多くの男を虜にしたガラ ~魅力的な女性になる方法①~
「ガラの測地学的肖像」
この絵は、ダリが妻のガラを書いた絵です。ガラはダリにとって“すべて”だったという事はとても有名な話です。
ダリは、「わたしはガラなしではダリになれない。」、「彼女はわたしの内密の真実、分身なのであり、わたしと同一人である。」と言っていたようです。そして、作品には「ガラとサルバドール・ダリ」と署名していたくらい惚れ込んでいました。
仲睦まじい写真がたくさん残されています。
そして、彼女をモチーフにした絵をたくさん描いています。
「見えない鏡を見つめる裸のガラ」
ダリの絵のイメージは、形が崩れていて“ぐにゃり”とした解説なしには理解できない絵が多いと思っていたので、ガラを描いた絵をみて衝撃的でした。
「記憶の固執」
決して美人ではなかったガラですが、様々な男性を魅了した人だった事が分かりました。ある本には、“魔性の女”と書いてありました。
そもそもダリとガラの出会いは、ポール・エリュアールが妻のガラとともにカダケスのダリを訪ねた際、ダリが一目ぼれした事からでした。ガラもダリの才能に惚れ込み、すぐに恋に落ちたようです。
その他にも、エリュアールと結婚中に画家マックス・エルンストとの三角関係や、シュルレアリストたちのミューズだったというお話も有名のようです。シュルレアリストたちが素晴らしい絵を描くと「ガラに恋をしているんだね。」という事を言われるほどだったのこと。
そのことを知って、もっとガラの魅力について知りたくなりました。
色々調べてみると、一つの共通点が見えてきました。
芸術家達の不安を理解して受け止め、芸術家の作品を全力で応援し、称賛し、自信を持たせたこと。
そして、外見ではない、言葉で表現できない強烈な魅力の持ち主だったという事が分かりました。
ダリもその魅力の虜になった一人。
ダリは若い頃は特に、先に亡くなった未生の兄と同じ名前をつけられたこともあって、内面的にトラウマがあり、脆弱な精神の持ち主だったようです。それを力づけてくれたのが、ガラでした。
また、ガラはプロデューサーの腕も凄かったと知りました。
彼女はスペインの地元の画商を回っても買ってくれないので、アメリカの画商に売ってみました。なんと高く買ってくれたので、新大陸なら彼は受けるとにらんで、それからアメリカで商売を始めたそうです。
宣伝も上手くて、ダリのトレードマークの髭、さまざまな奇行のパフォーマンスも彼女の演出だったようです。そして、ダリの創作活動そのものの根源に、彼女の働きが大きかったのこと。
例えば、ダリが絵を描いている傍らで詩集や原子物理学の本などの読み聞かせをしていたり……。きっと、それらの行動が彼の絵のインスピレーションを生んだのでしょう。
その証拠に、1982年にガラが死去すると、「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み、ジローナのプボル城に引きこもりました。そして、1983年5月を最後に絵画制作をやめています。ガラが死んだ後、意気消沈したダリは二度と絵筆を握らなくなってしまいました。
ダリにとって、ガラは自らを守ってくれる聖母マリアであり、詩才を与えてくれる詩神ミューズであり、知恵と愛をくれた存在でした。
「ポルト・リガトの聖母」
絶大な信頼と精神的につながりの強い夫婦関係。
ダリ以外にも時代を超えて、多くの偉大な才人たちは妻や恋人から母性愛に包まれて、偉大な作品を生み出す事が出来たと言われているそうです。
*ガラから学ぶ魅力的な女性になる方法
今回のキーワード 「母性があり、包容力のある女性」
*サルバドール・ダリ(1904年~1989年)
スペインのカタルーニャに生まれる。
若くしてシュルレアリスムの第一人者となる。「だまし絵」や「デペイズマン(意外な組み合わせ)」などの手法を用いて、超現実的な光景を意識的かつ写実的に描くタイプ。
宝飾デザイン、本の著作や映画を手掛けるなど、多才であった。
*作品に会える場所
横浜美術館、広島県立美術館、諸橋近代美術館、池田20世紀美術館
*参考文献
●山口路子 「美神の恋 画家に愛されたモデルたち」
●千足伸行 林綾野 「あの名画に会える美術館ガイド」
●太田治子「絵画の楽しみ方ガイド」