描き続けることは生き抜くこと
‐色彩の反復からみえた、山田正亮の終わらない世界 ‐
現在、東京国立近代美術館で開催中の『endless 山田正亮の絵画』展に行ってきました。
『描き続けたまえ 絵画との契約である』
この印象的なキーポイントとなるフレーズは、生前作家が記録した制作ノートから抜粋されたもの。
画家 山田正亮は、生涯におよそ5000点もの作品を残したといわれています。
彼は制作するにあたり、線ひとつ、絵の具一滴、構図1センチ..までも細かくノートに記録し、その実録に基づきながら作品制作という実験を重ねていった人物でした。
会場には、5000点の中から抜粋された219点の絵画作品とともに制作ノートの現物も展示されています。
そして展示作品の隣には、ノートの中から抜粋された一文が添えられており、山田氏が制作した時の心境や息遣いが鑑賞者側にも伝わってくるようでした。
「 展覧会というより実験室みたい・・・。」
と、鑑賞中の誰かが漏らしていたように、山田氏が手がけた記録の痕跡は細部に至るまで隈無く無数に書き記されており、狂気にも似た執念を感じました。
会場ガイドにも綴られているように、山田氏にとって『一枚一枚の制作は、身を削るような真剣勝負』だったのです。
山田正亮にとって、絵画とは何だったのか、たくさんの作品と書き殴った無数の文字を辿っていくと、少しずつ、山田正亮という画家の人間像が浮かび上がってきます。
展覧会の会場構成とともに制作時の記述を紹介しながら、”山田正亮”という人物に迫っていきたいと思います。
◆
まず、山田正亮の活動は大きく3つに分けられます。
1948年〜1955年の「Still Life」、1956年からおよそ40年続けられた「Work」、2年の休止期間を経て、1997年から亡くなる2001年まで続いた「Color」。
時系列に沿って、「Still Life」から行きたいところを、会場は晩年の「Color」シリーズからはじまっており、個人的にはその構成がとても面白かったです。
作品をよく見ると、下部に別の色が覗いています。幾度も色彩を重ねた過程が見て取れます。
ここで、1998年「Color」 制作時の記述をご紹介しましょう。
『油彩作品の制作年は、画面に塗されたいくつかの色調が或る様相を現す
時期として記述される。
作品はさらに数色の位置から統一する色彩に収斂されてゆく過程に、
概ね、1〜2年の時間を要した。
その領域は存在についての一形態と重なり、完、未完の意味作用から
離れる。』
記述からもご理解いただけるとおり、1〜2年もの期間をかけて、キャンバス一面に一色を塗り込んだのです。
ここにも彼の執念を感じます。
そして、この『完、未完の意味作用から離れる』とは、まさに展覧会タイトルの「endless」。
絵を描きはじめ半世紀を経て、画家自身が到達した境地なのではないでしょうか。
山田氏自身をもっと知るために、画暦を遡ってみたいと思います。
初期シリーズである「Still Life」では静物画が主となりますが、写実ではなく『記憶から描いた』ものであると制作ノートには記述されています。
「Still lifre」のブースでは、会場から「セザンヌみたいだね。」という声が聞こえてきました。
実際、当時のノートにもセザンヌに関して言及しています。
『セザンヌは全くの個人主義者で、唯自己の世界にのみ閉じこもって、自己の画面に対して秩序の身を与えることだけ考えていた』
ポール・セザンヌは、静物と対峙しながらあらゆる角度から物を捉え、視覚的に見たままのものや伝統的な決まりことにとらわれず描きたいように描くという、静物画に”自己”を投影させた革新者でした。
山田氏自身も、体得したのが”自己の世界”と”自分だけの秩序”であったように感じます。
彼の関心は、やがて物から物を囲う空間へと移っていき、静物たちの輪郭はどんどん解体されて背景と一体化していきます。
この”解体”作業が、正亮の核と言われている「Work」シリーズへつながっていきます。
◆
「Work」では、ストライプや十字架といった直線モチーフの反復が多く見られます。
鮮やかなストライプで埋められた展示ブースは圧巻でした。
色の組み合わせ方、幅の大きさ、荒々しいマティエール、絵の具の垂れる方向… 一見同じように見えるストライプの作品も、どれを取っても同じものは存在せず、一つ一つが緻密に計算されて、確信的に描かれているのだと感じました。
「色見本みたい。」
と会場から声が上がっていたように、何百種類もある色彩のパターン帳に、彷徨っているような感覚に陥りました。
この異常なほどの、色彩の繰り返しはなぜ行われるのでしょうか。
当時の制作ノートを見てみましょう。
『色彩のくりかえしは本質あるいは生である
ふりかえれば事物の固有のあり方が間接化により 深まった
静物55年を基点と考えることができるかもしれない
ひろがりの中でそのことを否定しないことは
予感を可視のものとする外見の(内部)
いわば視覚の解体とも云える
色に即しての仕事が出発点であり経過となる』
『色彩のくりかえしに本質がある』と山田氏は述べています。
さらにこれは外見から内面を透視するような視覚の解体作業でもあるとし、その作業の出発点は色彩にこそ内在すると主張しています。
こうして、絵画の本質を探るべく、直線モチーフを反復させ続けます。
『反復が新しさと共にあった』
『自由を獲得する』
山田氏にとって、継続する反復作業は自由の獲得でもあったのです。
ここで私自身が感じたことを綴ります。
いわゆる画家とは、描きたい情景、表現したい思想を具現化させようと、目的に向けて作品を制作するものだと思っていました。
しかし山田氏は違う。描きたいものを描き切った先に、作品が待っているのではないのです。
『距離の中に過程を間近く見る。
完成されるということは、過程ある限界とするときは考えられない
対立する推移を見ようとする 作品は経過の中に在り続ける
これを見つめ続けることは 忍耐がいるが、
作品は、過程の中に在り続ける』
山田氏にとって、過程こそが作品なのです。
◆
最後に、山田正亮の年表を改めて振り返りたいと思います。
1929年の元旦に、山田正亮は東京都荏原群荏原町大字戸越に生まれます。
やがて第二次世界大戦が勃発し、1945年の東京大空襲で正亮は実家を焼失します。また避難先でも空襲に襲われ、計3度、九死に一生を得ます。
終戦してまもなく父が亡くなり、その死を乗り越え銀座のデザイン会社に就職しますが、まもなくして結核を患い、入退院を繰り返します。
壮絶な戦争体験は正亮に黒い影をおとし、生涯忘れられることはありませんでした。死というものへの恐怖はもちろんのこと、これ程多くの犠牲を払いながら国が私たちにしてくれたものは何だったのか、大きな喪失のみではないか・・・!と、正亮の中に大きな空白が生まれました。
この空白は、病気で生死を彷徨う中でさらに大きく形成されていきました。戦争の惨劇は、終戦から数十年経ってもフラッシュバックされ、「Work」頃の制作ノートにも戦場の惨劇を書き殴っています。
この空白を埋めるため、つまり生き続けるために選んだ手段が、”絵画”なのでした。そして山田氏は、絵画と契約を交わします。
『絶え間なく描かれ続ける時間と絵画との合一性』を目指すと、1955年に既にノートで宣言していたように、彼にとって継続して描くことが絵画の探求であり、制作過程そのものが作品であって、そして絵画とは、生きることそのものだったのです。
無数の絵と制作ノートを通じて吐き出された言葉たちの両方が存在してはじめて、山田正亮の作品であり画家としての生き様なのだと私は思います。
展覧会を通じて”完成”という概念から解き放たれ、「endless」を手に入れた山田正亮の人生を擬似体験し、その熱量を全身で吸い込みながら、「何かを成し遂げなければ!」といつも自分自身にプレッシャーをかけていることに気付かされました。
とらわれていた目的意識から解放され、視界がぐんと広がったのです。
そして、私は『まだ終わらない人生をただひたすら漕ぎ続けていこう!』という強さを、山田正亮という画家からいただいたのです。
皆さんは山田正亮という画家から何を感じ取り、何を与えられるのでしょうか。
是非、2月12日まで開催中の本展覧会に足を運んでみてください。
文:多田愛美 写真:新井まる
【展覧会情報】
endless 山田正亮の絵画
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
会期:2016年12月6日(火)~ 2017年2月12日(日)
開館時間:10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日(1月2日、9日は開館)、
年末年始(12月28日[水]-2017年1月1日[日・祝])、1月10日[火]
観覧料:一般 1,000(800)円
大学生 500(400)円
*本展の観覧料で入館当日に限り、「MOMATコレクション」(4F-2F)、「瑛九1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす」(2Fギャラリー4)もご観覧いただけます。
主催:東京国立近代美術館、京都国立近代美術館
美術館へのアクセス:東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分
〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1
公式HP:http://www.momat.go.jp/