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アノの脚の間から覗く 角川映画の40年展

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2016年9月8日

アノの脚の間から覗く 角川映画の40年展


アノの脚の間から覗く角川映画の40年展

 

現在、京橋の東京国立美術館フィルムセンターの展示室では、「角川映画の40年 Forty Years of Kadokawa Pictures」《7/26(火)~10/30(日)》という角川映画のこれまでの歩みを様々な資料や脚本、撮影に使われた品など約180点もの展示物と共に振り返ることが出来るユニークな展覧会を開催しています。 

角川映画、と聞くとどんな映画作品がみなさんの脳裏には思い浮かぶでしょうか。


1.『犬神家の一族』(1976年、市川崑監督)ポスター7.『金田一耕助の冒険』(1979年、大林宣彦監督)ポスター
『犬神家の一族』(1976年、市川崑監督)ポスター
『金田一耕助の冒険』(1979年、大林宣彦監督)ポスター
ⓒKADOKAWA

 

「セーラー服と機関銃」(1981年)や「時をかける少女」(1983年)に代表されるアイドル映画や、「リング」(1998年)のようなサスペンス映画だったり世代によってそれぞれ異なる印象やお気に入りの作品が思い浮かぶかと思います。こうして展覧会でこれまでの足跡を一堂に振り返ってみると、話題性が高く後にそれぞれの時代を象徴するような映画を数多く生み出していたことが一望できます。逆に若い世代にとっては、アニメなどでおなじみの作品の原作が元々は実写の角川映画だったという発見もあるかもしれません。

私自身、この展覧会を通じて改めて角川春樹社長の映画に対するチャレンジ精神を強く感じました。映画は映画会社が作るものという常識に捉われず、元々出版社である角川書店が映画の原作を提供し、映画会社角川映画を設立して制作も手掛けたことは大変な決断と実行力です。そして、書籍と主題歌、映画のメディアミックスの手法を取り入れたプロモーション施策を行い、センセーショナルな評判を呼び成功を収めたのです。
この展覧会からは、映画自体の質もさることながら広報や宣伝戦略を重視し、十分な予算を費やしていたことが角川映画の商業的社会的な成功の重要な要因であったということが拝察できます。また、当時の豪華な宣伝資料などから学べる内容になっており、広報サラリーマン的な視点からも興味深い展示構成でした。

 

「第1章 大旋風-角川映画の誕生」

展覧会は、時代別に大きく4つの章に分かれており、まず「第1章大旋風-角川映画の誕生」は全ての角川映画の原点となった作家横溝正史原作、市川昆監督による「犬神家の一族」(1976年)のあまりにも衝撃的なシーンをモチーフにしたオブジェから始まります。

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本展覧会の企画、展示を担当した主任研究員の岡田秀則さんによると、この湖底に突き刺さって飛び出している脚は、いまや角川映画を象徴するものであり、あえて脚がリアルになり過ぎないように白い色で作ったとのことです。少しキッチュなこのオブジェは、展覧会中唯一の撮影可能なスポットでもあるので記念撮影にお勧めです。

また、すぐ隣には、金田一耕介探偵が映画で実際にかぶっていた帽子や愛用のトランクなども特別に展示されており、その質の良さと保存状態の良さには驚きます。この品々は実はもともと金田一探偵を演じていた石坂浩二さんの私物だそうです!


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この冒頭のセクションでは、森村誠一さんや、小松左京さんら作家を前面に売り出すことに重点を置いていた角川映画創成期の映画の様子が見られます。

 

「第2章“角川三人娘”登場 ― アイドル映画の時代」

この展示セクションでは、「野性の証明」(1978)でデビューし、一躍人気者となった女優の薬師丸ひろ子さん。相米慎二監督「セーラー服と機関銃」(1981)により記録的なヒットを収めたことを受け、角川映画が原田知世さん、渡辺典子さんといったアイドル女優を看板女優として全面に打ち出し、当時まだ若手だった雀洋一監督、井筒和幸監督、森田芳光監督らを起用して映画を制作していた時代に注力しています。

 

6-C.『晴れ、ときどき殺人』1984年 6-B.『天国にいちばん近い島』1984年 6-A.『セーラー服と機関銃 完璧版』1982年
左から渡辺典子さん『晴れ、ときどき殺人』1984年、原田知世さん『天国にいちばん近い島』1984年、 薬師丸ひろ子さん『セーラー服と機関銃 完璧版』1982年 ⓒKADOKAWA

 

現在のように手軽にネットや雑誌でアイドルらの画像や動画を楽しめるような環境がなかった80年において、この「角川三人娘」が同世代の人気と彼女らがファンに巻き起こした羨望や憧憬の念は想像を絶するものがあったと思われます。また、既に完成された著名女優ではなく、10代の手が届きそうな雰囲気の女の子がデビューと共に女優になり映画と共に成長していく様子を観客として見守る、という行為は青春における共感と同時代性を色濃く意識させる体験だったと思われます。実際、テレビにあまり出ず、映画でその魅力と人気を高めた彼女らの存在は、当時の若い世代を映画館に引き戻したとまで後に言われているようです。

 

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数々の映画のポスターや撮影時に使用された書き込みがびっしり見える脚本、そして角川書店から出版していた「バラエティ」のインタビュー記事に新聞の中吊りなど関連グッズが所狭しと展示されており、その数と質の高い印刷物などからは当時の熱気と人気の高さが感じられます。

 

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このセクションで特にこだわりが感じられるのが、「角川三人娘」のポスターをそれぞれ2枚ずつ貼った小部屋のような空間です。3面の壁に向かって座高が低めのイスが一脚置いてあり、そこに座ってゆっくりとポスターの向こう側から意味深なまなざしをむける三人娘を見上げて鑑賞することができます。

 

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岡田さんによると、ここで使用しているポスターは一応映画のポスターであるはずなのに、映画タイトルなどの印字は極めて小さく、映画の宣伝ポスターというよりはファン向けのノベルティとしてつくられたと教えてくれました。当時人気の高かった彼女らをモチーフにした電車の中刷りやパンフなど様々な宣伝グッズが公開されていたことがわかります。

また、展示内には数々の映画から印象的なセリフを切り取ったカラフルなバナーが天井からつるされ、その印象的な言葉に思わず足を止めてしまいます。中には、まだ観たことのない映画のセリフも多く使われているのですが、一体どんな映画なんだろうかと思いを巡らせてしまいます。

 

「第3章 アニメーションと超大作」

第3章の展示は、時代のトレンドを観察し、アニメーション映画の商機をいち早く感じ取った角川映画が、平井和正原作「幻魔大戦」(1983)を皮切りに、アイドル映画に並びアニメーションという路線を確立していった側面が伺えるセクションとなっています。

 

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さらに、角川春樹社長が監督として指揮した「キャバレー」(1986)では本格的な音楽映画に挑戦。そして壮大な時代劇、「天と地と」(1990)では大規模なカナダでの撮影を行うなど、新天地に失敗を恐れずに挑戦し常に進化を続ける姿勢が感じられました。

個人的には、女優の安達由美さんが子役として愛くるしいい笑顔で出演しているヒット映画「REX 恐竜物語」(1993)の展示が印象的でした。

 

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「第4章 再生、そして現代へ」

90年代に入ると、角川映画は、角川歴彦新社長の指揮のもと、「リング」(1998)や「失楽園」(1997)などに代表される話題作を次々と生み出す存在として再生しました。そして、2000年代に入り、大映の事業譲渡を受けた後は、旧大映東京撮影所を所有することとなり、複数の出資者による「制作委員会」方式の企業として引き続き映画製作を行っています。

 

13.『リング』(1998年、中田秀夫監督)ポスター

 『リング』(1998年、中田秀夫監督)ポスター  ⓒKADOKAWA

 

このセクションには、まとめとしてこれまでの全ての角川映画の年表形式の一覧表が展示されています。その数の多さと現在著名になった監督や女優陣の名前を見るだけでも圧巻ですが、主題歌を手掛けたアーティストらの名前にも意外性があり細かく見ていると新たな発見があるかもしれません

 

また、出口近くには、角川映画の予告篇を上映するミニシアタースペースもあり懐かしい作品や新たな発見のある作品を鑑賞することが出来ます。来場者によっては丸ごと見てしまう人もいるそうです。

 

映画を楽しむのに、わざわざ映画館まで足を運ばなくてもオンラインや専門チャンネル、あるいはDVDレンタルショップに行けば気軽に楽しめる時代になっています。しかし、1本の映画を制作し、それを宣伝し世に送り出す、ということに人生を賭けてきた先人達の足跡をこの展覧会で振り返り、新たなお気に入りの1本に出会ってはいかがでしょうか。

 

映画も人も出会いが肝心です。まだ出会えていない運命の1本を探しに、ぜひこの展覧会に足を運んでみてください。本展覧会は、映画ファンならずとも、70年代後半からの日本映画や音楽、若者文化などの直近のトレンドを楽しみながら知り、再考するきっかけが見つかる展覧会となっていると思います。

 

ちなみに、フィルムセンターの位置する京橋は、銀座からも東京駅からも近い大変便利な立地にありますので、銀ブラやランチのついでに立ち寄って映画を見たり、展覧会を覗いたりしてのんびり過ごすのにおすすめなスポットであり、秋には大規模商業ビルのオープンも控えているこれから注目したいエリアです。

 

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トークイベントレポート

この展覧会に際して開催された下記のトークイベントに同席し、角川映画の第一線で活躍してきた野村正昭氏のトークを聞きました。

 

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・「《角川映画》-宣伝の現場から」 *終了

日程:8月20日(土)

講師:野村正昭氏 (映画評論家、元《角川映画》宣伝担当)

 

講師の野村氏は、角川映画の興隆期である1979年から82年にかけて東映洋画配給部にて角川映画の宣伝に携わり、同時に角川映画から発刊された映画情報雑誌「バラエティ」でも勢力的に評論家ライターとして活躍していた貴重な経験を持つ方です。

野村氏によると、当時現場で様々な経験をした中でも監督として興味があった大林監督、深作両監督の両者と一緒に仕事が出来たことが一番良い思い出だったそうです。

その他にも、野村氏は、主任研究員の岡田さんとの対談形式のトークにて往年の角川映画ファンには懐かしく、そして新人角川映画ファンには耳新しい下記のようなエピソードを話してくれました。

 

浴びるように原作本を読まされた入社当時

・映画評論家を志していた若き日の野村さんは、知人の映画評論家の尾形敏郎さんの紹介で東映洋画部配給宣伝室での仕事を紹介されて入社。当時東映洋画部では洋画部とは名ばかりで、ジャッキー・チェン主演作から、「銀河鉄道999」(1979)といった長編アニメ、そして角川映画を含む邦画など幅広い映画の宣伝を手掛けていた。また、偶然というのは重なるもので東映洋画部の採用が決まった翌日角川書店の情報誌「バラエティ」の編集部からも採用が決まったとの連絡を受けた。当然どちらかを断るのが普通なのだが、なんと当時の編集長から、角川と東映はタッグを組んで活動するのだから、宣伝を行ってついでに記事も書いてみたらという驚きの提案を受け、想像できないような多忙な二足のわらじを履くこととなったそう。

入社してすぐ、まず原作を読んで知らないことには、映画公開に合わせた原作作家のブックフェアの準備や宣伝ができない、という考えから来る日も来る日も段ボールで届く横溝正史や山田風太郎らの作家の原作と全集を読みレポートを書いては、上司に提出する日々を送った。今思えば、この時の経験は「原稿料をもらいながら学校へ行っていたような貴重な経験だった」と述べていたのが印象的でした。

映画や本好きからすると羨ましいような地獄のようなどちらとも取れるような状況ですが、溺れるように本を読んで一日を過ごせるなんて羨ましい限りです。

 

猫の手も借りたい!「スローなブギにしてくれ」(1981)の珍オーディション

浅野温子さん主演で知られるこの都会的な映画は、実は何度か映画化を試みた作品で、最初は市川崑監督での映画化を考えていたが、最終的には藤田敏八監督での映画化が決まったという経緯があった。そしてこの映画の宣伝のため、映画中でヒロインの浅野さんが飼うという設定の子猫をオーディションで選ぶというイベントが開催された。書類選考を勝ち残った12匹の選ばれし猫たちが集結したオーディション当日は、会場となった東映本社屋上が猫まみれになり行方不明になる参加猫もいて大騒ぎだったという。このエピソードは、バラエティ誌の角川映画データーブックにも記載され後に語り草となった。

このような半分冗談のような思いつきのようなイベントを宣伝の一環として真面目に行い、楽しんでいたおおらかな時代の雰囲気が伝わってくる素敵なエピソードだと思いました。

 

不良番長シリーズみたい!と言われていたあの大ヒット作の裏話

野村氏が東映宣伝部で携わった作品の中でも最も思い出深い作品の一つが薬師丸ひろ子さん主演の「セーラー服と機関銃」(1981)。

撮影は、新宿の街中をメインに行われ、当時新宿に住んでいた野村氏は、花園神社からオートバイでぐるりと一周するシーンや新宿伊勢丹の通気口前で赤いハイヒールを履いた薬師丸ひろ子さんの制服スカートがはためく最後のシーンの撮影などには実際に撮影に立ち会ったという。この映画の撮影は、最初は薬師丸ひろ子さんの夏休み中に終える、という約束だったが夏休みを過ぎてしばらくしても終わらなかったもののお正月映画として間に合った事が記憶に残っている。この映画の評判は社内での試写会時もあまり高くなく、重役の中からは「不良番長シリーズみたいな映画だけど、大丈夫?」と言う疑問の声もあったが、いざ封切りしてみると大ヒットだった。

当時まだ高校生だった薬師丸ひろ子を撮影の送り迎えを手伝ったりして、役者としてこの先やってけるのか不安がっていた彼女の話を聞いてあげたこともあった。女優としての役割よりも映画製作の裏方に興味を持ち、東映に入社してみたいという突拍子もないことを口走ったこともあったが「Wの悲劇」(1984)の主演ごろから本格的に女優としてやっていく自覚が芽生えたように見えた。

 

このほかにも、野村氏は「バラエティ」誌での仕事を振り返り、キネマ旬報にはないカジュアルさがある独特の切り口の雑誌だったことや、「孤独のグルメ」の原作者の久住昌之さんら後に著名となる漫画家たちが編集部に出入りし、気軽にイラストなどを投稿していたことなどを話してくれました。

 

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研究員の岡田さんによれば「バラエティ」誌は、「70年代と繋がっている80年代の時代感が感じられる」雑誌だったとのことで、お話を聞いているとリアルタイムで読めなかった事がなんだか悔しくなってくるほどでした。なお、「バラエティ」誌のバックナンバーは、フィルムセンターの図書館で閲覧可能とのことです。

そのほかにも、観客席にいた熱心なファンから、看板女優の独立について切り込む鋭い質問も出て会場はかなりの盛り上がりをみせました。展覧会を見るだけではなく当事者の話を聞くと理解も深まり、角川映画の奥深さにますます興味が湧いてきました。

 

レポート:ソウダ ミオ   写真:新 麻記子

 

【展覧会詳細】

角川映画の 40 年  Forty Years of Kadokawa Pictures

会場:東京国立近代美術館フィルムセンター 展示室(7 階)

会期:2016 年 7 月 26 日(火)―10 月 30 日(日)

休館日:月曜日および 9 月 5 日(月)-9 日(金)

開室時間:午前 11 時-午後 6 時 30 分(入室は午後 6 時まで)

料金:一般 210 円(100 円)/大学生・シニア 70 円(40 円)/高校生以下及び 18 歳未満、障害者(付添者 は原則 1 名まで)、MOMAT パスポートをお持ちの方、キャンパスメンバーズは無料

*料金は常設の「NFC コレクションでみる 日本映画の歴史」の入場料を含みます。 *( )内は 20 名以上の団体料金です。 *学生、シニア(65 歳以上)、障害者、キャンパスメンバーズの方はそれぞれ入室の際、証明できるものをご提示ください。 *フィルムセンターの上映企画をご覧になった方は当日に限り、半券のご提示により団体料金が適用されます。

アクセス:東京メトロ銀座線京橋駅下車、出口 1 から昭和通り方向へ徒歩 1 分

     都営地下鉄浅草線宝町駅下車、出口 A4 から中央通り方向へ徒歩 1 分

     東京メトロ有楽町線銀座一丁目下車、出口 7 より徒歩5分

     JR 東京駅下車、八重洲南口より徒歩 10 分

お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

 

主催:東京国立近代美術館フィルムセンター

協力:KADOKAWA

本企画についてのHP:http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/kadokawa/

<トークイベント>

・《角川映画》-宣伝の現場から *終了

日程:8月20日(土)

講師:野村正昭氏 (映画評論家、元《角川映画》宣伝担当)

 

・《角川映画》はミステリー映画をどう変えたか

日程:9月24日(土)14:00

講師:中川右介氏(評論家・編集者、「角川映画1976-1986」著者

 

<上映&ト―クイベント 雀洋一監督>

・《角川映画》で4作品を監督した雀洋一監督を招いてのトーク。

・日時:10月29日(土)

・午後2時:「友よ、静かに瞑れ」(1985) 上映[103分]