夢想写真家の、碧い系譜
「写狂老人」の“Love on the left eye”
たぶんだけど芸術肌の人間は、これまで幾人もが浮世を憂いて自ら命を絶っていたりする。
百歩譲って、絶対数の多い少ないを棚に上げるとしても、
そんな最期を駆け抜けた彼らの人生の多くは大抵カリスマの如く語られるし、
時間の経過がもたらす美化と風化の狭間で、
どういうわけか褪せない魅力を孕んでいるように捉えられがち、だと思う。
ただ、世の中には七十路を過ぎてもなお爆走を続ける一人の人間も、世の中にいたりする。
自らを天才だとわらい、「写狂老人」を謳う。
その彼を“アラーキー/荒木経惟”として初めて意識したのは1993年10月号の『ユリイカ』(※)だ。
※『徹底討議 荒木経惟/伊藤俊治 <写真とは悪意であり、死であるが・・・・・臨海線を挟んでのアーバスとアラーキー>』
彼がカリスマであることは今となっては周知の事実だが、何が圧倒的かって、彼は撮影者である自分と被写体の誰かの距離感に自ら迷い込み、その迷宮から自分から抜け出せるということに尽きると思う。通常なら撮影者・被写体両者にとって意識外にあるはずの「迷宮」が、彼にとっては常に彼の意識下に置かれている。
だからこそ彼の作品を目前にしたとき、鑑賞者はいつだって否応なし彼の意識下の中で操られる。
生命力に溢れる作品の浸透圧に、いつだって流されるがままだ。
そのアラーキーが先日よりタカ・イシイギャラリーにて21回目となる個展『左眼ノ恋』を開催した。このタイトルにピンときた方はたくさんいたのかもしれないけれど、Ed van der Elskenの“Love On the Left Bank”へのオマージュ。
明かされている由来は二つ。
一つは千葉大の学生だった20歳のとき彼が実際にこの写真集のオマージュ写真を撮影していたから。
そしてもう一つ。
昨年10月のことになるが、彼は網膜中心動脈閉塞症で突如右眼の視力を喪失している。
その彼が右眼の視力を失って尚、見つめた世界は正に左眼で観た世界のすべて。
だから、『左眼ノ恋』。
隻眼となって彼は、眼鏡の右レンズを黒く塗りつぶした。
撮影したポジフィルムの右半分も、黒く塗りつぶした。
そしてなお、『写真の見えない部分は見る人が想像してくれればいい。隠すことで出せるヌード写真もあるしね。これまでが見えすぎていたのかもしれない。今、絶好調だよ』なんて言いのける。
浮世を憂うどころじゃない。つくづくこの人の生命力は、わけが違う。
作品たちを前に向かい合えばきっと頷くかもしれないけれど、
隻眼の彼が観ている「半分」の世界は、ふたつの目で観ているはずの世界よりもよっぽど鋭い。
かつて、写真は未練がましいからこそいいんだぜ~なんて言っていた彼のことだけど、
隻眼で世界を見た世界を切り取ったとき、この「写狂老人」は何を未練がましく想ったのだろう。
面と向かって訪ねたところできっと返り討ちにあうだろうから、
せめて彼の想う、憂いではない「未練」を感じ取れるといいのだけれども。
 
文・写真=時岡碧