アートで暮らす女たち Vol.1
芸術新潮編集長 吉田晃子氏 インタビュー
girsl Artalkでは、アート業界で活躍する女性達を取り上げて、その仕事の魅力やアート関連の仕事に従事する意義などを掘り下げていきたいと思います。このシリーズでは、アーティストやクリエーターではなく、その活動や作品を社会に届けたり、支えたりするキュレーターや学芸員、ギャラリストやコーディネーター等の仕掛け人的な立場で、アート業界に貢献する方々に焦点を当てていく予定です。
その第一弾としてアーティスト今回は、伝統あるアート雑誌「芸術新潮」(新潮社)の編集長 吉田晃子さんに取材しました。
【自身のキャリアについて】
gA編集部(以下g):まず最初に、芸術新潮編集長となられた経緯を教えてください。
吉田編集長(以下吉田):2009年に人事異動により『旅』という雑誌の編集部から『芸術新潮』に着任したのが始まりです。それまで、アートに関しては詳しくなかったのですが、異動後毎月の仕事を通じ勉強を重ねていきました。
g:なるほど。そして、2014年に編集長に着任なさったのですね。実は事前にこれまでのインタビュー記事を拝見したのですが、その中で元々理系のご出身だったと知って意外な感じがしました。
吉田:元々コンピュータ関係の仕事をしていて出版についてはわかっていなかったんです。ただ、幼少期から小説を読むことが好きで、出版や書籍に関わる仕事につくということは自分の中では、ハードルは高くありませんでした。元来興味のあるものが途切れると飽きる性格をしているんです。前職では、当初宇宙開発の部署でロケットの基幹システムを作っていました。宇宙飛行士になりたいという夢があり、ロケットへの憧れもあったんです。部署が異動になったことにより、自分が興味のあるロケットに関われなくなったことから、仕事への興味がなくなりそのあたりから転職を考えはじめました。
g: いずれにせよ、かなりスケールの大きな仕事に携わっていたんですね。では、元々書籍に興味があったことと、目指していた宇宙開発の仕事に携われなくなったことが、出版社への転職のきっかけだったんですね。
吉田:違うことをやりたいなと思い出版社を目指しました。ただ、いきなり異業種からの転職は難しいので、日本エディタースクールの夜間学校へ仕事をしながら通い、卒業後前職を退社したのですが、すぐには就職が決まらず、フリーの時期を経てアルバイトとして新潮社に声をかけられて入社しました。そして、アルバイトとはいえ、補佐的な仕事ではなく、フルタイムで本をつくる仕事に携わることとなり数年間を過ごしたんです。
g:そうすると、当時はアルバイトとはいえ自立できるくらいの収入を得ていたのですか?
吉田:いや、それが当時は中々厳しくて友人とルームシェアしながらの生活を送っていました。その後、契約社員を経て、数年後正社員となりました。
【『旅』から『芸術新潮』に入って】
g:その間色々なご苦労があったかと思いますが、『旅』の編集部時代はどのような仕事をしていたのですか。
吉田:『旅』編集部には約6年在籍しました。この雑誌はJTBパブリッシングから出版されていたのですが、2004年に新潮社が引き継いで新創刊したのです。最初の2年ほどは、JTB時代の旅スタイルを踏襲して寄稿文の掲載や、土地の歴史や文化などをメインで紹介していたのですが、途中で女性誌のようなスタイルに変更しようと路線変更がありました。それに伴い、編集長も外部から呼んできたのですが、女性誌がなかった新潮社としては女性誌的な頭の使い方や発想へ切り替えをするのが難しく、皆でかなり頭を悩ませました。
g:そうなると、当時は他の編集部員の方も同じように苦労したんですね。そこから、芸術新潮に移った時は最初どう思いましたか?
吉田:外から見ている分には、写真を大胆に使っていて気持ち良い雑誌だと思っていましたが、いざ中に入ると最低限の専門知識を身に着けないと太刀打ちできないと分かりました。毎月違う内容を特集するんですが、その特集の担当は3~4カ月に一度回ってきます。
例えばこの号(2016年10月号)ではダリについて特集していますが、取材の相手が大学の先生や学芸員などの専門家なので、取材に行く前にまず自分が勉強して知識を得る必要があります。そして、話を聞いた後に、まとめて記事にします。例えば、今月はダリで来月は北斎といった形で特集が変わるのでとにかく勉強が大変。また、美術は歴史と関わっているのでその時代のことを知らないと話ができなかったりします。編集部に長く居れば居るほど知識の蓄積が生まれ役にたってくる仕事です。
g:そうすると3~4カ月持ち回りで例えばダリのことを学んで、特集記事を執筆編集をして、次は例えば北斎といったサイクルで次の特集を担当するという形で進めているんですね。
吉田:毎回、最初は特集のトピックに関する知識を勉強し、一通り理解してから、例えばダリについての色々な新しい情報などを調査し、その内容を料理をして、この企画は誰に取材をしたらよいのかと考え、専門家の先生方に話を聞いて様々な素材を集めて行くという形で企画を進めています。
g:それはお1人ではなく何人かでやっているんですか?
吉田:そうですね、特集は2人1組で担当してもらっています。編集部は私を含めて現在8名いるのですが、特集の他に連載や記事などもあるので2人割くのでも精一杯という感じです。
g:2人でもこれだけの特集を手掛けるのはかなりミニマムな印象ですね。もっと大人数で編集をなさっていると思っていたので意外でした。かなりの少数精鋭で行っているという印象です。
吉田:記事を外部のライターさんにお願いできれば少しは楽になる、と思うこともあるのですが、美術専門のライターはあまり多くはないのです。単に学芸員さんの話をさらっと聞いて記事にするのではなく、その話の奥にある絵画の表現変遷や歴史的な時代背景まで突っ込んで説明できる知識を持っていてかつ専門家の話もかみ砕いて文章に出来る美術に特化したライターさんは少ないのが現状です。加えて編集までできる方がいいな、と贅沢な希望もありまして。
g:それで、橋本麻里さんのような方が何度かゲストエディターさんとして活躍されているんですね。吉田編集長が着任後の号から、芸術新潮はフォントを変えるなど、デザインを一新したそうですが、それはかなり前から計画していたのですか?
吉田:四半世紀変わっていなかったこともあり、デザインを変えようという動きはかなり前からありました。硬く難しい内容でもあるため、デザインを柔らかく変えることで親しみやすくできないかと模索していたのです。ただ、私が編集長になるというのは急に決まったもので、デザインの変更などの検討を進めている時に編集長が変わったという状態です。
g : そうすると、希望して異動になったというわけではなく急な人事異動だったのですね。それは、新潮社様側に吉田編集長を着任することにより女性の読者を増やしたいとかそういった思惑があったのでしょうか。
吉田:どうなんでしょうか。私自身はもっと女性にも読んでもらいたいと思っていますが。
g :ちなみに、芸術新潮では過去にも女性の編集長はいらしたのですか?
吉田:80年代~90年代に山川みどりさんという女性編集長がいました。
g :その時代ですとかなり珍しいですね。
吉田:新潮社の雑誌では、初の女性編集長だったと思います。
g : 吉田編集長が初めて手掛けた号では、「ほんとうは教えたくない パリの小さな美術館」(2014年5月号)いう特集なのですが、この号を編集するにあたり『旅』時代の経験や知識は役に立ちましたか?
吉田:そうですね、地理的な面ではパリには何度か取材に行っていっていたので多少役に立つことはありましたが、取材対象が全然異なるので新しく学ぶことが多かったです。
g : 最近私たちの周りでもある程度のキャリアを積んだ上で転職する人が多いのですが、みな転職に際して、自分がこれまで培った知識、経験や人脈などを活かせる仕事をしたい、と考える人が多いように思います。吉田編集長にとって『旅』時代の編集経験は『芸術新潮』に応用できていると感じるところはあるでしょうか。
吉田:狭い世界の話になりますが、新潮社はジャーナリズム誌や文芸誌が中心で4色カラーの雑誌が少ないので『旅』の編集を担当していたからこそわかる写真の見せ方というようなことは役に立っていると思います。
g : なるほど。『旅』の編集部にいたころは旅行に行く機会が多かったかと思いますが、最近でも旅行にはよく行かれているのですか?
吉田:最近は中々まとまった時間の休みがとれないのですが、香港、台湾といった近場へは2~3泊ぐらいの日程で毎年行っています。
g : お仕事柄、海外出張がかなり多いと聞いています。
吉田:そうですね、特集がある際などは色々な土地に足を運んで取材をすることが多いです。最近は皆をまとめる立場なので特集を担当する数は徐々に減ってきましたが。
【吉田編集長の改革】
g : 今回の取材に際して、吉田編集長が就任する前とその後の各号の記事を2年分約30号ずつをざっと比較、分析してみました。芸術新潮として、大きな路線の変更はないようなのですが、各号の見出しを見ると、以前は「~宗達のすべて」や「スヌーピーのひみつ~」といったストレートで優等生的なものが多かったのが、吉田編集長就任後は、例えば「~仁義なき聖書ものがたり」や「人殺し画家が描く~カラヴァッジョをつまえろ!」などかなり刺激的で目を引くものとなっているといるのが顕著です。
また、特集の傾向をみると、過去30号中では、ダリやフェルメールなど西洋美術の特集が10回と一番多く、次点は、春画や若冲、仏像などの日本美術が7回登場。その後、ヌードやサザエさんなどの現代美術、刀や神社と言った日本の伝統がそれぞれれ5回ほど特集されています。そして夏目漱石や小林秀雄といった文学や思想家に関する特集の頻度が、以前と比べ、やや減っているようです。それに伴い誌面が若返っている、という印象を受けました。
御誌の読者層は40歳以上、富裕層の方が多いと媒体資料に紹介がありました。レンブラントやカラヴァッジョのような歴史的なアーティストもより、新たな発見やストーリーを知りたいというハイレベルな読者の知識欲や関心にマッチした変化を遂げているように思いますが、この誌面展開に対して読者から反響はありましたか?
吉田:読者から直接声を聞く機会はないのですが、部数が伸びていることは反響と言えると思います。編集部としては、もう少し読者の裾野を広げたいという狙いがあります。さすがにこの値段(定価約1500円)の雑誌を自分の仕事とか身の回りのことで精一杯の20代の方々に手にとっていただくのには無理があります。しかし、40代ぐらいになると余暇から教養を得ることが人間関係を築く上で重要であると理解し、実践し始めるころなので、そういった方々に芸術新潮をより多く読んで欲しいと思っています。大多数の読者は50代~60代なので、40代にももっと興味を持ってもらいたいです。
g : 読者の男女比はどうでしょうか。
吉田:現在男性の読者がかなり多く男性6割、女性4割ぐらいです。もう何十年もこの傾向と読者層は変わっていないんです。
g:御誌は、ご夫婦の読者も多いのが特徴的ですよね。家庭内で読んで一緒に展覧会に行ったりするイメージがあります。
吉田:美術館に行くと40代~50代の女性同士で来ているのをよく見かけるわりに、男性の読者が多いのが少し不思議なんです。
g : 特集により、読者の男女比は変わる事があるのですか?
吉田: 基本あまり変わりませんが、春画やヌードの時は明らかに男性読者の割合が上がります。
【話題の特集について】
g : 現在『芸術新潮』とインターネットの検索エンジンに入力すると「とてつもない」という検索ワードが上位に上がります。これは、「とてつもない裸!日本ヌード写真史」(2016年7月号)という最近の号に対しての世間の関心が高かった結果のようですが、この特集には戦略的な意図があったのですか?
吉田:長い芸術新潮の歴史の中で、ヌード写真の特集はヘアヌードが流行り出した1992年8月号で出したきり20年以上手掛けていませんでした。実は、雑誌媒体でヘアヌードをこれほど大々的に特集したのは、芸術新潮が日本で初めてだったと思います。ヘアヌードを掲載したことで、当時の女性編集長の山川さんが警察に呼ばれて少し騒ぎになりましたが、編集者はあくまで芸術写真作品として載せていただけで、それは既に欧米のアート雑誌では普通のことでした。
21世紀になってデジタルカメラの台頭とともに写真の表現が変わったので改めて「ヌード写真」を見直してみようと思いました。明治時代に写真技術が日本に入ってきてから現在までのヌード写真の変遷やどのように表現が変わったのか、を主に紹介したかったのです。結果的に写真家篠山紀信さんによる著名プロレスラーオカダ・カズチカさんのヌード写真や、光浦靖子さんのセミヌードばかりが大きな話題になり、写真史という視点はちゃんと伝わっただろうかという懸念があります。
g : 美術史的には裸とヌードの価値が違うなど色々な議論があるのですが、「裸!」とういタイトルはすごく思いきりがよくスカッとするタイトルだと思いました。吉田編集長が、芸術新潮に入ってから新しく始めたことはありますか?
吉田:私が入ったばかりの頃の編集長は生活文化寄りの考えがあったようです。美術作品の解説だけでなく、雑貨や食といった生活を豊かにする側面にも視野を広げる記事を増やしていました。
g :とに〜さんの漫画の連載がはじまったのは吉田編集長ならではのアイディアなのですか?
吉田:これは副編集長が企画した連載ですが、私自身も芸術新潮に異動して以来、全体を通して構えずに読めるージがないのが気になって、少し遊びを感じるぺージが欲しいと思っていました。伊藤まさこ(『伊藤まさこの小さな美術館』)さんの連載も「美術を勉強するぞ!」と力を入れずに楽しめるページを意識しました。
g : 芸術新潮は、色々な頁がミックスされていてすごく楽しく読めます。そのほかにも原田マハさんの詳細なレポート記事やヤマザキマリさんの連載などがありますが、こういった女性の方を多く起用しているのには意図がありますか?
吉田:マハさんのように美術の専門家でありながら一般の人に親しみやすく美術を紹介出来る方は貴重ですね。そういった方々を探していたらたまたま女性だったということなのですが、やはり一線で活躍する方に女性が増えてきたからかもしれません。
g :「アートと暮らす」(2015年3月号)という企画は、他の人を特集する号とは少し異なるテーマ性を持つ号のようなのですがこれはどのようなメッセージを込めて出された号なのですか?
吉田:メインの特集は全員で企画を持ち寄って企画会議をして決めるんです。実は、これは前の編集長の時から議題に上がっては消えていた企画で、実現に至るまでに時間がかかりました。アートの制作者の作風を知るということではなく、作品を身近に楽しむということに焦点を当てることで、読者のアートとの距離を縮めるということが少しでも出来ればと思い実現しました。
g:大変興味深い企画だと思います。girlsArtalkも同じような志を持って誌面を作っており、読者の方々にアートをより身近に感じてもらいたい、可能なら好きな作品を買ってみたいというような気持ちを大切にしています。アート愛好者の方でも、ギャラリーには行ってみるものの買うのは足踏みをするという人がほとんどだと思います。
吉田:私も芸術新潮に入ってすぐは、ギャラリーに入るのさえ躊躇していたこともあります。買わないと出られないのではと思ったりして。
g : 確かに、美術館慣れした芸術新潮の読者にとってはギャラリーは場所もなじみがないし、ビルの2階とか3階にある場合は余計に入り難いというイメージが強いかもしれません。がそういった認識も徐々に変わるといいですね。
最近、特に反響が高かった号にはどんなものがありますか?
吉田:王道となりますが、フェルメール(2016年2月号)、若冲(2016年5月号)ですね。後は、「仁義なき旧約聖書ものがたり」を特集した(2016年6月号)です。この号を出すのは、かなりのギャンブルでした。企画の趣旨としては、海外で伝統的な美術作品を鑑賞すると必ず宗教画と出会います。その時に作品と聖書との結びつきを理解できたらより鑑賞が楽しめると思い、それを手助けするような内容としたつもりです。この号では、仁義なき戦いをもじった広島弁で解説したのでキリスト教信者からふざけてる!とお叱りを受けるかもしれないと思っていたのですが、実際蓋を開けたら売れ行きもよく、とてもポジティブな反響をいただき、特にクレームもなく、ネットも面白いという意見が多くて嬉しい驚きでした。
g : 広島弁なので、大丈夫なのかなと思いましたが大変楽しんで読めました。
吉田:こういったギャンブル特集は年に1~2度はしていきたいです。
g : 今後もさらなるギャンブル特集を楽しみにしています。さて、2015年2月に出された「【追悼大特集】超芸術家赤瀬川原平の全宇宙」についてですが、これは赤瀬川氏が亡くなってから急きょ誌面を準備して記事の差し替えを行ったのですか?
吉田:これはとても急な出来事でした。元々千葉市立美術館で開催予定の赤瀬川さんの展覧会の紹介記事を準備していた最中に訃報を受けて、特集に変更すべく誌面を全面的に差し替えました。年末進行の大変な時期でしたが。
g : 赤瀬川原平さんは、作家として小説も書いていましたし色々な分野に影響力のある日本人の作家でしたよね。そんな方をすぐに特集するのはかなりのご英断だと思いました。
吉田:確かに。近年は「老人力」の作家としての認知度が高く、現代美術のアーティストとしての一面を知らない人も多かったと思いましたので、彼の活動を追悼の意をこめてしっかり紹介したいと思いました。
g : 女性のアーテイストの特集が少ないように見えるのですがそれは意図的ですか?
吉田:それは、主に昔は女性がアーティストになれなかった事に起因すると思います。現代では優れた女性アーティストが台頭してきているのでその傾向は変わっていくとは思いますが。特集するアーティストを性別で選んでいるわけではないのですが、たまたま特集となるきっかけを持ったアーティストに女性が少なかったというわけです。
g : 編集長として多忙な日々を過ごされていると思いますが、とある一日のスケジュールはどのようなものでしょうか?
吉田:スケジュールは不規則です。日によっては社内で午前中から夕方まで1時間おきに会議があって会議室に缶詰だったり、地方に出張に行く日は早朝に新幹線に乗り、最終で東京に戻ってくるというスケジュールになります。10月号を準備していた時は別冊が並行していたので、2週間ぐらい社内の地下にあるソファで仮眠をとって自宅にシャワーを浴びに帰ってはまた出社する、という状態を続けました。校了の日程が押して、海外出張と重なってしまい、飛行機に乗り遅れそうになりましたが何とかぎりぎりで間に合い事なきを得ました。
平和な日は11時頃に出社し、お昼過ぎぐらいまでメールや社内処理をして、その後映画の試写会に行ったり銀座の画廊を巡ったりして夕方に帰社し、レイアウトや記事のチェックを行うという日程になります。
g :平和な日でも相当な多忙であることが伺えます!これまで色々な特集を手掛けてきた中で特に個人的に思い入れが強い企画はありますか?
吉田:一番衝撃的だったのは、橋本麻里さんをゲストエディターに迎えて作った2010年12月号の春画特集です。春画の内容やネタのばかばかしさがこんなにも面白いということを知った時は目が覚めるような思いでした。その後何度か春画の特集もやりましたし、浮世絵への興味も深まりました。国芳特集(2016年4月号)をやったのもその流れですね。
g :「大英博物館『春画』展がスゴイ!」(2013年12月号)という特集もやっていますね。
吉田:大英博物館で春画展が開催されたとき、今まで美術業界内では虐げられてきた春画が美術として受け入れられてきたという思いがあり感慨深いものでした。
g :春画展が東京の永青文庫で開催された際に観に行ったのですが、女性同士で観覧に来ている人が多くてグッズなども充実していたのが印象的でした。
吉田:美術の中でも差別があるというのを知ったのも春画でしたね。
g : 芸術新潮のこれからについて教えてください。今後編集長としてやってみたいことはありますか?
吉田:昨年、「徳川家康没後400年記念大特集 関ヶ原&大阪の仁謎解き 大合戦図」(2015年6月号)や「美しい刀」(2015年9月号)をやった際に歴史との相性が良くなかったという感じがしました。美術ファンだけでなく「歴史街道」を読むような歴史ファンにも響くのでは、と思ったのですが……。いっぽう美術ファンにとっては、武将や公家によって絵画や工芸が育てられてきたという点をリンクさせて合戦図屏風や刀剣を見るのが難しかったようです。屏風も刀剣も家康をはじめ武将たちがいてこそ生まれたものとはいえ、歴史色が強くなると美術としての特集が難しくなる。。課題は多いですが、歴史と美術を融合させた特集はまた挑戦したいところです。
g : 美術作品の生まれた背景には歴史があり、作品はその政治、経済や交易などの時代背景を反映する一つの窓であるというような認識が浸透すればファン層が乖離することも減っていくでしょうね。
吉田:芸術新潮は1950年代の創刊より芸術の中でも美術をメインに扱っている、というイメージが強いんです。例えば坂東玉三郎特集(2014年6月)をした時は、歌舞伎ファンからも芸術新潮ファンからも反応が鈍かったということがあります。美術だけではなくより広義な芸術に広がっていく誌面内容にしていきたいという思いはあります。
g : 読者層とともに読者の歴史の受け止め方を広げていくのも大事ですね。例えば盆栽のようなこれまで読者が期待していないような要素を他の芸術への入り口として誌面に入れても面白いかもしれません。
吉田:そうかもしれませんね。
g :ちなみに御誌が、現存している作家はあまり取り上げないのはなぜでしょうか?
吉田:短い記事では現存作家も紹介しますが、特集は作家の活動を通覧するという視点で組むことが多いためです。現存作家はこれからどんな成長をするか分からないので通覧できません。現代美術に特化した他誌もあり、そこはうまく住み分けができているのではないでしょうか。
g :なるほど。色々と繊細な事情があるんですね。ご多忙なスケジュールの中で、プライベートはどのように過ごしてリフレッシュしていますか?
吉田:基本的には土日休みなので時間があれば、芝居を観に行ったり、近場に旅行にふらっと行ったりしています。後は、ビールを飲めばだいたいのストレスは発散できますね。
g : 私たちもリフレッシュにお酒をたしなんでいます!さて、編集部の若手を指導する際にはどのように接していますか?
吉田:いわゆる若手という人は編集部には居ないのであまり一から指導をするような苦労はありませんが、誰かに負担が偏ることなくチームワークを組むようにしています。編集部内には、幼いお子さんを持つ社員もいますが、ご家族の理解と協力もあり上手く廻っていますね。
g : それでは、最後に様々な美術やアートに興味を持つgirsl Artalkの読者にメッセージをお願いいたします。
吉田:音楽でも芝居、絵画でもやはり本物をたくさん見ることが大事です。本物の作品を見るのは雑誌で写真を見るのとは本当に違う体験です。本物にたくさん触れる、知る、聞くことは将来の自分の糧となります。
そして、どんどん吸収したものはいつ出てくるかわからないんです。その時は意味がわからなくても良いので、まず本物の芸術に積極的に触れて欲しいと思います。
g :ありがとうございました。私たちも若い読者が本物に触れあうきっかけとなるよう活動していきたいと思います。
テキスト:ソウダミオ
取材:ソウダミオ、新井まる
撮影: 吉澤威一郎
【吉田晃子氏】
プロフィール(新潮社サイトより)
弘前大学卒業。大手電機メーカーを経て、新潮社。「SINRA」編集部、書籍部門、「旅」編集部に在籍後、2009年4月より「芸術新潮」編集部。2014年4月より同誌編集長。
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