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美術への探究とそこにある風景を描いた60年の軌跡「デイヴィッド・ホックニー展」

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2023年7月29日

美術への探究とそこにある風景を描いた60年の軌跡「デイヴィッド・ホックニー展」


美術への探究とそこにある風景を描いた60年の軌跡「デイヴィッド・ホックニー展」

 

トップ画像:「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》(2011) ポンピドゥー・センター 東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

 

東京都現代美術館では、2023年11月5日(日)まで「デイヴィッド・ホックニー展」が開催されている。

 

世界で最も人気のある画家のひとりであるデイヴィッド・ホックニー。1960年代以降に欧米を中心に相次いで個展が開催され、2012年のロイヤル・アカデミー(ロンドン)での個展、2017年のポンピドゥー・センター(パリ)での個展はともに60万人以上の来場者数を記録している。日本では東京都現代美術館での個展以来、27年ぶりのホックニー展で、代表作をはじめ近作含む60年以上におよぶ彼の画業をたどるものだ。コロナ禍で開催が延期されたことを背景に、2020年以降の最新作品も紹介する本展は、日本におけるこれまでで最も充実したホックニー展となっている。

 

デイヴィッド・ホックニーは1937年生まれ、イングランド北部・ブラッドフォード出身。現地の美術学校と名門のロイヤル・カレッジ・オブ・アートで絵画を学んだのち、1964年にロサンゼルスに拠点を移している。美術学校在学中からも脚光を浴びていたホックニーにとって憧れの地であったアメリカ西海岸では、それまでの作風から一変し、陽光あふれる日常風景を描いた絵画を多く発表している。

 

ホックニーは自身の人気について、過去のインタビューでは、「私はポピュラーな画家だ。しかしおそらく間違った理由によるもので、私の作品は誤解されることが多いが、それはどうしようもない」(*1)と語っている。60年以上にわたり、絵画、ドローイング、版画、写真、舞台芸術など多様な分野において、多彩な作品を発表し続けており、80歳を超えた現在も美術への探求は衰えるところを知らない。

 

 

春が来ることを忘れないで

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、中央から右に《花瓶と花》(1969) 東京都現代美術館、《No.118、2020年3月16日「春の到来 ノルマンディー2020年」より》(2020) 作家蔵。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

本展は、ホックニーが美術にひたむきに、多様な視点から向き合ってきたことがよく伝わる8章だての展覧会構成となっている。

 

第1章「春が来ることを忘れないで」は、コロナ禍の2020年3月にオンラインで公開されたときの見出しが作品のタイトルとなっており、本展の象徴的なふたつの絵画を並んで展示。エッチングによる《花瓶と花》(1969)と、iPadで制作された《No.118、2020年3月16日 「春の到来 ノルマンディー2020年」より》(2020)は、制作時期に50年以上もの隔たりがあるが、ホックニー作品の通底にあるものを感じることができる。ホックニーは常に身近にあるものに目を向け、親しい人々の姿、傍らにあるもの、拠点とする地や旅先の風景など、眼前にある現実の世界を観察してきた。2つの作品からは、“身近なものを題材に、いかに絵画に移し替えるか”という一貫した美術への探求が見てとれる。

 

 

自由を求めて

展示風景より、右《一度目の結婚(様式の結婚 Ⅰ)》(1962) テート。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

第2章以降は、制作時期の違う作品の共通点を感じてもらえるように、時系列に沿いながらも最近の作品も交えてテーマごとに作品を紹介している。

 

第2章「自由を求めて」は、ホックニーの初期作品を紹介。1959年、戦後の復興を果たしたロンドンでは、労働者階級の若者を中心に反権威的な文化が広がりつつあった。アメリカの抽象表現主義やリチャード・ハミルトン等が率いたイギリスのポップ・アートに影響を受けていたホックニーであったが、特定の動向に迎合することなく自らの表現を切り拓こうと、同性愛を含む自己の内面の告白を作品の主題として扱った。当時は違法とされた男性同士の恋愛をほのめかす《三番目のラブ・ペインティング》(1960)などは、その典型である。また、市販の紅茶のパッケージを再現した変型カンヴァスに男性の裸体を平面的に描いた《イリュージョニズム風のティー・ペインティング》(1961)は、キャンバスの上で複数の様式を組み合わせた自由な試みが展開されている。

 

 

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《イリュージョニズム風のティー・ペインティング》(1961) テート。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

 

移りゆく光

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、左から《スプリンクラー》(1967) 東京都現代美術館、《ビバリーヒルズのシャワーを浴びる男》(1964) テート。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

第3章「移りゆく光」では、1964年ごろにロサンゼルスにて制作された《ビバリーヒルズのシャワーを浴びる男》(1964)や《スプリンクラー》(1967)、1978年から手がけた「リトグラフの水」シリーズなどを紹介している。開放的な空気のもと、シャワーやスプリンクラーの水しぶき、明るい日差しが降り注ぐプールの水面といった主題は、刻々と変化する光の反射、水の動きと透明感をどのようにとらえるかという関心に根ざしたものだ。

 

ノズルから噴出する水飛沫の微かなきらめき、透き通った水の表面で反射する眩い光など、捉えきれない世界の現れを、どのようにキャンバスに取り入れるか。ホックニーの光への探求は、2010年に手に入れたiPadによって、毎朝寝室の窓に差し込む陽光や窓辺に置かれたガラスの器を描くようになってからも続いている。画面のバックライトによって明るさが保たれるiPadは、ホックニーに朝の暗い室内での制作を可能にするとともに、光の把握に新たな気づきをもたらした。

 

 

肖像画

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《クラーク夫妻とパーシー》(1970-71) テート。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

第4章「肖像画」では、1960年代末より制作を始めた、ふたりの人物で画面を構成した「ダブル・ポートレート」シリーズから、ロンドンのテートが所蔵する《クラーク夫妻とパーシー》(1970-71)、《ジョージ・ローソンとウェイン・スリープ》(1972-75)、《両親》(1977)の3作品が一堂に会す。《クラーク夫妻とパーシー》(1970-71)と《両親》(1977)は、背丈を超える大きさのキャンバスにリアリティが満ちた空間を創出しつつ、ふたりの人物を配置しているため、説得力のある構図や描写が探求されている。

 

 

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、左から《両親》(1977) テート、《ジョージ・ローソンとウェイン・スリープ》(1972-75) テート。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

1970年代の版画から近年の絵画まで、本章後半で登場する肖像画には、過不足のない明快な線描で、親しい関係の人々の内面までとらえようとする、人物同士の言外の関係性を読み取るホックニーの観察眼が感じられる。また、本シリーズの最新作《2022年6月25日、(額に入った)花を見る》(2022)の瑞々しい空間表現、《自画像、2021年12月10日》(2021)の迷いのない大胆な筆致は、ホックニーの肖像画のいまを提示している。

 

 

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《自画像、2021年12月10日》(2021) 作家蔵。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

 

視野の広がり

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《龍安寺の石庭を歩く1983年2月、京都》(1983) 東京都現代美術館。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

第5章「視野の広がり」は、ピカソの最晩年の版画を手がけた刷師から学んだ新たな技法、舞台芸術の仕事を通じた鑑賞者が関与する作品空間への意識、中国の画巻を始めとした非欧米圏の美術への関心といった経験に基づいた作品を紹介している。1980年代以降、ホックニーは西洋美術における伝統的な一点透視図法は現実の世界を表現するのに十分でないと確信し、「見る」という経験から得られた空間の広がりを平面上に再現するために、さまざまな実験を試みている。

 

小型の一眼レフカメラで、足元から塀までを順番に100枚以上撮影してフォト・コラージュした《龍安寺の石庭を歩く1983年2月、京都》(1983)は、フィルムの白い枠や規則的なグリッドの配列から解放され、写真を遠近法によらない肉眼での認識に近い自然な配置することで、1枚の写真ではとらえることのできない視点の動きや時間までも表現している。幅7メートルを超えるフォト・ドローイング《スタジオにて、2017年12月》(2017)では、対象を少しずつ角度を変えながら撮影し、コンピューター解析で統合して3DCGを生成する、フォトグラメトリという技術が使われている。

 

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《スタジオにて、2017年12月》(2017) テート。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

 

戸外制作

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》(2007) テート。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

第6章「戸外制作」では、大画面の大作《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》(2007)が、鑑賞者に生命力あふれる木々が目の前にあるかのような圧巻の視覚体験を与える。50枚ものカンヴァスを戸外に持ち出し、刻々と変化する世界の様相を注意深く観察することにより、色彩や表情のごくわずかな差異までを自然光の下でモチーフとなる木々を描き上げている。また、戸外制作とデジタル技術を組み合わせることで、3月半ばから4月のわずか6週間ほどで本作を完成させたという。

 

 

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《四季、ウォルドゲートの木々》(2010) 作家蔵。東京都現代美術館 2023年 ©David Hockney

 

《四季、ウォルドゲートの木々》(2010)は、多視点の映像作品。春夏秋冬の季節ごとに、木々のトンネルが続く道をゆっくりと移動しながら、それぞれ9台のカメラで同時に撮影することにより、視覚体験における複雑なプロセスを再現。9つの別々の視点があることで、私たちの眼はおのずと画面を見渡すようになり、同時にすべてを一度に見ることはできない。そのため、画面の外縁部分はあまり重要ではなくなり、ほとんど視界から外されてしまう。絵の輪郭を定める端を取り除き、何を見るか、どの順番で見るかをその都度鑑賞者に選択を委ねる実験的な作品だ。

 

 

春の到来、イースト・ヨークシャー

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、〈春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年〉シリーズ(部分) デイヴィッド・ホックニー財団。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

第7章「春の到来、イースト・ヨークシャー」では、32枚組のカンヴァスによる大型の油彩画1点と大判サイズのiPad作品12点を展示している。油彩画は、2008年に自宅の屋根裏から移った大きなスタジオで制作され、記憶や想像力から自由に再構成した情景。一方で、iPadによる作品は戸外で制作され、ホックニーは眼前の自然に身体を投げ出して、12月の木々の枝や地面の薄氷、3月のやわらかな日差しの下で芽吹く草木、5月の青々と生い茂る葉が受けとめる強い光まで、日々変化する世界の広がりを、限りない喜びとともにとらえたものだ。ホックニーはiPadをドローイングのための便利で多用途なツールとして、いまも熱心に使い続けている。

 

 

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》(2011)(部分) ポンピドゥー・センター。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

 

ノルマンディーの12か月

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《ノルマンディーの12か月》(2020‐21)(部分) 作家蔵。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

第8章「ノルマンディーの12か月」では、展覧会を締めくくる、全長90メートルを超える大作《ノルマンディーの12か月》(2020‐21)が鑑賞者を迎える。ホックニーがコロナ禍の2020年を過ごしたノルマンディーの、美しい木造家屋を取り囲む庭や木々や池などを実際に風景を見ながら描いた大作だ。鑑賞者は作品に沿って回遊しながら、四季折々の景色を体験ができる。描く主題のために技術を集約させ、その瞬間、その場所にいることの共有体験を鑑賞者に提供するホックニーの真骨頂とも言える作品だ。

 

 

「デイヴィッド・ホックニー展」展示風景より、《ノルマンディーの12か月》(2020‐21)(部分) 作家蔵。東京都現代美術館 2023年 © David Hockney

 

身の回りの世界を絵画として写し取り、「どのように見るのか」、「どのように描くのか」という根源的な探求によって、鑑賞者にいかに見せることができるか。ホックニーによる「ものを見る」ことについて実験を試みた作品は、彼が最高の作家である所以を肌感覚で体験できるものとなっている。次に日本で個展ができるのは何十年先だろうか…、あらゆる世代の方にこの機会にぜひ鑑賞いただきたい。

 

(*1)楠本愛「冬来たりなば春遠からじ」『デイヴィッド・ホックニー展』(読売新聞・東京都現代美術館、2023年)p. 180にあるホックニーの発言より引用。

本記事は「デイヴィッド・ホックニー展」の会場・カタログにある章解説・論考を引用・参考にした。

 

 

文=鈴木隆一

写真=新井まる

 

 

【展覧会概要】

デイヴィッド・ホックニー展

会期|2023年7月15日〜11月5日

会場|東京都現代美術館 企画展示室1F/3F

住所|東京都江東区三好4-1-1

電話番号|050-5541-8600(ハローダイヤル)

開館時間|10:00〜18:00 7月・8月中の金曜日は21:00まで ※入場は閉館の30分前まで

休館日|月(7月17日、9月18日、10月9日は開館)、7月18日、9月19日、10月10日

料金|一般 2300円 / 大学生・65歳以上 1600円 / 中・高生 1000円 / 小学生以下無料

https://www.mot-art-museum.jp/hockney



Writer

鈴木 隆一

鈴木 隆一 - Ryuichi Suzuki -

静岡県出身、一級建築士。

大学時代は海外の超高層建築を研究していたが、いまは高さの低い団地に関する仕事に従事…。

コンセプチュアル・アートや悠久の時を感じられる、脳汁が溢れる作品が好き。個人ブログも徒然なるままに更新中。

 

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Instagram:@mt.ryuichi

 

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