「花と身体」荻野夕奈 × 新井まる 対談
花や女性が描かれた一見華やかで美しい絵画は、見れば見るほど「ただ美しいだけではない」ことが見えてくる。
アーティスト荻野夕奈さんの作品は、儚さと強さ、生と死など相反する要素が数多盛り込まれているように感じます。
幼い頃から描き続けている彼女の現在がギュッと詰まった作品集の刊行に際して、アトリエにてお話をうかがいました。
新井: まずお伺いしたいのが、荻野さんの作品に登場するモチーフについてです。よく「花」を描かれていますが、アトリエに置かれている描きかけの新作は抽象化された花と女性の姿が溶け合ったものですね。
荻野: 絵を描き始めた頃は植物が主題の絵が多かったのです。家の周りにある枝や花に目が止まり、人為の及ばない自然界の植物の姿に美しさを感じました。人の目を気にして取り繕っているわけではないのに、植物や草花に私たちが美を感じるのはなぜだろうと考えたとき、さらけ出されたナマの強さに惹かれると感じたのです。そうした植物の振りかざさない美しさを捉えたいという思いで、これまで絵筆を取ってきました。
もちろん当の花同士では、生き残りをかけて花粉を運んでくれる蝶を誘い出すために甘い蜜の香りを出すなど、いろいろ戦略はあるでしょうし、外敵から身を護るために異臭を出す花もあると思います。そのような醜悪含めて草花のナマの姿は健気で美しく、私の中で女性らしさのイメージと重なるようになりました。
では、女性らしさとは何だろうと追求していくうちに、洋服で飾り立てた姿ではなく、一人ひとり固有の肉体や骨格のイメージにたどりつきました。絵というプラットフォームを通してその女性らしさという抽象的な概念をずっと探求している感じです。
写真(左)新井まる、(右)荻野夕奈
新井: 花は花でも枯れた花も描いていますよね。花と女性は一般的に美しい、儚い、などのイメージですが、荻野さんの作品からは美しさの背後にあるものを感じます。繊細だけれど強い、そんな印象を受けました。
新作の絵の中に描かれている女性は架空の存在なのですか?それとも実在する方をモデルにしているのでしょうか。
荻野: 女性は友人のファッションモデルです。私たちが暮らす日常の世界から遠い、きらびやかなひと昔前の“服のハンガー”としてのモデルではなく、生き方や考え方をしっかりと持った、また母の姿としてもリスペクトできる女性です。ファッション産業に媚びることなく、子育てする自分に誇りを持ち、大きな夢を持ちつつも誰かと自分を比べることなく生きる姿が美しいなと感じて、特定の女性というよりは私にとっての女性像としてモデルになってもらいました。
新井: 女性の身体を描くとき、どんなことを意識していますか。
荻野: 無防備になったときの姿に惹かれます。世間体を気にして鎧を被ったように身繕いをしているより、内に秘めた強靭な精神力を静かに感じることが出来ます。絵筆を取るときは、気張るのではなく、自然体でいる女性の身体を捉えたいと思っています。無防備に横たわる姿は身体も頭の中も力が抜けていて、まるで誰に求められているわけでもなく咲く花のようです。絵画は時に固有名詞を取り払う表現もできます。身体と空間、あるいは花との関係性も描けるように観察しています。
新井: 絵を画集で見た時と、実物を目の前にした時とでは受ける印象がずいぶん異なることに驚きました。間近で見ると絵の具が幾層にも重なっているのが見えてきて、この辺りに最初に絵筆を置いたのかな、と想像したり、表層の絵の具の下にはどんな絵が描かれていたのだろう、と考えてしまいます。
また、油絵でありながら水彩画のような光を感じます。油絵はマチエールというか、絵の具の質感がしっかりとキャンバスに残っている印象がありますが、荻野さんの絵は色が透き通るような画面ですよね。
鑑賞者が作者の意図を探っていくことが現代アートの楽しみのひとつでもありますが、荻野さんはどのようなプロセスで描いているのでしょうか?
荻野: 描くという表現の前に、下地づくりが創作の中で重要な位置を占めます。私は油絵の具を薄塗りにして描く手法をとっています。もともと水彩画のように薄塗りにして、絵の具が下地に吸収されていくような質感を目指していたので、そのために白よりも寒色系、暖色系を問わず綺麗な色味を維持して吸収する淡いベージュの下地に落ち着きました。透明色の場合、ベージュの下地に乗せると体温を感じる色合いが生まれるのです。
新井: ベージュは肌や地面の砂を連想させる色ですね。
画面上のコンポジションも独特ですよね。描かれているのは植物や人と認識できても、輪郭をとどめておらず、色面をコラージュしたように抽象化されています。また、花と人体とのサイズはいわゆる遠近法での遠近感とは外れ、同時に曖昧な部分も残しているので、絵を目の前にすると空間に浮遊しているような不思議な感覚になりますね。描いているとき、荻野さんは世界をこのように捉えているのでしょうか。
荻野: 私の絵は架空のものを描いているのではなく、人間や花といった身近な対象物を描いているので、写実的に描くと写真と変わらない見え方になってしまいます。リアルに存在するものに対してどうやって創造性を与えていこうかと試行錯誤する中で、誇張した遠近法を取り入れるなど、これまで覚え込んできた技法とあえて反対の方法を取り入れて、“不自然な調和”を追求しています。
たとえば新作の絵は花畑のように画面いっぱいに花が散らばっていますが、主人公は女性です。それ以外の一部の花たちは女性を引き立たせるために背景としての花にさせる必要があります。消失点のようにどのようにして観る人の目線を女性に向けるか、それでありながら、どうやってそれぞれの花に見せ場を作ってあげるかを考えながら画面を構成しています。まだ描き残しがある、未完成じゃないの?と言われることもありますが、じつはそのような部分にこそ注視をして、独自の調和を作ろうとしています。
新井: 荻野さんの絵をはじめて観た時、ある種の違和感を覚えたのはそういったところから来るのかもしれません。
小学校の頃から油絵を描いていたとのことですが、油絵に興味を持った経緯を教えてください。
荻野: はじめは水彩画が好きでした。油絵は描きこなしたいと思っていたものの、油絵の具は粘性が強くて自分の思い通りに筆が運ばず、絵具が乾くまでに一週間ほどかかるので扱いが大変です。けれど、油絵の具を薄く溶いて時間をかけて乾かしながら重ね塗りをしていくと、下の絵の具の色が水彩画のように透けて見える。そこに気がついたとき、油絵ヘの魅力が高まりました。水彩画のような透明感がある表現と、油彩ならではの厚塗りや削りが同時にできる。
毎日、その前に描いた名残りをとどめながら、最後まで過程を画面に残すことができるのが私にとって油絵の大きな魅力です。移ろいゆく時間を平面に残していく感じでしょうか。水彩は媒体の紙自体が繊細でそこまで画面上で試行錯誤ができませんから。
新井: そうした時の経過を意識した描き方は、荻野さんが大学時代に映像制作をされていた影響があるのではと感じました。
荻野: それはあると思います。絵を描くときに時間の概念は意識しています。長い時間をかけて描くのですから、時のあわいや、揺れ動く気持ちを絵の中で表したいという思いがあります。フィルム写真の技術が登場するまでの時代に油彩を描く意味と、デジタル写真や動画が溢れる今とでは描く意識が大きく異なります。常に写真や映像の技術や時間性に目を向けるようにしています。
《GARDEN》シリーズ
新井: 制作の過程で前に塗ったところがつぶされたり、削られたりしている名残りをとどめているのはそういう意図があるんですね。2008年から10年ほど描かれていた《GARDEN》シリーズでは日記のように毎日新鮮な気持ちで描いていたと聞きました。それがつながっているのでしょうか。
荻野: デジタル写真や映像の方が絵画よりも身近な今、なぜ絵画を描くのかというと、一つは自分の身体で画面に痕跡を残すことの貴重さがあると思います。昨日描いた部分を今日見直して、描き残したい部分を残し上描きする。全ての痕跡が生々しく画面に残るところがデジタルデータとは違うところです。また、人間の脳はコンピューターと違い、昨日と今日、明日とでは見えてくる世界が変わってくる。だから描くスタイルもその時の私の気持ち次第でタッチが異なるかもしれませんし、その時々で変化していくことが自分にとってはナチュラルなんです。一枚の絵の中にも多くの時間が堆積していて、筆触もテクスチャーも描いた日によって異なる。使う筆も油絵用のものだけでなく、薄塗りで細かい輪郭のような線を描く時は日本画用の筆を使うときもあります。
ライプペイントの様子
新井:昨年まで取り組まれていたライブペイントも、まさに過程を魅せるものですよね。
荻野:そうですね。ライブペイントは油彩制作の過程をぎゅっと短縮して2〜3時間で見せるような意識で行なっています。繊細な描写もある中で時折大きな刷毛で大胆に塗る過程は、鑑賞者に驚きを与えているようです。最後まで何を描いているか分からないとよく言われますが、じつは全てのタッチが画面の空間づくりのために必要なのです。
新井: 荻野さんが描く絵画が日記のような位置づけということは、下絵などを描くことはしないでキャンバスに向かってダイレクトに描きはじめるのですか?
荻野: 《GARDEN》シリーズを描いていたときは下絵無しでキャンバスに直接描いていました。今は絵を描く前にドローイングを描きます。こうしたドローイングも日記と同じ位置付けで一つの作品と捉えたいので、今回の作品集にはドローイングも油彩と一緒に載せています。油彩を描くまでの過程や思考が見えればと思っています。また、近年の作品のタイトルは、ナンバリングのように完成した日付にしています。絵を観る人には描写的なタイトルよりも、記号のような日づけは想像の余地を与えると思っています。私自身はその日づけがそれまでの私の過去と紐づき、観ていると在りし日の自分を思い出す感じがします。
新井: 作品集を作るにあたり、改めてご自身の作品を振り返ってみたそうですが、描くことに対する姿勢に変化はありましたか。
荻野:自分の日常を振り返ると、自分が女性であることで苦労したことなどから、社会や人々の意識がどう変化してほしいか考えることが多く、作品にも徐々にその意識が出てきているように思います。初めは純粋に気になった植物などを見て描くことに徹していましたが、だんだんとその花、その人物を自分はどう表現したいのかと考えるようになりました。
新井: そうした社会と女性というのは世界共通のテーマだと思います。海外でも数多く作品を発表されていますが、海外ではどのような体験をされましたか。
荻野: 海外で滞在制作をすることもあり、現地での暮らしは創作に様々な影響を与えてきました。たとえば2018年にインドネシアに滞在する機会を得たときは、現地の人たちとの交流を通して日本と異なった価値観や宗教、生活スタイルを知り、多くの学びがありました。 一方で、同じ2018年、ニューヨークに滞在をしたときには、体力も必要で危険も伴うグラフィティなどのストリートアートの分野でも女性のアーティストが活動している姿を目の当たりにして、刺激を得ました。そうした私の体験がその時々の絵に表れているのだと思います。
どこの国で展示しても、まずは私の絵を見て色が綺麗とリアクションしてくださる方が多いですが、中にはそれだけではない何かを見つけ出してくださる方もいますね。
新井: 鑑賞者自身の境遇によって作品の捉え方が変わってくるのかもしれませんね。
荻野: それはあるかもしれません。性別や年齢や人種関係なく、「自分は自分」と捉えられるといいですね。何も纏わない力の抜けた女性の身体とそれに似た花にその思いを託すことができたらと思います。これからも色々な人と出会ってものを見て探求していきたいですね。今回は女性を描いていますが、今後はいろいろな人間の身体も描いていくつもりです。
私が意識を持って見たもの、関わった人々を長い時間をかけて目で見てキャンバスに筆を置いたものは、ようするに自身のポートレイトでもあります。自分の絵画が今度どのように展開されていくか、自分自身も楽しみです。
インタビュアー・編集:新井まる
テキスト:長谷川香苗
【荻野夕奈 作品集】
「Flower & Body」2021年1月13日より販売開始致します。
販売店舗:銀座蔦屋書店、ワタリウム美術館オン•サンデーズ、恵比寿ナディッフ、東京藝術大学アートプラザ
【展覧会情報】
ミヅマアートギャラリー(東京・市ヶ谷) グループ展「果てない眼差し」
会期 2021年01月13日(水) – 02月06日(土)
※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、本展は1時間ごとに定員12名の枠を設けたアポイント制での開廊とさせていただきます。
ご来廊の際には、オンラインによる事前予約をお願いいたします。
https://airrsv.net/mizumaartgallery/calendar
【Profile】
荻野夕奈(Yuna Ogino)
アーティスト、画家
1982年東京生まれ。東京芸術大学大学院修了後、アーティスト活動を始め、国内外で絵画作品の展示を行っている。
アートやデザイン、美術教育事業を行うStudio Zugaを設立。
昨年(2020)はNY(Mizuma&Kips)でのグループ展やLA ART SHOWに参加。2021年も国内各地で展覧会開催を予定中。