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『生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展』で知る、天才画家の激しく美しい人生

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2015年1月26日

『生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展』で知る、天才画家の激しく美しい人生


『生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展』

で知る、天才画家の激しく美しい人生

 

 

 

2015年1月17日からはじまっている「パスキン展 -生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子-」。

彼の生誕130周年を記念した、国内では16年ぶりとなる回顧展です。

 

 

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「パスキン」と聞いてピンと来る人は、はたして何人いるのでしょうか?
パスキンは本名ジュリウス・モディカイ・ピスキンで1885年に生まれ1930年に45歳の生涯を閉じました。
「エコール・ド・パリ」、いわゆる1920年代、パリに集まった異邦人芸術家(レオナールフジタやシャガール、アンリルソーなど)のひとりです。

 

 

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パスキンはブルガリア出身で、ユダヤ人の裕福な商人の家に生まれました。
彼の生涯は旅で満ち溢れていて、中等教育をウイーンで受けその後ブタペスト、1903年には当時、最も美術が盛んだったミュンヘンで美術を学び、その後はパリ、ニューヨークと様々なところに移り住みます。
画家には珍しく「下積み時代が全くない」と言われているパスキンは、その能力をすぐにお金に変えていました。

写真を見ればわかる通り、なんと美男子でもあったパスキン!
描くジャンルも、風刺画や素描やそしてたくさんの女性の絵と多彩でした。1927年以降、彼の人気と評価は絶頂を迎えさぞかし幸せだったことでしょう。

 

 

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しかし、そんなパスキンは45歳で自殺という形でその短い生涯を終えています。

なぜ彼はこんなにも華麗な経歴があるのに自殺をしてしまったのか…?

彼の周りには二人の女性がいました。妻のエルミーヌと愛人のリュシーです。

 

 

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パスキンはリュシーを愛していました。しかしリュシーにも家族があり、彼女はその家族との決別に踏み切れず、そんな葛藤の中でパスキンは自殺をしました。
最初に手首を切り、しかし死にきれずその血でリュシーに「アデュー(フランス語でさよなら)リュシー」と血文字を手紙に書き、アトリエで首をつりました。
あまりにも壮絶な死。

だというのに、パスキンの晩年の作品、とくに死ぬ間際に書いた作品たちは彼の芸術人生の中で最も評価が高く、その淡く柔らかな光を放つ作品群は「真珠母色(しんじゅぼしょく)の時代」と称えられています。
一番美しいと言われているときが一番苦しいときなのです。
なんだかとても切ない。今まで成功しているが故にリュシーがきっとはじめて手に入らない願望だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

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(上:自殺寸前の作品 下:左パスキンの描いたリュシー )

 

 

 

「パスキン展」、彼自身の生涯を知って見るか知らないで見るかで見方がガラリと変わります。
彼自身の背景はもちろん、絵画も色が柔らかく美しいものばかり。

とくにパスキンの描く童話の赤ずきんやシンデレラの挿絵が少しばかりエロティックでパスキンらしい可愛さでした。

 

 

 

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また今回の展覧会は会場にも凝っており、内観はパスキンの邸宅をイメージしているそう。

 

カーテンがついた入口、パスキンのハンサムな肖像画など、乙女心がくすぐられる会場になっております!ぜひドラマティックな人生を歩んだパスキンの世界へ足を踏み入れてみてください!!

 

 

 

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《開催概要》
2015年1月17日(土)~2015年3月29日(日)
「生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展」
パナソニック汐留ミュージアム
展覧会公式WEBサイト:http://panasonic.co.jp/es/museum/