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死で際立つ、生の在り方 メッケネム作品から考える

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2016年7月28日

死で際立つ、生の在り方 メッケネム作品から考える


死で際立つ、生の在り方 メッケネム作品から考える

 

7月17日に世界文化遺産の登録が決定した国立西洋美術館(東京・上野公園)では「聖なるもの、俗なもの メッケネムと

ドイツ初期銅版画」が9月19日(月・祝)まで開催中だ。

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イスラエル・ファン・メッケナム(c.1445-1503)は、<<聖アントニウスの誘惑>>を手掛けたショーンガウアーや、

図像表現が不可能と言われた<<ヨハネ黙示録>>を銅版画で作り遂げたデューラーなどの他作家を「模作=コピー」

した作品をどんどん世に送り出していく。

 

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模作よりもオリジナル作品の方が評価される現在。

しかし、写真がない当時、模作が作品記録だけでなく、他の芸術家や職人にとって、デザインの見本などを担う

有効なマスメディアの一つであった。

 

生涯合わせて500点もの銅版画を作り出し、普及させたメッケナムは、ドイツの初期銅版画の普及に大きな貢献を

もたらした人物として、ショーンガウアーやデューラーと並ぶともいわれる。しかし、日本ではそんなメッケネムや

ドイツの初期銅版画にまだまだなじみがない人も多いのではないだろうか。

そこで、日本初の本格的メッケネム展である当展示は、ミュンヘン州立版画素描美術館や大英博物館、そして国立

西洋美術館の所蔵品も併せ、版画・油彩・工芸品の100点余りの作品が一挙に集う。キリスト教的主題を扱った作品

(=「聖」なるもの)とユーモアや皮肉、時に警告を交えながら人々の生活、男女の仲を描いた世俗主題(=俗なもの)の

切り口で、知られざるメッケネムと彼が手掛けた作品の魅力に迫っていく。

 

当展示で、どうしても気になった作品はこちら。アルブレヒト・デューラーに基づく≪恋人たちと死(散歩)>>

 

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イスラエル・ファン・メッケネム アルブレヒト・デューラーに基づく ≪恋人たちと死(散歩)≫ 
エングレーヴィング   ミュンヘン州立版画素描館 ©Staatliche Graphische Sammlung München

 

 先ず、タイトルにギョッとさせられた。散歩するカップルと、彼らを木影から見つめる「死」が描かれるこの作品。

不穏な空気を感じずにはいられない。男女のどちらかには死が迫り、幸せな二人の時間にやがて終わりが告げられる

ことは、死神のモチーフや作品タイトルからも明らかだからだ。

この絵を観た時、ある言葉がふっと思い出された。「メメント・モリ」(死を忘れるな)だ。

 

谷川は次のように述べる。

「メメント・モリ」(死を忘れるな)は、寓意的な静物画のジャンルのひとつで、豊かさなどを象徴する様々な静物の

中に、人間の死すべき定めの暗喩である頭蓋骨や、または時計や腐って行く果物などを描き、観る者に対して虚栄の

はかなさを喚起する意図を持っていた。

 

年齢、性別、身分に関わりなく、死はある意味誰にでも「平等」に訪れる。それは、当作品の男女にとっても同じで、

いくら豪華な身なりでも、周りがうらやむ恋人同士であっても、死には全く関係のないことだ。きっとその時が来た

ら、死はそのようなことには目もくれず、男性/女性をさっさと持ち去ってしまうのだろう。人は死の前では無力。

しかも、ある程度の富や地位を持っている人達と死を対立させることで、無力さや儚さはより一層際立っているように

みえる。

ちなみに男性に比べて女性は、しわが深く歳上に見えることから、死期が迫っているのは女性のほうだと指摘もある。

また、服装からこの女性は既婚者だという解釈もあり、「死」が二人に道ならぬ恋を辞め、正しく生きるようにと

警告しているともいえる。

 

「メメント・モリ」について知ったのは、大学1年の頃。所属していたフリーペーパーサークルのある先輩が書いた

エッセイの「インドの旅行記」がきっかけだったが、「死といわれてもピンと来ない…」が率直な感想だった。

当時を振り返ると、憧れの「THE 大学生活」真っ只中。高校時代のクラス担任からの「お前のレベルじゃ志望校

合格は、箸にも棒にも掛からない」と失礼極まりない発言を見返す一心で、がむしゃらな受験勉強も終わり、サー

クルやオシャレなどの目の前の楽しさに夢中だったので、先輩の言葉は私に全く届かなかったのだ。

そんな大学生活が一変したのは就職活動だった。周囲も自分もビックリするくらい何十社も選考を落ち続け、やっと

内定が出た会社では、仕事上のミスと上司からの説教の無限ループながらも、何とか仕事を続けている。学生時代と

は比較にならない、辛さで神経をヒリつかせている「今」の方が、≪恋人たちと死(散歩)>>で描かれる死の忠告に

思わず頷いてしまう。「いつ・どんな形で訪れるか分らないからね」と。生きにくさを知ったからこそ、ふと考える

ようになった死。でも、死を考えることで「こんなとこじゃ未だ終われない」と明日からの活力を生み出すようにも

思えた。

 

当展示のコピー「いつの世も、人間は滑稽だ」時代や場所を超えた普遍的な人間の姿が表れていることが、メッケ

ネム作品の面白さの一つといえる。いつか、≪ズボンをめぐる闘い≫に描かれる、悪魔の形相の妻さながらの喧嘩を

繰り広げる時が来るかもしれない。

 

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イスラエル・ファン・メッケネム  ≪ズボンをめぐる闘い≫、 連作<日常生活の諸場面>より 
エングレーヴィング   ミュンヘン州立版画素描館 ©Staatliche Graphische Sammlung München

 

もしくは、そんな妻に殴りかかられる弱腰な夫の立場かもしれない。そう考えると、観ている私たちはそんなに

関係のない、なんて言い切れないのではないだろうか。

「メッケネムって誰だろう」、「銅版画ってなんか地味・・・」と思っている人にこそ観てもらい、当展示。

そして、是非一枚ずつの絵をじっくりと、鼻先が絵にくっつくきそうになる位近づいて観てほしい。

 

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観れば観るほど発見があって、面白い!「メッケナムワールド」炸裂なのだから。

 

文:かしまはるか   写真:矢内春美

 

【情報】

「聖なるもの、俗なもの メッケネムとドイツ初期銅版画」

会期: 2016/7/9(土)~9/19(月・祝)

会場: 国立西洋美術館(東京・上野公園) 企画展示室

 

◆参考

中田明日佳 「聖なるもの、俗なもの メッケネムとドイツ初期銅版画」国立西洋美術館 『ZEPHYROS』
第67号国立西洋美術館ニュース

2016年5月20日発行 pp.1-pp.22

 

PRESS RELEASE「聖なるもの、俗なもの メッケネムとドイツ初期銅版画」

http://www.asov.net/docs/meckenem%20pressrelease.pdf (2016/07/17)

 

谷川渥「DOUBLEIMAGE―ヴァニタスあるいはメメント・モリ―」

http://pieceuniqueproject.com/project/01souredj/DOUBLE%20IMAGE.pdf (2016/07/17)