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ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ

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2024年10月27日

ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ


ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ

タイトル画像:《ヒステリーのアーチ》(1993)

 

六本木ヒルズを訪れたことがあれば、誰もが思い出すブロンズの巨大な蜘蛛の彫刻《ママン》。六本木以外では、ビルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン)、ホアム美術館(韓国)など世界の名だたる美術館に設置されているこの彫刻の作者はルイーズ・ブルジョワ。彼女の日本では27年ぶりとなる個展「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が、森美術館で2025/1/19(日)まで開催されている。

 

ブルジョワの創作の原点とも言える家族や人間関係を大きなテーマとした本展の副題“地獄から帰ってきたところ言っとくけど、素晴らしかったわ”は、1996年に制作されたハンカチに刺繍された言葉に由来しており、ブルジョワの作品に通じる複雑な感情や深い痛みの記憶、そしてアートによる救済とブラックユーモアが反映されたものだ。

 

ブルジョワは、愛、嫉妬、不安、孤独、憎しみ、痛み、喜び、執着といった普遍的な感情をテーマに、時には繊細に、時には直接的に表現する。本展の第1章「私を見捨てないで」では母親との関係、第2章「地獄から帰ってきたところ」では父親との関係を、第3章「青空の修復」では、家族や親しい人々との関係の修復や心の解放が描かれており、彼女自身がフロイド派の精神分析医の患者であり、内面的な葛藤や感情の投影は、時代や文化を超えて、多くの人に心を揺さぶる。

 

展示作品は、彼女が若い頃に描いた「家出娘」から、晩年に至るまでの代表作を含む106点に及び、立体作品51点、絵画や素描34点が含まれ、彼女の創作活動の全貌を網羅的に紹介しており、彼女の創作活動がいかに多様であり、時代を超えた普遍性を持っているかを感じ取ることができる内容となっている。また、各章の間には2つの特別コラムが設けられ、ブルジョワの初期の絵画や彫刻作品、父親の死後に制作された抽象彫刻シリーズが時系列で紹介されている。

 

第1章「私を見捨てないで」の展示風景より

 

第1章では、ルイーズ・ブルジョワが一生をかけて追求したテーマである「母性」に焦点を当てた作品が展示されている。1911年、フランス・パリでタペストリーの修復工房と画廊を営む両親の次女として生まれた彼女は、特に母親との関係に強い影響を受けており、1932年に母親が亡くなったことが、生涯にわたる精神的な不安と見捨てられることへの恐怖の根源となっている。

 

ブルジョワは自身の創作について、「わたしの彫刻はわたしの身体であり、わたしの身体はわたしの彫刻である」や「私の目標は、過去の感情を再現することである。私の芸術は、エクソシズム(悪魔祓い)だ。」と述べており、頻繁に登場する身体の断片は、精神的な不安定さや精神分裂症に対する恐れを象徴している。この章では、子供を優しく守り育てる母親像だけでなく、時に子供を放置し傷つける母親像も描かれ、母性の多面性が浮き彫りにする。ブルジョワは晩年になるにつれて、母親を必要とする幼い自分自身の姿を作品の中に重ねるようになっていく。

 

展示の一環として、コンセプチュアル・アーティストであるジェニー・ホルツァーのライト・プロジェクションも展示されているが、これはブルジョワが精神分析を受けていた際に書き残した文章を投影したもので、彼女が内面で感じていた不安や恐怖を視覚的に体験できる作品となっている。そこから続くスペースには、巨大な蜘蛛の彫刻《かまえる蜘蛛》(2003年)が、敵や獲物に向かって今にも襲いかかろうと低い姿勢で待ち構える。蜘蛛はブルジョワにとって糸でタペストリーを直す修復家であり、母性を象徴するモチーフであり、子供を守りつつも、必要に応じて攻撃的な面を持つ母親像を表現するもの。この蜘蛛は、母性の持つ保護と暴力の相反する側面を象徴している。

 

展示風景より、《かまえる蜘蛛》(2003)

 

展示風景より、手前の彫刻は《カップル》(2003)。壁面は《午前10時にあなたがやってくる》(2007)

 

また、この章の最後の展示室には、手をつないだカップルをテーマにした巨大な彫刻作品が現れ、周辺の壁に展示された40枚組のドローイング《午前10時にあなたがやってくる》(2007年)は、日常のルーティンによる心の安らぎを象徴しており、ブルジョワ自身と彼女を長年支え続けた人物の手が描かれている。

 

 

 

第2章では、ルイーズ・ブルジョワが幼少期から抱いていた父親への複雑な感情や、彼女の不安定な精神状態を反映した作品が展示されている。

 

ブルジョワの父親は、家族に対して強い支配欲を持ち、家庭内では常に権力を振るっていた。さらに、住み込みの家庭教師との不倫関係を目撃したブルジョワは、これを父親からの裏切りと感じ、深い傷を負うことに。流行り病にかかった母親を介護し、母と娘の役割が逆転したことで、父親に対する矛盾した感情はさらに複雑化し、ブルジョワの心に深いトラウマを残すことに。彼女は、支配的で他者を操ろうとする父親に対して強い嫌悪感を抱きながらも、同時に愛されたいと願う自己矛盾に苦しみ続けた。この相反する感情は、彼女の内面的な葛藤の核心であり、生涯にわたって彼女の作品に大きな影響を与えることとなる。

 

一方で、1951年に父親が亡くなると、ブルジョワは深刻なうつ状態に陥り、数年間にわたって作品制作を中断。この期間中、彼女は精神分析を通じて自身の内面と向き合い、1952年から1966年まで集中的に治療を受けた。治療の過程で父親に対する複雑な感情や他者との不安定な人間関係が彼女の創作活動に与える影響を自覚し、罪悪感、嫉妬、自殺衝動、殺意、不安といった感情がどこから生じているのかを深く探求した。

 

展示風景より、《罪人2番》(1998年)

 

展示風景より、《部屋X(肖像画)》(2000年)

 

この章最初の展示空間には、ニューヨークの取り壊し中の建物から持ち込まれた防火扉を再利用した作品《罪人2番》(1998年)が中央に配置されている。小さな椅子と鏡が設置されたこの作品は、子供が感じる罪悪感や罰の恐怖を象徴しており、上部に刺さった矢は、親からの叱責や他者の視線、逃げ場のない状況を表現しているものだ。金網のケースに置かれた、赤い布でできた人間の頭部が、他者を嘲るかのように口から舌を出している《部屋X(肖像画)》(2000年)という作品は、“一見、相手を侮辱しているように見える行為には、他者とつながりたいという気持ちも含まれている”とブルジョワの考えが反映されている。

 

展示風景より、《父の破壊》(1974年)

 

続くスペースでは、《父の破壊》(1974年)が展示され、洞窟のような構造が印象的。この作品は、ブルジョワが幼少期に抱いていた幻想に基づいており、暴力的で支配的な父親を家族で食卓に引きずり込み、解体して食べるという願望が具現化されており、父親に対する愛憎を内面的に解体し、消化しようとする意図が込められている。そこからガラスケースに収められた《カップル》の作品を経た展示室では、大型の電線リールを思わせる構造物が目を引く。床に置かれた女性の下半身のマネキンは、引き裂かれそうな緊張感を漂わせているこの作品《シュレッダー》(1983年)は、ブルジョワが自身の攻撃的な感情を芸術作品に昇華させることで、その感情を家族や他者に向けることを避けていたことを表している。

 

展示風景より、《シュレッダー》(1983年)

 

 

「攻撃」しないと、生きている気がしない。

When I do not ‘attack’ I do not feel myself alive.— LB

 

という彼女の言葉からも分かるように、「怒りや苛立ちを作品で表現できなければ、その矛先を家族に向けてしまう」と述べるブルジョワは、作品をつくり続けることで、衝動的に薄き上がる敵対心、嫉妬、殺意という思いを浄化した。ブルジョワの作品は、彼女自身の内面に潜む抑圧された感情やトラウマを直視し、それらを芸術という形で解放しようとする試みが多く含まれている。

 

 

最後の第3章では、ルイーズ・ブルジョワが長年の制作活動を通じて、意識と無意識、母性と父性、過去と現在の間でどのように均衡を保とうとしたかがテーマとなっている。晩年のブルジョワは、家族や親しい人々との関係を修復し、内面の解放を求める作品を多く手がけた。1990年代後半になると、自分自身や家族の衣服、日常生活で使用した布製品など、個人的な思い出に結びついた素材を作品に取り入れ、死後もその記憶が永遠に続くことを望んだ。

 

布を縫い合わせ、つなぎ合わせる行為は、彼女にとって、別れや見捨てられることへの恐怖を克服する手段。この行為は、タペストリー修復を生業としていた母親の仕事を想起させ、同時に自分自身の子供時代の記憶を呼び起こすものだ。布を使った作品は、1997年に発表されたインスタレーション《蜘蛛》にも反映されており、修復と癒し、母性の象徴として登場する蜘蛛は、ブルジョワ自身から母親への賛歌でもあった。

《青空の修復》(1999年)では、自由と解放の象徴として青色が使われている。また、ブルジョワにとって「5」という数字は特別で、フランスの実家とニューヨークで彼女自身が作り上げた5人家族を表す。

 

展示風景より、《蜘蛛》(1997)

 

 

最後に展示される蜘蛛の彫刻(1997年)は、第1章に登場した《かまえる蜘蛛》とは異なり、保護する母性が強調されている。蜘蛛の体は、下にあるケージを包み込むような姿勢を取り、そのケージにはブルジョワの両親が営んでいた工房で使われたタペストリーや、彼女が愛用していたゲランの香水が吊り下げられている。このケージは、彼女にとって大切なものを守るための「立体的な蜘蛛の巣」として表現されており、彼女の記憶や愛情の象徴となっている。

 

ブルジョワの作品は、過去の痛みや苦しみを超えて自己再生を目指す深い精神性が込められている。彼女の芸術は、単なる美の探求ではなく、傷ついた魂がいかに生き続け、再生していくかという問いを投げかける。その人生観は、私たち個人の生き方にも多くの示唆を与えてくれるだろう。

 

文・写真=鈴木隆一

 

【展示会概要】

ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ

 

会期|2024年9月25日〜2025年1月19日

会場|森美術館

住所|東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階

電話番号|050-5541-8600(ハローダイヤル)

開館時間|10:00〜22:00(火〜17:00、ただし12月24日、12月31日は〜22:00)

休館日|会期中無休

料金|[平日]一般 2000円 、中学生以下 無料/ [土・日・休日]一般 2200円 、中学生以下 無料 ほか

https://www.mori.art.museum



Writer

鈴木 隆一

鈴木 隆一 - Ryuichi Suzuki -

静岡県出身、一級建築士。

大学時代は海外の超高層建築を研究していたが、いまは高さの低い団地に関する仕事に従事…。

コンセプチュアル・アートや悠久の時を感じられる、脳汁が溢れる作品が好き。個人ブログも徒然なるままに更新中。

 

ブログ:暮らしのデザインレビュー
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Instagram:@mt.ryuichi
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【好きな言葉】

“言葉と数字ですべてを語ることができるならアートは要らない”

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