現代の空間で構築する、浄土への希求 『杉本博司 瑠璃の浄土』
1933年に開館した京都市美術館が、2020年5月に通称を京都市京セラ美術館としてリニューアルした。開館記念展の一つとして新館・東山キューブで3月21日から開催される予定だった『杉本博司 瑠璃の浄土」は、会期を変更し5月26日からスタート。京都とも縁の深い現代美術作家・杉本博司が、美術館のある京都・岡崎という地から構想を深めた、京都における初の大規模展だ。今回は、展覧会の様子をご紹介していく。
展示室入口には幔幕が掲げられている。そこに描かれている紋章は、杉本博司が設計した『江之浦測候所』がある小田原文化財団のもの。幔幕は元々式場などで使われるものだが、周囲の場と区別するための、境界としての役割を持つ。それでは杉本が表現する「浄土」の世界へ入っていこう。
「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景/© Hiroshi Sugimoto/撮影:小野祐次
展示室に入ると、まずは長い廊下がある。奥には煌くガラスの窓《瑠璃の箱(無色)》があり、手前から奥にかけては、硝子でできた小さな五輪塔が等間隔に並ぶ。《光学硝子五輪塔》というこの作品群には、杉本の代表作でもある「海景」シリーズが納められ、球形部分にモノクロの水平線を見ることができる。
《光学硝子五輪塔 日本海、礼文島》2012/1996
《海景》は斜めからも、近くからも見ることはできない。正面に立ち、ある程度の距離を保ったうえで初めて作品に向き合うことができる。そもそも五輪塔は、供養のための塔だ。上から宝珠形、半月形、三角形、球形、四角形の造形が連なり、それぞれ空風火水地を意味し、仏教の思想が色濃く反映されているものである。そんな五輪塔にひとつひとつ向き合い見つめながら奥に進むことで、見る者は浄土の世界へと誘われていく。
《瑠璃の箱(無色)》2009-2020年 ©Hiroshi Sugimoto
私はこのガラスの魔力に魅入られて多くの作品を作ってきた
(引用:『杉本博司 瑠璃の浄土』図録)
と語るように、ガラスという物質に神秘を感じ、これまで数多くのガラスを用いた作品を作り続けてきた杉本。特に歪みがなく限りなく透明に近い、光を屈折させるために作られた光学硝子を愛用してきたそうだ。そして作品を作る過程で生まれた破片を集めて作ったのが、この《瑠璃の箱(無色)》である。この作品は、窓でありながら外の世界を見ることはできない。ガラスが通す光と、そこから生まれる像を眺める窓なのだ。
《瑠璃の箱(青)》2020年 ©Hiroshi Sugimoto
その他に、青ガラスと緑ガラスを用いた《瑠璃の箱》も展示されている。これらは色フィルター用の原材だ。製造には重金属を使用するため、環境への負担が問題視されその製造は1970年代で中止された。この鮮やかで深い色味をたたえる美しいガラスの破片を、杉本はこう評している。
文明の儚い一時期に作られた美と罪の結晶だ。
(引用:『杉本博司 瑠璃の浄土』図録)
「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景/© Hiroshi Sugimoto/撮影:小野祐次
続いて入ったのは、「OPTICKS」シリーズが並ぶ部屋だ。杉本はこの15年、ニュートンによるプリズム実験の再現を行なってきた。ガラスにより分光され、壁に投影された光。その光に包まれ溶け込むような感覚を色面に落とし込んだのが、こちらの作品群である。
「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景/© Hiroshi Sugimoto/撮影:小野祐次
私は光を絵具として使った新しい絵(ペインティング)を描くことができたように思う。
(引用:『杉本博司 瑠璃の浄土』図録)
と杉本が語るように、こちらの作品は写真ではなく絵画として見ることができる。色と色の間にあるのは、境界線ではなく無限の諧調。それらを構成するひとつひとつの粒を見つめるようにグラデーションに注目するほど、色の世界に飲み込まれていく。
「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景/© Hiroshi Sugimoto/撮影:小野祐次
そして『瑠璃の浄土』の本堂とも言える、「仏の海」の空間へ。そこには千体の千手観音像と丈六仏の中尊を祀る三十三間堂で撮影した、今回初公開の中尊を含む19点の連作が展示されている。杉本は千一体の観音像を、実物の2分の1の像に焼き付けることを計画。鎌倉時代の光を再現するために、昭和・平成・令和の三代にまたぐ、20年もの期間を費やした。
薄暗く、横に広がる空間で見る光景は、まさに仏の海。ひとつひとつの波の形が違うように、観音像の顔つきも微妙に異なる。鎌倉時代の人々も、このように仏を見つめ、己と対話し、浄土へ向かうことを求めたのだろうかと想像する。静かに時が流れた。
《硝子茶碗 白瑠璃》2014年 © Hiroshi Sugimoto
杉本は現代美術作家として大成する以前、古美術商として生計を立てていた。そして現在もその趣味は続き、ガラスにまつわる考古遺物を中心に蒐集をしているそうだ。展示スペースのひとつ、”宝物殿”と呼ばれるセクションでは、古代のガラス玉や茶碗、瑠璃色に輝くガラスの小玉などが展示されている。
杉本がガラスという物質を通して見つめる世界は、共時的であり通時的であることを思わせる。そして自らの作品を時空を超えて残るものにしたいという願いも、これらの蒐集物から受け取ることができた。
「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景/© Hiroshi Sugimoto/撮影:小野祐次
最後の部屋には、瀬戸内海の直島にある《護王神社模型:アプロプリエート・プロポーション》と「海景」より《日本海、隠岐》が展示されている。2001年に再建を依頼され再生された護王神社は、神社の地下に古墳のような石室があり、地上の本殿との間を光学硝子の階が繋ぐ。生の世界の下にある黄泉の世界には、ほんのりと地上の光が差し込み、神秘的な感覚を得られる。
「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景/© Hiroshi Sugimoto
模型を横から見ていると、トンネルがあることに気づく。そこを覗き窓でもあり、身をかがめて覗き込むと、《日本海、隠岐》の水平線が見えてくる。
まるで寺社で参拝する時のように、ひとつひとつの作品にじっくり対峙できる展示内容。キャプションがほとんどなく、情報が適度に省かれた展示空間は、内面との対峙を促してくれた。京都へ足を運んだ際は、ぜひ訪れてほしい展示だ。
《硝子の茶室 聞鳥庵》2014年 京都市京セラ美術館での展示風景/©Hiroshi Sugimoto/Architects: New Material Research Laboratory / Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida. Originally commissioned for LE STANZE DEL VETRO, Venice / Courtesy of Pentagram Stiftung & LE STANZE DEL VETRO /撮影:小野祐次
展示会場を出て屋外に出ると、見事な日本庭園の池の中に浮かぶ《硝子の茶室 聞鳥庵(モンドリアン)》を見ることができる。千利休作と伝えられる、2畳の極小空間の茶室、「待庵」を意識して制作されたこの茶室は、400年前の茶室が、モンドリアンの思想を既に体現しているという杉本の発見が表されている。最初はベニスで展示され、ベルサイユを巡り、最終的に京都にたどり着いた。青々とした緑に囲まれた硝子の茶室の姿は、異質であるはずなのに風景に馴染む。ここでお茶をいただいたら、どのような感覚を得られるのだろうか。そう考えながら美術館を後にした。
文・写真:宇治田エリ
【開催概要】
■展覧会名 : 杉本博司 瑠璃の浄土
■会 期 : 2020年5月26日[火] – 10月4日[日] ※会期変更
■開館時間 : 10:00 – 18:00(事前予約制)
■休 館 日 : 月曜日(祝日の場合は開館)
■会 場 : 京都市京セラ美術館 新館 東山キューブ
■料 金 : 一般1500円、大学・高校生1100円、中学生以下無料(京都市内に在住・通学の高校生は無料。障害者手帳等を提示の方は本人及び介護者1名無料。確認できるものをご持参ください)
■主 催 :都市京セラ美術館開館記念展「杉本博司展」実行委員会 (京都市、京都新聞、毎日新聞社、MBS)
カバー写真:「杉本博司 瑠璃の浄土」展示風景/© Hiroshi Sugimoto/撮影:小野祐次