この人の脳内を覗きたい!篠田太郎さんにインタビュー(前編)
世界が注目する日本人アーティスト、篠田太郎さん(以下、篠田氏)。
美大出身ではなく、幼い頃から作品を作っていたわけでもなく。小学生のときの夢は”庭師”だったという篠田氏。
私達の思い描く”アーティスト”の型にはハマらない人だからこそ気になる!!!
ということでgirlsArtalk編集部は、そんな篠田氏が作品を生み出す事務所、通称”コックピット”にお邪魔してきました!
篠田氏については、現在英語での記事が多いということなので、日本語でのロングインタビューを前後編の2本立てで、たっぷりお送りしたいと思います!
前編は生い立ちに触れながら”篠田さんってこんなひと”的なことを、
後編では現在までの作品を元に制作への思いや今後の活動についてお伝えしていきます。
それでは前編に入ります!
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都内某所、のどかな住宅街を抜けたところに篠田氏たち(全3名でシェア)の作業場がありました。
超有名アーティストさんに会える、と緊張を隠せない様子のgirls Artalk編集部を出迎えてくださったのは穏やかな笑顔と、「ココアはお好きですか?」とう意外な第一声。
肩肘を張らない篠田氏に、私達も自然とリラックス。
さっそく作業場の奥に自分達で作ったという事務所の説明から…。
篠田氏:
「事務所は壁を作るところから始めて、身の回りの物も手作りしているものが多いんです。
コックピットみたいなオフィスが欲しくて、手が届く所によく使うものを配置していますね。
壁付けの棚は球体に包まれるようなイメージで作っていて、上に行くほど棚部分が大きいんです。以前水戸芸で割と大きな机を作って、それが返ってきたのでバラして作りました。」
椅子や棚等も手作り。完成度や座り心地の良さは感動ものです。
机や家具は壁に直接ベタ付けしているので脚がなく作業がしやすそうでした。
また、自転車が好きで、晴れの日は自転車で事務所まで通い、5日で約100㎞は走っているそうです。乗っている自転車は80年代のレースに実際出ていたもので、下り坂では時速100キロものスピードが出るのだとか。自転車トークをする篠田氏は少年のようでした。
お話しはアーティストになったきっかけへと。
20代後半、篠田氏に転機は訪れました。友達の家に居候していた時、友達が工員募集のチラシを持ってきて、工場で働くことになったのです。
工場では大きな板に機械で穴を開けていていましたが、使用するのは小さく、くり抜いた丸いパーツのみ。大きな板の方は不用品として捨てられていることに気づいて廃材に興味を持ったそうです。
篠田氏:
「工場の仕事も面白そうだなって思い、300人以上の工員がいるような広い敷地のところで働いたんですよね。最初は何を見ても楽しくて。アフター5で廃材を好きに溶接したりしながら”モノ”を作っていて、そのうち、もう少しちゃんとしたものを作ろうとしたんです。友人に見せたら”これってアートじゃない?”って言われて…。原美術館に持ち込みに行って、展覧会が決まったんです。知らないって怖いですよね(笑)。今の人たちに参考にならないキャリアですよね。工場で働いていたときにはアーティストになりたいなんて思っていなかったし…。」
このエピソードにはgirls Artalk編集部もビックリ!
篠田氏:
「20代の頃の自分てどうしようもなくて。何がやりたいかわからなくてぼーっとしているわけではないんだけど、現存している職業とかモノの中に自分としっくりくるものが見つからなくて…。じゃあ自分で作り出さなきゃいけないって思うのだけれども、どうしていいかわからない。悶々とした日々を送っていました(笑)。
美大も出てなければ、作品をいきなり飛び込み営業みたいに持ち込んで成功するって今じゃ考えられないかも知れないです。普通のキャリアじゃないのでなんとも参考にならないですね(笑)。僕も今、考えてみると”ああ、運が良かったんだなぁ”って自分でも思いますよ(笑)。」
篠田太郎さんより頂いた画像『milk』
近づいては離れる蛍光灯。マシーンなのにどこか生物を連想させるなめらかな動き…。
思わず無言で見入るgirls Artalk編集部。これを生で見ていたら時間を忘れてしまったでしょう。
工場で勤務していたときに廃材で色々なものを作っていたというお話しだったので、もっと工作のような作品を想像していたのでそのしなやかな動きを作る装置の複雑さにも圧倒されました。
作品にも篠田氏本人がまとっている”優しさとミステリアスの同居”のような不思議な魅力を感じます。
girls Artalk編集部:
「すごく行動的ですよね。美術館への持ち込みというのもそうですが、作品を作る環境をご自身で作り出していることからも、そう感じます。幼少期から大胆な性格でしたか?」
篠田氏:
「行動的かは自分では理解していなくて…。親しい友人は何人かいても案外人見知り。ほとんど引きこもりみたいにスタジオにいることが好きです。
でも小学生のころ、お小遣い欲しさに”犬の散歩・お買いものやります!”ってチラシを作って近所の電柱とかに貼っていました。自宅の電話番号を載せていたので電話が来るとお母さんに”それ僕宛の電話だよ!”って(笑)。」
とても利発な少年ですよね。ご自身では”普通”だと思っていたとおっしゃっていましたが、子供の頃から自分で仕事を作り上げていたお話しを聞いて、行動力は幼少期から既にあったのだと思いました。
続いて高校時代のお話しに。
篠田氏:
「高校は造園の専門学校に通っていました。基本的に設計・施工・管理の3本柱で、その中でも設計が一番好きだった。でも、それは思想を反映するとか、そういったものではなくて、見た目が美しいものとか…。あとは何かのコラージュのようなイメージで庭を作っていました。 それは工場に入ってからも同じで、”これが作りたい!”と思って作り始めるというよりも、もらったものを”これがどうできるか見てみたい”というか…。とっておく所もないので作っては捨て、作っては捨てていました(笑)。」
なんともったいない…!と思わず口からこぼれてしまったエピソード。
造園から始まり、自分で作った鉢を行商のように街に売りに行った時期もあったそうで、そこから工場、そして今ー。全ての過程が確実に現在の篠田氏を形成しているのだとインタビューを通して感じました。
そんな篠田氏、”アイデンティティの先天性と後天性”に興味があるようです。
篠田氏: 「双子の女の子が夕食を食べながらどういう風にメニューがシンクロしていくか…。という作品わかります?
”自分が今こう考えているのは持って生まれたアイデンティティなのか、それともその後の環境なのか”っていうのが気になって。双子の女の子って一応生まれたときは同じアイデンティティを持って生まれていて、でも生まれてからの経験が微妙に違う。食べるっていうのは本能的な欲求なのだけれど、例えばフレンチだと教育的な要素も凄く多い。肉には赤ワインとかいうのもあれば、マナーとか。10代の後半くらいの子がこれを経験することでどういう結果になるのかっていうのを見てみたくて。」
双子が高い椅子に座り、5皿を3択ずつ用意して1皿食べるごとに次のメニューを指さしてもらうという実験。なんと双子が選んだメニューの一致率は100%だったのだとか。とても不思議な結果ですよね。”日々の経験が今の自分の考えを作っている”と思うけれど、この実験ではそれよりも”本能”と”教育”の影響が色濃く出たということでしょうか…。
インタビュー後半ではそんな篠田氏の作品についてもっと深く聞いてみました!
文:山口 智子
写真:新井 まる