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プラド美術館の奥深い世界を覗き見る~映画『プラド美術館 驚異のコレクション』

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2020年9月8日

プラド美術館の奥深い世界を覗き見る~映画『プラド美術館 驚異のコレクション』


プラド美術館の奥深い世界を覗き見る~映画『プラド美術館 驚異のコレクション』

 

三大美術館と言われたら、どこを思い浮かべますか?

まずは、パリにあるルーヴル美術館。

多くの人は、最初にこの名前を挙げるでしょう。

他には、ゴッホの〈ヒマワリ〉を持つロンドン・ナショナル・ギャラリーでしょうか?

これら2つに比べると、プラド美術館は、知名度ではやや負けてしまうかもしれません。

が、その範囲の幅広さも、集められた作品の質も決して負けてはいません。あのベラスケスの《ラス・メニーナス》もプラドコレクションの一つです。

しかも、それらの中で、戦争による略奪や戦利品として手に入れたものは……なんとゼロ!

その全てが、正当な報酬を払って画家に直接注文して描かせるか、あるいは代理人を通じて購入したものばかりなのです。

なんてクリーンな美術館なんでしょうか。まさに驚くべき事実!

 

昨年、このプラド美術館開館200年を記念してドキュメンタリー映画『プラド美術館 驚異のコレクション』が制作、日本でも2020年7月から公開されています。

今回は、映画をより楽しめるよう、内容の一部を抜粋、補足を加えながらご紹介します。

 

 

 

①スペインとプラド・コレクションの始まり~プラド美術館の誕生

 

 プラド美術館ーーーそこにおさめられているコレクションの歩みは、スペインという国の歴史と切っても切ることができません。

最初に、このスペイン史について、簡単におさらいしておきましょう。

 

 8世紀、アフリカからイスラム教徒が侵入し、イベリア半島はイスラムの支配下に入り、特に11世紀からは小王国が分立する時代が続きました。

 一方キリスト教徒側は、半島の北へと追い詰められますが、やがて巻き返し(レコンキスタ)を開始します。

 その中でも特に大きな動きが、1469年のキリスト教国カスティーリャのイザベルと、アラゴンのフェルナンドの結婚です。その後、二人がそれぞれ故国の王位を継いだことで、1479年に両国は統合し、スペイン(イスパニア)王国が誕生します。

 

作者不詳、《イザベル1世》、1490年頃、プラド美術館

 

 二人は、力を合わせてレコンキスタを推し進め、1492年、ついにイスラム最後の拠点である都市・グラナダを陥落させます。

レコンキスタを完了させ、一息ついたイザベル女王は、美術作品を購入―――それが、スペイン王家コレクションの始まりでした。

 

 以来、彼女やその後を継いだ代々の王や女王たちは、「知識」ではなく「心」で、つまり自分たちの「好み」に従って、美術作品を選び、収集していきます。

約300年かけて集められたその点数は、絵画だけでも約8300点に及びます。このようにして集められてきたコレクションは、王族はじめ宮廷の人々の目を楽しませ、そして美術を見る目を磨きあげていきました。

17世紀に、国王フェリペ4世が、ベラスケスを宮廷画家として抜擢、重用したのは、まさにその成果の一つと言えましょう。

その後、1819年、時の王フェルナンド7世によって、王室コレクションは、スペインの一般市民たちに向けて公開されるのです。

 これが、プラド美術館の誕生です。

 

 

②カール5世とティツィアーノ

 

 一枚一枚の絵画には、物語があります。

 プラド美術館が所蔵する作品も例外ではありません。

 例えば、この一枚をご覧ください。

 

 

ティツィアーノ・ヴィチェリオ、《カール5世騎馬像》、1548年、プラド美術館

 

 

夕暮れの空を背景に、装飾が施された甲冑に身を包み、馬を走らせているのは、神聖ローマ帝国の皇帝でありスペイン王も兼ねていたカール5世(スペイン王としてはカルロス1世)です。

1547年、ミュールベルクの戦いでプロテスタント諸侯の連合軍と戦い大勝利を収めた、その記念として制作された一枚です。

 

槍を携え、真っ直ぐに前を見据える姿は凛々しく、どんな相手にも怯むことなく、軍の先頭に立ち、進み、そして勝利する―――その様は、まさに「英雄」そのもの。

王族の肖像画ではお約束の「よいしょ」もあったにせよ、王者(皇帝)らしく、威厳に溢れた姿です。

カール本人が満足したのは言うまでもないでしょう。

 

作者のティツィアーノは、豊かな色彩表現を特色とするヴェネチア派の代表格。

その名声はヴェネチア内に留まらず、イタリア諸国の君主や教皇まで、当時のセレブたちを相手に活躍します。

カールもまた、ティツィアーノを大いに気に入り、肖像画をはじめ多くの作品を注文し、描かせます。

また、代理人をヴェネチアに派遣し、ティントレットやヴェロネーゼなど、ティツィアーノに影響を受けた画家たちの作品を買わせたりもしています。

 カールの息子のフェリペ2世もティツィアーノの神話画がお気に入りで、彼ら親子の集めた作品群は、後に、ベラスケスにも大きな影響を与えています。

 

スペインをはじめ、多くの国の王を兼ね、新大陸をも含む広大な領土と莫大な富を保有し、美術を愛好したカール5世ーーーその生涯は、穏やかなものではありませんでした。

フランスやオスマン帝国、さらにはプロテスタントとの戦いに次ぐ戦い、さらには広大な領土の統治に疲れはてた彼は、1555年、ついに自ら退位を決意します。

領土は2つに分け、スペインを息子フェリペへ(スペイン=ハプスブルク家の始まり)、そして皇帝の位とオーストリアは弟にそれぞれ受け継がせました。

こうして、国主としての最後の仕事を終えたカールは、スペインのユスタの修道院に隠棲、晩年の3年間を過ごします。

 

その際に彼が携えていった作品、それがティツィアーノ作の祭壇画《ラ・グロリア(栄光)》です。

 

ティツィアーノ・ヴィチェリオ、《ラ・グロリア(栄光)》、1551~4年、プラド美術館

 

金色の聖なる光に満たされた画面上部には、父なる神とキリスト、そして聖霊の白い鳩ーーーキリスト教の根本原理、「三位一体」。

それを仰ぎ見るのは、ノア(方舟のミニチュアを掲げている人物)、ダビデ王など、聖書の登場人物たち。

彼らがひしめいている様はなかなか壮観です。

そして、画面中部、神の足元にご注目ください。

注文主であるカール5世が妻(故人)や息子(フェリペ2世)と共に手を合わせ、跪いています。

 

《ラ・グロリア(栄光)》部分拡大

 

ここでの彼は、裸足で、装飾のない真っ白な服に身を包んでいるだけ。地位を示す王冠も足元に置かれています。

 

ハプスブルク家に生まれ、広大な帝国の主として君臨し、そして異教徒や新教徒と戦ってきた「英雄」ーーー多忙な日々の中で、美術作品に触れることは、彼にとってはまさに「癒し」だったでしょう。

そして、ついには自ら地位を手放す道を選んだ彼が最後に欲したもの―――それは、「心の安らぎ」ではないでしょうか?

皇帝・王として、そして一人のキリスト教徒として、自分の責務を精一杯果たしてきた。最善を尽くしてきた。戦ってきた。

それを神や先人たちに「認めてもらう」こと。天国に迎えてもらうこと。

《ラ・グロリア(栄光)》は、そんな彼の「望み」を、イメージとして見せてくれるツールだったのかもしれません。

 

そして1558年10月、部屋に飾られたラ・グロリア(栄光)の前で、カールはその生涯を終えます。享年58歳。

 

 

③現代の人々とプラド・コレクション

 

プラドのコレクションは、歴代の王や女王たちが「知識」ではなく「心」で選んだ作品―――このことは、映画の中で、くり返し強調されています。

 つまり、有名だから、などという理由ではなく、自分が「好き」「良いと思う」、そういった気持ち、つまりは「感性」を大切にしていたとも言えるでしょう。

 

作中では、王・女王のエピソードだけではなく、ピカソやダリなどスペインが生んだ芸術家たちとプラドの関わり、そして現代に生きるスペインの人々がプラド所蔵の作品について、自分の思いを語るシーンも多く挿入されています。

 

例えば、ティントレットの絵の前で、「自分が論文で取り上げた作品」と思い出を語るプラド美術館長。

また、フランドルの画家ウェイデンの《十字架降架》を取り上げたある女優は、作中のマグダラのマリア(右端にいる女性)のポーズを流れるような動きで真似て見せ、「ピナ・バウシュ(ドイツのコンテンポラリー・ダンサー)のダンスのよう」と形容します。

 

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン、《十字架降架》、1435~38年、プラド美術館

マグダラのマリア(《十字架降架》部分拡大)

 

 主題や画家の名前について「知識」を踏まえた上で見ることも、美術と向き合う方法の一つでしょう。

 ですが、絵を前にした時、ポーズや細部(ディティール)の描き込みに注目したり、「きれい」「怖そう」など第一印象を大切にするなど、自由に、「感じたまま」を大切にすることもまた、方法の一つではないか。

 彼らのコメントは、そんな事を考えさせてくれます。

 

 プラド美術館の成り立ちや歴史、作品ごとのエピソードだけではなく、美術との向き合い方についても考えさせられる一本、『プラド美術館 驚異のコレクション』。是非ご覧ください。

 

文:verde

 

 

【映画情報】

映画『プラド美術館 驚異のコレクション』

http://www.prado-museum.com/about.php

 

ナビゲーター:ジェレミー・アイアンズ  監督・脚本:ヴァレリア・パリシ 脚本:サビーナ・フェディーリ 企画:ディディ・ニョッキ

2019年|イタリア・スペイン|英語|92分|カラー | 原題:THE PRADO MUSEUM. A COLLECTION OFWONDERS

配給・提供:東京テアトル/シンカ  © 2019 – 3D Produzioni and Nexo Digital – All rights reserved

 

<参考文献>

・映画パンフレット『プラド美術館 驚異のコレクション』

・カール5世(神聖ローマ皇帝)(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB5%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)

・十字架降架 (ファン・デル・ウェイデンの絵画)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6%E9%99%8D%E6%9E%B6_(%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%B5%B5%E7%94%BB)

・イザベル1世(カスティーリャ女王)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%99%E3%83%AB1%E4%B8%96_(%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A3%E5%A5%B3%E7%8E%8B)



Writer

verde

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美術ライター。
東京都出身。
慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修了。専攻は16~17世紀のイタリア美術。
大学在学中にヴェネツィア大学に一年間留学していた経験あり。

小学生時代に家族旅行で行ったイタリアで、ティツィアーノの<聖母被昇天>、ボッティチェリの<ヴィーナスの誕生>に出会い、感銘を受けたのが、美術との関わりの原点。
2015年から自分のブログや、ニュースサイト『ウェブ版美術手帖』で、美術についてのコラム記事を書いている。
イタリア美術を中心に、西洋のオールドマスター系が得意だが、最近は日本美術についても関心を持ち、フィールドを広げられるよう常に努めている。
好きな画家はフィリッポ・リッピ、ボッティチェリ、カラヴァッジョ、エル・グレコなど。日本人では長谷川等伯が好き。

「『巨匠』と呼ばれる人たちも、私たちと同じように、笑ったり悩んだり、恋もすれば喧嘩もする。そんな一人の人間としての彼らの姿、内面に触れられる」記事、ゆくゆくは小説を書くことが目標。

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