美術史に学ぶ恋愛テクニック
『良妻賢母 ~理想的な奥さんになる方法~』
「ばら」
「花を描くことと女性の裸体を描くことは同じ」
こちらの絵は、ルノワールの妻、アリーヌが亡くなったときにルノワールがアトリエで描いたという一枚です。ルノワールにとって花は生命力の象徴でした。その花を描くことでアリーヌの永遠の命を表現したと言われています。ルノワールは、涙を流しながらこの一枚を描いていたそうです。
18歳年下の魂の伴侶との出会いは、ルノワール38歳の時のこと。
行きつけの簡易食堂で、アリーヌ・シャリゴと出会いました。
「モデルになってほしい」と声をかけ、交流を深めていきました。光を描く“印象派”の巨匠として有名なルノワールですが、妻アリーヌと初めて出会ったのは、印象派の手法に悩んでいた頃でした。
「金髪の浴女」
悩めるルノワールはルネサンス発祥の地イタリアへと旅立ち、ラファエロの作品に出会います。「人物は輪郭線でくっきりと縁どられて躍動感に満ちている。こんな肉体を描きたかった」と感銘を受けたルノワールはすぐさまアリーヌを呼び、浮き出るほどに豊満で輝く裸体画「金髪の浴女」を描きました。
「アリーヌ・シャリゴの肖像」(ルノワール夫人の肖像)
その後暮らしを共にするうちに、田舎出身のアリーヌの大らかで素朴な人柄に触れ、その内面の輝きを描き込むことこそがルノワールの大切なテーマとなっていきます。
そしてついに一枚の傑作が生まれます。
「母と子」
アリーヌの出産を機に、彼女の母として生命感あふれる姿と女性としての幸福に満ちた表情を描き上げ、以降、ルノワールは生きること自体を喜ぶような「幸福感」を生涯追求することになったのです。
アリーヌは、正式に結婚する前からモデルを務めながら、ルノワールが仕事をしやすいようにと、アトリエの床を大理石のように磨き、パレットも新しい銅貨のように輝くほど磨いたと言われています。
また、リューマチに苦しむ夫に運動が良いと聞くと、家にビリヤード台を作り、共に興じたそうです。花を描く夫のために花を生け、絵筆を握る夫の側で、編み物をしながら座ることを好んだそうです。
画家としての名声を得た晩年のルノワールにとって、アリーヌは陰で夫の制作を支える「画家の妻」となっていました。
しかし彼らに悲劇が起こります。ルノワールの持病のリューマチが悪化し筆を握ることができなくなったのです。アリーヌは毎日夫の指に筆を挟んで布で巻きつけ、病を患ってもなお描こうとする夫の創作意欲を支えようとします。
そんなアリーヌも実は糖尿病を患っていました。夫を案ずるあまりに病を隠し続けたアリーヌは56歳で帰らぬ人となりました。
死の5年前に描いたアリーヌ最後の肖像画を、ルノワールは片時も離さず傍らに置いていたと言われています。
*アリーヌから学ぶ理想的な奥さんになる方法
今回のキーワード 「相手を支え、仕事に専念できるような環境づくりができる女性」
*ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841年~1919年)
中部フランスのリモージュに生まれる。
フランス印象派の巨匠で、裸婦や肖像画の制作を続けた。
晩年はリューマチに苦しんだ。
最後の絵はアネモネで、これを描いた後、「やっと何かがわかりかけたと思うんだ」と言った。その日の夜遅くに亡くなった。
*作品に会える場所
ポーラ美術館、国立西洋美術館、石橋財団ブリヂストン美術館、ひろしま美術館
*参考文献
●山口路子 「美神の恋 画家に愛されたモデルたち」
●千足伸行 林綾野 「あの名画に会える美術館ガイド
●NHK 迷宮美術館 「巨匠の言葉」