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いま見つめ直したい、力強い民藝の軌跡「民藝の100年」

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2021年11月16日

いま見つめ直したい、力強い民藝の軌跡「民藝の100年」


いま見つめ直したい、力強い民藝の軌跡「民藝の100年」

 

民藝の思想誕生から約100年(正確にいうと「民藝」誕生から96年)、創設メンバーである柳宗悦の没後60年の節目を記念して《柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」》が東京国立近代美術館にて2022年2月13日まで開催中だ(会期中一部展示替えあり)

 

 

「民藝」とは、1925年に柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎によって作られた新しい美の概念で、「民衆的工芸」を略した言葉。

彼らは、一般民衆が使う日常の生活道具の中に、「美術」とは異なる手仕事の美を見つけ、それを通して生活や社会を美的に変革しようと試みた。

民藝の思想は全国各地の賛同者、支持者をつなぎ、大きな文化的なムーブメントへと発展。誕生から約100年が経過した現在においても色あせることなく、生活を見つめ直そうとする人たちに刺激を与え続けている。

 

約100年経ってもなお、「民藝」に注目が集まるのはなぜだろうか。先行きの見えない時代だからこそ、暮らしを豊かに彩るデザインに人々の関心が向かっているのか。それとも、世界がどんどん身近になる今日の社会に対して、相対的に地方の伝統的な手仕事に興味が行くのか。

いずれにせよ、約100年も前に柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎が作り出した美の概念が、今もなお人々の心を動かし続けているのは驚くべきことだ。

 

 

本展は、柳らが蒐集(しゅうしゅう)した陶磁器、染織、木工、蓑、籠、ざるなどの暮らしの道具類や大津絵といった民画のコレクションとともに、出版物、写真、映像などの同時代資料を展示。総点数450点を超える作品と資料を通して、民藝の活動の軌跡と、その内外に広がる社会、歴史や経済を浮かび上がらせるボリューム満点の内容となっている。

 

今回とくに注目したいのは、「美術館」「出版」「流通」という三本柱を掲げた民藝のモダンな「編集」手法と、それぞれの地方の人・モノ・情報をつないで協働した民藝のローカルなネットワークだ。

民藝の活動は、美しい「モノ」の蒐集にとどまらず、新作の生産から流通までの仕組みづくりや、農村地方の生活改善といった社会問題の提起、衣食住の提案、景観保存にまで多岐に渡っている。現代においても色褪せない民藝運動の持つ可能性は、持続可能な社会や暮らしとはどのようなものかを私たちに訴えかけてくる。

 

 

民藝創設メンバーが集結した「北の鎌倉」こと我孫子

 

バーナード・リーチが描いた千葉県・我孫子の柳宗悦邸の書斎。手賀沼湖畔の我孫子は1901年に鉄道が開通し、文人たちの別荘地として注目され、「北の鎌倉」と呼ばれた土地。書斎は柳自身の設計によるもので、手賀沼を眺望できるガラスの出窓の卍組子には、西洋と日本のみならず、東洋の意匠を綜合させようという柳の趣向が強く表れている。

我孫子には志賀直哉や武者小路実篤も転居し、やがてリーチも柳邸に仕事場を構えるなど、多数の芸術家が集まる「コロニー」の様相を呈していた。本展では、柳が実際に使っていた家具を用いた書斎を再現したコーナーも見どころの一つとなっている。

 

全国各地を巡り、勃興した民藝ムーブメント

 

民藝運動を推進する力は「旅」にあった。柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎ら創設メンバーは国内外を精力的に移動し、各地の民藝を発掘・蒐集していく。1924年に柳宗悦は江戸後期の木喰仏(もくじきぶつ)の調査に乗り出し、その旅の途中で「民藝」という新語つくり、「日本民藝美術館設立趣意書」を発表。「民藝」という言葉はフォーク・アートと併記され、その周囲には広大なすそ野が広がっており、対象が異なる蒐集家グループが林立していた。

民藝として蒐集されたものの中には、道具としての生命を終えつつあったものも含まれていた。囲炉裏に掛けられた自在掛など、柳宗悦は機能としての造形性、使い込まれた色合いや擦れといった「用」の痕跡を美的要素として挙げていた。茶道において千利休が日常の生活用品を茶道具に採り入れた「見立て」の美学と通ずるところがある。

 

新潟・南魚沼郡調査の折 如意輪観音菩薩像と大月観音堂にて 1925年8月123日 写真提供:日本民藝館

 

 

民藝フォント

 

筆書きやヘラ彫り、いっちん(スポイト型の筒)によって文字を描かれた壺や徳利は、柳宗悦に早くから注目されていた。文字を書くには難しい曲面に、いっちんという不自由な手法を重ねることで、自然と個性の角がとれた「非個人的な字」として見出したためだ。

一方で明治以降の時代を体現する字体が誕生していないことに対して、「私はもう一度「字」に生命を吹き込みたい」と宣言していた柳。雑誌『工藝』の中で時々、書や拓本や文字の特集が組まれたのは、民藝フォントの創出という究極の目標のためのリサーチだったのかもしれない。

 

歩くメディア、ファッションとしての民藝

 

柳たち民藝の人々のファッションは、ツイードの三つ揃いスーツ、帽子にネクタイ、丸眼鏡、ワークウェアとしては作務衣(さむえ)。今では私たちの生活に馴染んでいるどこかレトロなこうしたアイテムも、それ自体が工芸品や民藝を伝えるメディアとも言えるもので、当時としては最先端でありスタイリッシュであった。旅先で彼らが地方の町を歩く姿は、一種異様なお洒落さを放っていた。

その風貌からか柳たちは九州へ向かう途中で、私服警察官に職質尋問を受けたという。現代で言えば、パリコレのようなモードファッションを身にまとって地方の商店街を歩くようなものだったのだろうか。

 

右:《茶地縞ジャケット(柳宗悦着用)》及川全三 岩手県盛岡市 昭和中期 日本民藝館

 

 

大迫力!日本民藝地図

 

柳宗悦は1940年頃から、これまでの民藝調査を総括する仕事に取り組み始める。そのひとつが染色家・芹沢銈介(せりざわけいすけ)との協働で作り上げた、全長13mを超える巨大な《日本民藝地図(現在之日本民藝)》(日本民藝館蔵)だ。和紙、民窯、竹細工、染織など25種類の絵記号を使って500件を超える産地が描かれている。地元や訪れたことのある場所にこんな民藝があったのかと、見ているだけでも楽しい展示だ。

 

《日本民藝地図(現在之日本民藝)》(部分) 芹沢銈介 1941年 日本民藝館

 

 

柳宗悦らが見出した国内外の民藝

 

沖縄、東北、アイヌ、朝鮮、中国、台湾といった国内外の各地の民藝についても、丁寧に解説・展示されている。展示会や出版物により情報を発信し、観光や産業に大きな影響力をもっていた民藝運動は、手仕事の復興や農閑期の副業としての産業化といったことを期待されていた。民藝のスケールと時代性が感じられる展示となっている。

 

 

本展は1階の企画展ギャラリーをはみ出し、2階まで続いていることからも美術館側の本展への熱意が感じられる。

また、デザイン活動家ナガオカケンメイが率いる「D&DEPARTMENT(ディ アンド デパートメント)」が同展の特設ショップに出店。さらに、特設ショップ内にポップアップストアも展開。全国の民藝を扱うショップから全4店舗が2週ごとに出店している。

 

特設ショップ内のポップアップ・ストア風景写真 ※写真奥は11月7日(日)まで出店していた、諸国民藝 銀座たくみの様子です。

 

文=鈴木 隆一

写真=新井まる

 

【展覧会情報】

柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」

会期 :2021年10月26日(火)〜2022年2月13日(日)※会期中一部展示替えあり

休館日:月曜日(1月10日は開館)、年末年始(12月28日[火]-2022年1月1日[土・祝])、1月11日[火]

会場:東京国立近代美術館 東京メトロ東西線「竹橋駅」 1b出口より徒歩3分

住所:〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1

観覧料:一般1800円、大学生1200円、高校生700円、中学生以下無料

Tel:050-5541-8600(ハローダイヤル)

展覧会公式サイト:https://mingei100.jp