アートが問う、“より良い生き方”とは?「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」
2020年以降、突如訪れたコロナ禍におけるパンデミックでは、今までの“当たり前”について、その根源を見つめなおし、じっくりとその意味をじっくりと考える時間を与えてくれた。そんな思考の末に人々に芽生えた新しい価値観は、コロナ以降のアートの世界にもよく表れている。
森美術館「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」展覧会会場入口
2022年6月29日(水)~ 11月6日(日)まで、森美術館で開催中の「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」。社会と関わり、自然とともに生きていくなかで、心身ともに健康である「ウェルビーイング」とは、どういうことなのか、アートを通してこれからの暮らしを見つめなおす展覧会となっている。
オノ・ヨーコ《地球の曲》1963年春 展示風景:「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」森美術館(東京)2022年 撮影:来田猛 画像提供:森美術館
なお、表題となっている「地球がまわる音を聴く」というセンテンスは、オノ・ヨーコのインストラクション・アートからの引用だ。会場全体にちりばめられており、作品の1つ1つを繋ぎとめる役割を果たしている。
ヴォルフガング・ライプ《ヘーゼルナッツの花粉》(2015-2018)
展示室に入ると、まず目を引くのが、グレーの板にのった黄色の長方形の塊。よく目を凝らしてみると、スプレーを吹きかけたような粒子が見て取れる。ヴォルフガング・ライプによる《ヘーゼルナッツの花粉》だ。実はこの黄色の正体こそ、ライプが自身の住む村で採取したという“花粉”である。1年のうち数か月しか採れないうえに、多くとも小さなガラス瓶1本程度のほんのわずかな量をコツコツと採集し続けたと聞くと、この黄色の長方形がなんだかとてつもないものに思えてくる。スプレーでプシューっと吹きかければ一瞬だが、これは気の遠くなる作業を繰り返したのちに完成した、時の結晶なのだ。
塵も積もれば山となる、そうポジティブな気持ちが湧き出てくる一方で、意外とこんなものなのか…と、積み重ねた時間の割にあわない実際の物理的大きさや質量に拍子抜けしてしまいそうにもなる。だが、そもそも日常の繰り返しの本質とは、塵を積もらせた山の大きさで測れるものではなく、行為として肉体に刻まれる精神性にあるものなのかもしれない。
ヴォルフガング・ライプ《ミルクストーン》(1995-1998)
表面張力を保たせながら、毎朝牛乳を流し入れるという《ミルクストーン》は、張り詰めた緊張感が作品を覆う。ライプの作品は一貫して、物理的大きさや質量の裏に隠された、完成までの気の遠くなるようなストーリーにまで想像をめぐらすことができる。むしろ完成された作品が単純でわかりやすいからこそ、その裏側に焦点が当たりやすくなっているのかもしれない。
小泉明郎 《グッド・マシーン バッド・マシーン》(2022)
催眠術を受ける被験者と、彼らにかけられる催眠のための言葉が同時にスクリーンに映し出され、中央には衣服をまとったアームが不気味に動いている。映像表現を通じて、身体と感情や記憶の関係を探求してきた小泉明郎の《グッド・マシーン バッド・マシーン》だ。
小泉明郎 《グッド・マシーン バッド・マシーン》(2022)
催眠術で、その人の行動や意識が変容していくのは、かけられる言葉の力によるものであると考えられている。そして、それは決して強制下におけるものではなく、本人のなかに潜む意思によって引き起こされる変容であるという。つまり催眠術は、主体性がないようで、意思というわずかな主体性が存在しなければ成立しないのだ。
「私は機械です」「私は機械ではありません」など、あるフレーズを繰り返す被験者の声は、次第に呂律が回らなくなり、か細くなっていく。一方で、彼らの口から出る言葉の1つ1つは、誰かに言わされているようで、のどのつっかえが取れたような、一種の解放感を含んでいるようにも見えてくる。
青野文昭 《八木山橋》(2019)、《僕の町にあったシンデン──八木山越路山神社の復元から2000~2019》(2019)
古箪笥や骨董品、廃棄物で作られた巨大な作品群、青野文昭の《八木山橋》と《僕の町にあったシンデン──八木山越路山神社の復元から2000~2019》。生まれ育った仙台。八木山の一帯を再現したものだ。
青野文昭 《僕の町にあったシンデン──八木山越路山神社の復元から2000~2019》(2019)(部分)
まるで、パラレルワールドに迷い込んだような、不気味さと神秘性が共存する空間。ところどころにあるヒト形は、生身の人間とはまた違う霊的なものを感じさせる。これが展覧会の一作品である以上、作者や制作年も明確であるのに、何百年もずっとそこに存在していた遺跡のような荘厳な趣を感じるのはなぜだろうか?現代アートという枠組みでありながら、時間の経過とそこに確かにあったであろう人々の営みにまで思いを馳せることのできる、不思議な魅力の詰まった作品だった。
金沢寿美 《新聞紙のドローイング》(2022)
金沢寿美 《新聞紙のドローイング》(2022)(部分)
圧倒的存在感でカーテンのように揺れる、金沢寿美の《新聞紙のドローイング》。このカーテンの正体は、鉛筆によって、印象的なワードやイメージを残して塗りつぶされた新聞紙だ。
日々発信される膨大な文字の海の中では見落とされてしまうかもしれない、確かに起きた事実。その証がこの新聞紙の星空で再び光を与えられ、嬉しいことも悲しいことも、あらゆる出来事が煌めく。改めて、星空の下では全てが平等だということを感じさせてくれる。
複数のアーティストによって紡がれた「より良く生きるとは何か?」という思想。アートを通して、その価値そのものだけでなく、先行きの不透明な世の中でこそ沸き起こるアートの力強さを再認識させられた展覧会であった。
文=荒幡温子
写真=新井まる
【展覧会情報】
地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング
会期:2022.6.29(水)~ 11.6(日)(会期中無休)
会場:森美術館
住所:〒106-6150 東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー 53階
電話番号:050-5541-8600(ハローダイヤル)
(開館時間:10:00~22:00(最終入館 21:30)
※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30)
料金:一般 1600円/大学・高校生 1100円/子ども 500円/シニア 1300円
※平日/土・日・休日、当日窓口/オンラインで値段が異なります。上記は平日オンラインの価格となります。
トップ画像:ヴォルフガング・ライプ《ヘーゼルナッツの花粉》(2015-2018)