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そうだ、ナビ派に会いにいこう。『オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき』

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2017年3月3日

そうだ、ナビ派に会いにいこう。『オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき』


そうだ、ナビ派に会いにいこう。

『オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき』

 

 

「はじめまして、ナビ派です。」
 
―新年早々、この展覧会コピーに心をがっつりもっていかれた。
 
2014年の『ヴァロットン展 —冷たい炎の画家』(三菱一号館美術館)、2015年の『ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展』(パナソニック汐留ミュージアム)ときて、いよいよ本格的にナビ派熱が高まってきていた筆者にとって、ついにナビ派そのものにフォーカスした展覧会が、それも国内で初めて開催されるというのは、朗報も朗報にほかならなかった。
 
―”ナビ”とは、ヘブライ語で「預言者」を意味する。
 
ゴーガンの助言をきっかけとした大胆な色彩と、「平面性」「装飾性」「神秘性」「親密性」…ナビ派を形容するそんなキーワードを頼りに、時代を新しい美術へ導く「預言者」たちの、”ささやき”と”ざわめき”の世界へ。
 
今回は、三菱一号館美術館で開催中の『オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき』をご紹介したい。
 

”そもそも、ナビ派って?”
まずこの疑問を抱く方は多いと思う。
 
されどご安心あれ。
ナビ派が一体どんなグループで、どんな画家がいて、どんな作品を世に送り出していたのか…それを、オルセー美術館所蔵の油彩約70点、素描約10点を含む主要メンバー勢揃いの豪華ラインナップを以て、ナビ派初心者でも深くじっくり知っていけるのがこの展覧会だ。
 
ではまず、展示室に足を踏み入れるにあたって、ざっくりと”ナビ派とっかかりポイント”をピックアップしてみよう。
 
●ナビ派の誕生―ゴーガン衝撃の助言
●タリスマン―ナビ派の”お守り”となった1枚の絵
●内的世界と外的世界の共存
 
上記のポイントを押さえながら、出展作品を観ていきたい。
【ナビ派の誕生―ゴーガン衝撃の助言】
 
1888年、フランス北西部に位置するブルターニュ地方を、一人の青年が訪れた。
パリの私立美術学校、アカデミー・ジュリアンの学生監ポール・セリュジエである。
 
彼は、ここで生まれた芸術運動(※1)の中心だったポール・ゴーガンから、ある衝撃の助言を受ける。
 
それは要約すれば ”木々が黄色く見えるなら、カンヴァスに黄色を置きなさい。影が青みがかって見えるなら青を、葉が赤く見えるなら赤を置きなさい” というもの。
 
つまり、現実の色を忠実に再現しようとするのではなく「感じたままの色で描けばいい」ということ。美術学校で学ぶ伝統的かつ正確な描法からはかけ離れた助言に、セリュジエが大きな衝撃を受けたのは言うまでもない。
 
そんなゴーガンの作品が、展覧会の第1章「ゴーガンの革命」で展示されている。
 

ポール・ゴーガン 『≪黄色いキリスト≫のある自画像』 1890-91年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
 
ゴーガン自身の姿はもとより、まず目に飛び込むのは背景の”黄色いキリスト”。
その、マットで平面的なタッチと、明確な輪郭線(※2)、鮮やかな色彩
 
リアルに情景を描き出すというよりは、現実離れした大胆な色彩で描かれたその姿は、ゴーガンの気性がそのままに反映されたようなエネルギーを放出しながら、手前の抑制的な色彩の自画像と劇的な対をなしている。
 
セリュジエは、助言の衝撃と興奮冷めやらぬままパリへすっとんで返り、美術学校の仲間たちに鼻息荒くこの出来事を伝えた。それに驚きながらも共鳴したピエール・ボナール、モーリス・ドニ、エドゥアール・ヴュイヤール、ポール・ランソンらにより、”預言者”の名を冠する「ナビ派」が結成されたのである。
【タリスマン―ナビ派の”お守り”となった1枚の絵】
 
では実際に、ナビ派が生み出した作品とはどんなものなのか?
それを体現する1枚の重要な作品が、第1章の最後に展示されている。
 
ナビ派結成年に描かれたその作品は「タリスマン(護符)」と呼ばれ、ナビ派の”お守り”として、メンバーの1人、ドニが終生大事に所有した。
 
それはナビ派の象徴でもあり、目指すべきところでもあり、また発端でもあった
本展でもまさに、必見中の必見の作品だ。
 

ポール・セリュジエ 『タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川』 1888年、油彩/板、オルセー美術館蔵
 
作者は、ゴーガンの教えを直接受けた、前述のセリュジエ。
タイトルからわかるように、これは川の周辺を描いた風景画であるが、この作品は最早抽象画のような様相さえまとっている。
 
自然界にあるとは思えない、鮮やかすぎるほどの色彩。
パッと目をひく黄色、青、緑、赤…
彼がゴーガンの助言どおり、自分が感じたままの色をカンバスに置いたことで、ナビ派の指針となる作品が生まれたのである。
 
【内的世界と外的世界の共存】
 
上記の『タリスマン(護符)』は、ある意味「その瞬間、その画家が目の前の景色をどう解釈したか」「どう感じていたか」という、至極内面的でパーソナルな部分を、ダイレクトに、カンバス上に描き出した作品といえる。
 
そして、そんな画家自身の内的な世界は、目に映るアヴェン川の風景という外的な世界とカンバス上で混ざり合い、共存していた。
 
この内的世界と外的世界とがカンヴァス上で同時に表現されるという点が、ナビ派作品の大きな特徴のひとつ(※3)といえる。
さて、こうしてナビ派の誕生エピソードをざっくり知った上で、今度はその特徴が反映された多彩な作品たちを観ていこう。 
 
【特徴① 平面性、装飾性】
 
ナビ派の大きな特徴は、その平面性、装飾性にある。
これについて、メンバーのモーリス・ドニは次のような言葉を残している。
 
「絵画が、(…)本質的に、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを思い起こすべきだ」(モーリス・ドニ、1890年)
 

モーリス・ドニ 『テラスの陽光』1890年、油彩/厚紙、オルセー美術館蔵
 

ピエール・ボナール 『格子柄のブラウス』1892年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
 

ポール・セリュジエ 『にわか雨』1893年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
 
確かに、ベタ塗り。平面的。
色彩で覆われた表面、という言葉にすんなり合点がいく。
 
絵の具は陰影やグラデーションを作るのではなく、明確に区切られた領域に、ぺたり、ぺたりとマットな質感で乗せられている。奥行きや立体的な表現は最小限に抑えられ、画面の平面性が際立っているのがわかる。
 
またこの平面性と同時に、ナビ派には装飾性の高い作品も多く見受けられる。
 

ピエール・ボナール『庭の女性たち (左手前から)白い水玉模様の服を来た女性、猫と座る女性、ショルダー・ケープを着た女性、格子柄の服を着た女性』全て1890〜91年、デトランプ/カンヴァスに貼付けた紙(装飾パネル)、オルセー美術館蔵
 
複雑にうねる植物や点や線で表現された背景は、まるでテキスタイルや壁紙のよう。それが画面全体を覆い尽くしているさまには、強い装飾性が感じられる。
 
同時に、この作品では縦長の画面や見返り美人図のようなポージングと配置、服の格子柄など、髄所に浮世絵などの日本的な要素を感じられる。それもそのはず、ボナールは”日本かぶれのナビ”と呼ばれたほどの画家。こうしたジャポニズムが見受けられるのも、ナビ派の特徴のひとつといえる。
 
【特徴② 神秘性】
 
ナビ派の作品は、時として画家の内面の精神世界や宗教観を反映した、非常に静謐で神秘的な空気をまとうことがある。
 
筆者は、以前ジョルジュ・ラコンブの『赤い土の森』、ポール・セリュジエの『呪文或いは物語 聖なる森』(ともに1891年、カンペール美術館蔵)を目にした際の、画面を覆う圧倒的な静けさと神秘性に受けた衝撃を、今でも忘れられずにいる。
 
本展覧会でも、そのような神秘的な作品が第6章「裏側の世界」に展示されていた。
 

 
モーリス・ドニ 『磔刑像への奉納』1890年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
 

エドゥアール・ヴュイヤール 『ベッドにて』1891年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
 

モーリス・ドニ 『ミューズたち』1893年、油彩/カンヴァス

 

何故だろう、正統とされる宗教画とはかけ離れた描法なのに(ドニの『ミューズたち』に至っては神々しい姿でなく現代的な女性の姿で表現されているというのに)、どの作品も、人物のいる空間に崇高な空気が漂っていることが確かに伝わってくる。
 
簡素に捉えられた形、人物や事物の絶妙な間隔での配置。
写実的に、ドラマティカルに描かれる宗教画とはまた違う、ひたすらに穏やかで、静謐な神聖さと独特の間(ま)が画面を覆う。
 
邪念が全て振り落とされたような、余計なものの一切ない、ナビ派の平面的でシンプルな画面だからこそ伝わる神秘性なのかもしれない。
 
【特徴③ 親密性、日常の風景】
 
崇高な精神世界が表現されたかと思えば、身近な家族や室内、日常の何気ない光景やまどろみを切り取った、描かれた対象どうし、あるいは描かれた対象と鑑賞者との間に親密さ(※4)を感じさせる作品もナビ派には多い。
 
第3章「親密さの詩情」に展示された作品を覗いてみよう。


ピエール・ボナール 『親密さ』1891年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
 
この作品に描かれた空間に自らも足を踏み入れ、ふいに言葉を発すれば絵の中の人物に伝わるのではないかとさえ思う、近い距離感。
空気中を漂う煙が自分の体にもまとわりつき、むせ返るような感覚に陥る。
 
長年の友人や夫婦のような、沈黙が訪れても決して気まずくは感じない、落ち着いた、けれど濃密な関係性。静かな室内で、チッ、チッ、と時計の針の音だけが心地よく響いているような想像さえめぐらせてしまうほどに、画中の人物と画家、鑑賞者の距離は近い。
 
「親密性」とは、どの視点から、どの立場から鑑賞するかでもくるりとその表情を変える。作品によってそれを見比べるのも面白い。
…さて、ナビ派には、後にアカデミー・ジュリアン外の画家たち―”異邦人のナビ”とも呼ばれたスイス出身のフェリックス・ヴァロットン、彫刻でも有名なアリスティド・マイヨールなど―も加わる。
 
なかでもヴァロットンについては、2014年にまさにこの三菱一号館美術館で開催された『ヴァロットン展 —冷たい炎の画家』も記憶に新しい。
 
フランス出身者の多いナビ派にあって、スイス生まれの彼はどこか疎外感を抱いていたのだろうか。
彼の孤独は冷淡な眼差しとなって、生気を感じない裸婦像や、親密に見せながら嘘や裏切りを暗示するシニカルな版画作品、独特な視点で子供を描く作品などに反映されていく。
 

フェリックス・ヴァロットン 『髪を整える女性』1900年、油彩/厚紙、オルセー美術館蔵
 

フェリックス・ヴァロットン(左上から時計回りに)『アンティミテ Ⅹ 取り返しのつかないもの』『アンティミテ Ⅰ 嘘』『アンティミテ Ⅳ もっともな理由』『アンティミテ ⅤⅢ 外出の身支度』(すべて1897年、墨/紙、オルセー美術館蔵)
 
冷徹、冷静なようでいて、ある意味画家の内的世界の表出が非常に顕著な画家だったのかもしれない。
そのことがわかる臨床心理士のライターから見たヴァロットン作品の解釈を1つ紹介しよう。

 


 


フェリックス・ヴァロットン 『ボール』1899年、油彩/板に貼り付けた厚紙、オルセー美術館蔵

 

初めて見る作品で、且つその作家のことをあまり知らないのに、ひと目みてどうしても気になってしまう作品というものがある。私の場合、ヴァロットンの「ボール」がそれだ。数年前に開催された展覧会に足を運ぶことができず、今回初めて実物を見ることができた。本展5章の「子ども時代」に展示されている作品を見て、やっぱりそうだ、と確信した。
 
この絵の特徴は、女の子は上から眺める視点で描かれ、奥の女性は横からの視点で描かれていること。この2つの視点が織り混ざった構図のいびつさから、こちらを不安にさせるとか不気味さが漂うなどと言われている。
でも私が感じたのは、安心だった。この子のことを知っているとも思えたし、この感じ何だか懐かしいとも思えた。子どもの時の勇敢で一人ぼっちな感じがとてもよく表れているから。
 
この展示室のように、愛情に溢れる母子の絵や、子どもへの温かい眼差しに溢れる家族絵、子どものあどけない可愛らしさが描かれているポートレートなど、子どもをモチーフにした作品はたくさんあるけれど、ヴァロットンの子どもの絵だけが、子どもの周りに大人はおらず、視線を交わす人もいない。
 
しかし、子どもの本質を描くとすれば、断然これだと私は思う。
 
子どもの頃に見えていた世界は、大人に見えている世界とは異るもので、その差がこの絵の中にはしっかり描き込まれている気がする。
例えば、私が子どもの時は、砂や地面や緑や木やワンピースやボールなどと、今よりももっと近い所にいたし、実際ずっと見ていても飽きなかった。そして、時間がとてつもなく長く感じた。
きっと、子どもは独特の時間と世界の中にいて、それは物凄く勇気がいる冒険のような日々の中なのだろう。でも、それを誰かと共有するための言葉をまだもっていなかった。
 
家族や友達がいないということの寂しさではなく、人は誰かと自分の中にあるものを共有できない時、ひとりぼっちを強く感じる。
 
もちろん、世界とずっと近い場所にいたから、孤独だけどなぜかちっとも悲しくはない。この絵の女の子の周りだけに当たっている光が、それを物語っている。
 
あの時の子どもの本質的な孤独をこんな風に簡潔に絵に閉じ込められるなんて……。何度でも見たい作品だ。これこそ、ヴァロットンの内的世界の表現と言えるのではないだろうか。
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【”ささやき”と”ざわめき”】
 
さて、これまで、ナビ派の誕生エピソードやその特徴を観てきたが、ここで展覧会タイトルの一部”ささやき”と”ざわめき”にも注目したい。
 
そもそも、筆者がこの展覧会に惹かれたのは、この2つのワードに因るところも大きかった。以前から、ナビ派の作品を目にする度、”ささやき”と”ざわめき”に近い、時に神秘的で、時に不穏で、時に温かくて、時に心がざわつくような、何とも形容しがたい複雑な気持ちを感じることが多かったからだ。
 
心にダイレクトに言葉を吹き込まれるような、非常に内面的で親密、時に不穏な「ささやき」。
 

ピエール・ボナール『黄昏』1892年、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
 
上図の展示されている第2章「庭の女性たち」の作品を眺めていると、そのふとした会話が聞こえてきそうでもあるし、第3章「親密さの詩情」第4章「心のうちの言葉」においては、目の前の相手の息遣いや、内面に隠した不穏な企みや嘘までもがこちらにこぼれてきそうな気さえする。
第5章「裏側の世界」の宗教的モチーフが描かれた画面からは、ピンと張りつめた空気とともに、その敬虔な祈りが密やかに聞こえた気にもなる。
 
そして、事物の蠢きを感じたり、どこか所在なく、心許ない気持ちにさせられる「ざわめき」
 
視覚的に、大胆な色彩やタッチのごわつきから物理的な「ざわめき」を感じることもあれば、画面の中の状況や人物たちの内面・心情から、観ているこちらが不安感、孤独感、あるいは逆に高揚感などの心理的な「ざわめき」を感じることもある。
厳かで静謐、冷淡でマットな平面と、画家の内面の発露である鮮やかな色彩との乖離に、こちらが惑わされ、ざわついた気持ちにさせられているのかもしれない。
 
展示室には、ナビ派のそんな不思議な”ささやき”と”ざわめき”が、静かに、けれど確かに充満していた。それはぜひ、展示室で体感してみて頂きたい。
【“預言者“としてのナビ派】
 
そんなナビ派の活動は、ただその時代・地域だけで完結したわけではなく、後の美術界にも大きな影響を与えた。
 
ナビ派の単純化された平面や大胆な色彩、ざわついた筆致は、情熱のほとばしるままに荒々しい色彩とタッチで対象を描いたフォーヴィスム(野獣派)への連なりを示唆する。
さらに、記事序盤でご紹介したナビ派のお守り、セリュジエの『タリスマン(護符)』は、のちの抽象画の興隆を予期するようでもあった。
 
ナビ派の表現はその名のとおり、美術を新たな表現、潮流へ導いて行ったのである。
…さあ、以上のように、出展作品を追いながらナビ派をざっくりとご紹介した。
 
けれどナビ派がどんなグループだったのか、正直まだまだ、得体の知れない部分が多いと思う。
 
だからこそ、百聞は一見に如かず
実際の作品を観てこそ、ナビ派がどんなグループだったのかを肌で感じて頂けるはずだ。
 
ここまで色々な画家を取り上げたように、ひと括りにナビ派といっても、皆が一辺倒に同じ絵を描いていたわけではない。彼らはあくまで、新しい考えのもとに集まった多彩な画家の集まり
 
神秘的・宗教的な作品を描いた画家、冷たく不穏な情景を描いた画家、日常の情景・子供や家族に温かく親密な目を向けた画家、”日本かぶれ”と言われた画家まで、それはそれは多様な顔ぶれが揃っている。
 
ここからは、みなさんのご自身の目を通してナビ派に触れ、ナビ派を知り、「これぞ!」というお気に入りの画家に出会って頂きたい。
 
この初春はぜひ、三菱一号館美術館へ、ナビ派に会いに。
 

 

♡ちなみに…

本展は、グッズや併設のカフェメニューもとにかく可愛いものが目白押し!
なかでも数種類あるi Phoneカバー(シールタイプ)はお洒落かつキュートすぎて、どれにしようか頭を抱えること必至。更には”塗り絵付き”ポストカードという、帰ってからもどっぷりナビ派の世界に浸かって楽しめるものまで(セリュジエのごとく、感じたままに色を置いてみて頂きたい)!

ショップの壁面に描かれたナビ派の画家たちのユルい似顔絵もなんともお洒落で可愛らしく、女子には堪らないはず。

併設の「cafe 1894」のデザート「はじめまして、クレープ・シュゼットです。」も、ナビ派の平面性と装飾性がお皿の上でしっかり体現されていて、なんともニクイ。
他にもお洒落で可愛いグッズやメニューが盛りだくさん。鑑賞後も気を抜かずお楽しみあれ!

 

 

【脚注】

※1 ポン=タヴァン派。内面世界と外的な世界が共存する作品を、クロワゾニズム等の表現に拠って描いた。ナビ派に属したポール・セリュジエやジョルジュ・ラコンブらも含まれる。

※2 クロワゾニズム。輪郭線を明確にとり、くっきりと描く手法。ゴーガンやエミール・ベルナールらにより創始された。本展にもそれが如実に反映された作品が出展されている。


左:エミール・ベルナール 『収穫』1888年、油彩/板、オルセー美術館蔵
右:エミール・ベルナール 『ブルターニュの女性たち』1888年頃、油彩/カンヴァス、オルセー美術館蔵
※3 ゴーガンがポン=タヴァンにおいて、ベルナールとともに発展させた「綜合主義」の流れを汲むと考えられる。「綜合主義」とは、内的世界(主観)と外的世界(客観)両方を画面上で綜合して描くことを言う。

※4 エドゥアール・ヴュイヤールやピエール・ボナールなど、主に室内を舞台に、日常の身近な題材を取り上げた作品を描いた画家たちを特にアンティミスト(親密派)とも言った。

文:haushinka
作品コメント(ヴァロットン):Yoshiko
写真:新井 まる
 
展覧会情報

『オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき』
会期:2017年2月4日(土)~5月21日(日)
会場:三菱一号館美術館
住所:〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-6-2
電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10:00~18:00
(祝日を除く金曜、第2水曜、会期最終週平日は20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜休館(但し、2017年3月20日、5月1日、15日は開館)
入館料:一般 1700円 / 大高生 1000円 / 小中生 500円 (3月1日~15日学生無料ウィーク)
URL:http://mimt.jp/nabis/



Writer

haushinka

haushinka - haushinka -

関西出身、関東在住。慶應義塾大学法学部政治学科卒。

子供の頃から絵を描くのも観るのも好きで、週末はカメラ片手に日本全国の美術館を巡るのがライフワーク。美術館のあるところなら、一人でも、遠方でも、島でも海でも山でも足を運ぶ。好きな美術館はポーラ美術館、兵庫県立美術館、豊島美術館、豊田市美術館など。

作品はもちろん、美術館の建築、空間、庭園、カフェ、道中や周辺観光も含めて楽しむアート旅を綴ったブログを2014年より執筆中。

 

ブログ『美術館巡りの小さな旅』
http://ameblo.jp/girls-artrip