1992-1993 彩色されたブロンズ、ベルト
マンダースは彫刻家である前は小説や詩を手がけていました。マンダース作品において、言葉はオブジェにもなっていますが、特に作品《完了した文(センテンス)》のタイトルにも見受けられるように、「センテンス」という概念は、マンダース作品を知る上で重要なヒントであるように思います。
《完了した文》2003-2020 鉄、ティーバッグ、ロープ、紙にオフセット印刷、靴
センテンスは言葉、言葉の要素、ひと連なりの言葉などを想起させます。例えばマンダースは新聞を使った作品を制作していますが、この新聞は実在のものではなく、単語をその中で一度だけ使うという自己ルールに基づいてつくられており、文章や構文としての意味は成していません。全ての言葉を一度だけ使うということで、一つの世界を構成するとも捉えられますし、意味をばらばらにして解体しているとも考えられます。
《パースペクティブ・スタディ》2014-2016 紙にオフセット印刷とアクリル、金網、アルミニウム 東京都現代美術館蔵
見えているものがそのままの意味を持たず、観客に思考を促すのはマンダース作品の特徴の一つといえます。例えば、塑像に見えるものや、テンションを感じさせる紐やロープはブロンズでできていたり、実在するものと縮尺を変えている作品もあります。そうした特徴は、キャプションやタイトルとともに、作品を注意深く見ないと分からないのですが、作品全体が醸し出す不安や不穏な印象は、見た目からのずれにも由来しているといえるでしょう。
《乾いた土の頭部》部分 2015-2016 彩色されたブロンズ
※綱や紐、ロープが構成要素の一つのように見えるが、材質には見当たらない
《舞台のアンドロイド(88%に縮小)》2002-2014 鉄、木、彩色されたエポキシ樹脂、彩色されたカンヴァス、衣服
※多くの人は「縮小されている」と言われないと分からないであろう、ぎりぎりの縮小率で作られている
3.マーク・マンダースの素顔の一部
作品を知るに当たり、作家本人を知ることは理解の助けになるでしょう。今回はプレス内覧会における質疑応答でのマンダースの回答をいくつか紹介します。
Q:マンダース氏の作品には、彫刻や機械(machine)とともに、文字で書かれたオブジェ(新聞や本など)もしばしば登場します。マンダース氏が好き、もしくは影響を受けた小説や文学があれば教えていただけますか。
この質問に対しマンダースは、かつてフランツ・カフカの短篇集を次から次へと読んだと回答しました。カフカの作品に漂う不安や不条理、密かなユーモアはマンダース作品の雰囲気と共通しているように感じます。一方でマンダースは、彫刻は制御しにくいが、3次元であるがゆえに触れるし、難しい主題に対して間接的に触れられるという点に可能性を見出しており、自分には彫刻が合っているといいます。また制作が楽しみであるとも言っていました。
作家当人が制作手段が自分に合っていると感じ、また作品作りを楽しんでいるということは、マンダース作品全体に、カフカの世界に立ち込める独特の暗さではなく、奥ゆかしいポジティブさが漂う理由であるように思いました。
《3羽の死んだ鳥と墜落する辞書のある小さな部屋》部分 2020 3羽の剥製の鳥、カンヴァス、緩衝材、木、ビニール袋、紙にオフセット印刷、紙にアクリル絵具、パピエ・マシェ、木
Q:作品をつくること以外に、趣味があれば教えてください。
マンダースは、作品づくりの他には、家具をつくることが好きで、週末はほとんど家具作りをして過ごしているのだそう。家具の一部が作品になっていたり、全体が家具に見立てられる作品もあるので、マンダースにとって趣味と制作は切り離せないものといえるでしょう。中には制作に30年近くかかる作品もあるとのことですので、恐らくマンダースの作品世界は、日常の中で常時生まれ、拡張を続けているのだと思います。
手前《リビングルームの光景》 2008-2016 木、真鍮、鉄、彩色されたエポキシ樹脂、アルミニウム、布、ロープ、砂、紙にオフセット印刷
本展はリモートで設置が行われ、マンダースはスカイプで指示しました。作家不在でという困難な状況にも関わらず、作品は自然に設置され、マンダースの思い描いた通りになったとのこと。またマンダースは、会場において作品が互いに対話しており、美術館の中で一つの長いセンテンスになっていると感じたそうです。会場全体が作家の自画像になっている本展は非常に見応えがあり、2021年の美術展の中で最も重要な展覧会の一つになるでしょう。是非この機会を見逃さずにご鑑賞いただければと思います。
マーク・マンダース氏
文=中野昭子
写真=新井まる、中野昭子
【展覧会情報】
マーク・マンダース ーマーク・マンダースの不在
会期 |
2021年3月20日(土・祝)~2021年6月20日(日) |
会場 |
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住所 |
東京都江東区三好4-1-1 |
時間 |
10:00~18:00(最終入場時間 17:30) |
休館日 |
月曜日 5月6日 ※ただし5月3日は開館 |
観覧料 |
一般 1,500円 大学生・専門学校生・65歳以上 1,000円 中高生 600円 小学生以下 無料 ※本展のチケットでMOTコレクションも観覧できます(ただし、東京都の方針でMOTコレクションは当面の間休止中) ※小学生以下の方は保護者の同伴が必要です ※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方と、その付添いの方(2名まで)は無料になります ※予約優先チケットあり |
TEL |
050-5541-8600(ハローダイヤル)、03-5245-4111 (代表) |
URL |