皆さん、『不思議の国のアリス』の出生に迫った【前編】は読んでいただけましたでしょうか?
【後編】はその謎を哲学的に紐解いていきます。
アリスのようにもう少し首を長くして、お楽しみ下さい。
『不思議の国のアリス』はルイス・キャロルがノンセンス文学として世界中で読まれた作品として
知られています。
「皮肉」という言葉は、皮と肉が原材料。(つまるところ、骨や髄にまで達しない「上辺」という意味です。)
しかし、果たしてルイス・キャロルが当時の時代や社会をあざ笑うためにパロディー作品を
残したのでしょうか。 私はそう思いません。
(大英図書館のアリス展にて)
私のご近所さんであるビックベン・砂時計・振り子時計・腕時計・そしてiwatch。
現代社会に生きる人びとは「時間」に支配され、常にスピードを求められながら毎日を生きています。
「時間」は『不思議の国のアリス』で重要な役割を果たしているのです。
そこで、「アリスと時間のなぞなぞ」について考えてみましょう!
「時間」という概念が生まれたのはいつのことでしょう?古代の人々は月の満ち欠けと太陽の位置によって、
自然を頼りに「時」を図っていました。「数字と時の概念」が人類に与えられたことにより、人々はより
効率的に生活できるようになり、より効率的にコミュニケーションが出来るようになりました。
スター・ウォーズのワープも時を巻き戻したり、先延ばしたり「時の工作」をしているのです。ところが、
この「時」は実はアリスのお話では不思議の国をややこしくさせている登場人物として描かれているのです。
ここで、キャロル言葉を巧みに用いて作り上げた「不思議の国」の2つのシーンを取り上げて
ご紹介しましょう!
〜マッドハッターとの「おかしな茶会」〜
お茶会でのマッドハッターと3月ウサギの会話を抜粋。
マッドハッター
「大ガラスが机に似ているのはなぜ?」
…
アリス
「あなたがた、もう少しはましな時の使いようがあると思うわ」
「答えの出っこないようななぞなぞをかけて、時をつぶすよりはね」
マッドハッター
「わたしが知っているていどに、あんなにも時というものがわかっているなら。
つぶすなどとは言わんだろうがね。時はいきものだぜ」
アリス
「どういう意味か分からないわ」
マッドハッター
「時は、はかられたりするのがいやなのさ。ねぇ、あんたがもし仲良くさえすれば、
時間に何を注文しようと、時のやつがたいていやってくるはずだぜ」
…
マッドハッター
「ところが、こないだの3月、おれたちは−ちょっとこいつが気違いになる前だが、こいつとけんかしたのさ。
ハートの女王がもよおされた大音楽会のときだったが、おれはうたわなきゃならなかったんだ」
「ところで、おれが大1節を終えるか終わらないというところで…
女王が怒鳴り出されたのだ『こやつ、時間をつぶしているぞ!首をちょん切れ!』
それからというもののいつみても6時なんだよ!」
アリス
「ここにこんなにお茶の道具が出ているのはそのせいなのね」
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
エマニュエル・カントはかつてこのような言葉を残しました。
‘Time is not something that exists by itself.
Time is actually a psychology sense by which we engage the world’
(「時間」というものは『時間』という一つの物体・固体として存在するのではない。
「時間」というものは人間が世界との関係・つながりを構築し、感覚を研ぎ澄ませながら、
その世界を経験・体感することから時間が生まれる。)かなり意訳ですが。
カントは、「人びとは世界とのつながりと構築を通してその人びとの中になる時間の針が動いていく」
というのです。
でもそんな哲学的なことと『不思議の国のアリス』とはどのようなつながりがあるのでしょうか!?
(ウァンダーランドウィークで出会った才能ある素晴らしい研究者たち)
そのややこしい数式を解く前に151年前のオックスフォードのタイムトリップしてみましょう!
この写真はキャロルが教鞭を執っていたオックスフォードのクライストチャーチカレッジです。
151年前は時間軸が今と異なっていたそうです。
現在ではイギリス全土は同じ時間軸で設定されていますが、151年前はオックスフォードの場所はロンドンより
時間が1時間ほどずれていたそうです。
つまり、ロンドンの時間とは別に、オックスフォードの時間が存在していたそうです。
コラムの【前編】で述べたようにルイス・キャロルが生きていた時代は、産業革命によりその変化は著しく、
人びとがスピードを意識し、より効率的に生活をはじめものでした。
ポストモダニズム、ポストモダンと呼ばれる現代では、テクノロジーの発展によりスピードのみならず、
情報化が進むことで自分の「姿」や「実体」が曖昧な時代に入っています。
人類はコミュニケーション手段としてアナログとデジタルをうまく両立させています。
しかし、そのことにより自分の姿が、バーチャル化されているのか、絵画のように描かれているのか、
模写されているのか、点・線なのか、それとも透明人間状態として捉えられているのか。自分の体は
存在しても、自分の認識と信条にズレが起こることで、その人の存在自体もズレが生じているというのです。
良く考えれば、コミュニケーションと情報伝達の効率化には最適な時代です。
しかし、ルイス・キャロルはそこには大きなブラックホールのような落とし穴があるということをお話を
通して教えてくれているのです。(これは私の個人的な解釈です。ご了承下さい。)
スター・ウォーズにもバーチャル化されたミニチュアジェダイがメッセージを届けるために飛行船の中に
登場しるように…バーチャル化されはじめた時代、実体が分からない時代だからこそ、自分たちの実体や
認識や時間はどこかに飛んで消えてしまうかもしれません。
『千と千尋の神隠し』の千尋のように、あのトンネルを抜けて辿りついた世界では、その世界の食べ物を
食べないと消えてしまうように、千尋の名前を忘れてしまう実態に陥ってしまうかもしれません。
実際にその落とし穴にはまった人物たちがマッドハッターや3月うさぎなのではないでしょうか。
時計を持って急ぐ白いうさぎも、時計を持って走ってばかり…いっそ、その時間をバタークッキーにして
食べてしまえばいいのにと思ってしまうほどです。
出典:http://matome.naver.jp/odai/2134152009876769101
ルイス・キャロルはきっと151年後の世界を予知していたのでしょう。
世界がより早く変化し、発展し、便利になる。でも世界に存在する宗教や法律は多様で一つの共通した
ものではありません。盛者必衰と森羅万象の理。
国際情勢を見て分かるように、多様な宗教と法律が存在することで、秩序が崩れてカントが言う「時間軸」を
見失い、人びとの混乱が生じながらも、それでも現代人が「光」を求めて生きていく道をたどっていくことを。
アリスのお話でもありますが、現代に生きる人びとのためのお話でもあるのです!
(『真珠の耳飾りの少女』フェルメール出典:http://yoi-art.at.webry.info/201209/article_1.html)
世界中で有名な少女は他にもいます!
物語のはじめを少し振り返ります。最初のシーンを紹介しましょう♪
〜ネズミのお話のねじれ〜
アリスは白いウサギを追いかけて、不思議の国に落ちた時、アリスの体の大きさより小さなドアがある
部屋にたどり着きます。そして、アリスが小さなドアの鍵穴を覗いてみると、奥には世にも美しい素敵な
庭が見えました。好奇心旺盛なアリスは、そのお庭に行くためにどうしようか考えていると、自分の体の
大きさが変化するお菓子やテーブルの上に黄金の鍵を見つけ、急いで走る白いウサギを再び見つけます。
お菓子を食べて体の大きさが小さくなるものの、鍵を手にすることが出来ないため、なかなかドアの向こう
側にはたどり着けません。途方も暮れて、大粒の涙を流しながら、ウサギが置いていった扇で自分のことを
仰いでいると、なんとアリスの体がどんどん小さくなるのです。
アリスは泣き止み、自分がまだ存在することに感謝しますが、自分がこぼした涙と体の大きさの変化のせいで、
アリスは涙の池の中に自分がいることにすぐ気が付くのです。
涙の池で泳いでいると、パシャパシャと水のはねる音がし、近くまで泳いでいくと、なんと泳いでいる
ネズミに出会うのです。そのネズミは猫と犬が大嫌いでお節介なネズミ。そのネズミの前でアリスは猫の
「ね」さえ言うことは出来ません。
出典:http://www.creyon-nurie.com/sashie-art/newpage40.html
ネズミとアリスは陸に上がり、同じく涙の池から上がってきたアヒル、ドードー、オウム、子ワシたちが
陸へと上がっていきます。陸に上がった動物たちとアリス。すぐにネズミが説教を始めたり、動物達が
ルールの無いヘンテコなコーカスレースを始めたりするのです。そのコーカスレースはスタートも無い、
ただランナーたちが走りたい時に走り、やめたい時にやめる。半時間ほど経って、体が乾いた頃に、
ドードーが「辞め!」というと終わるレース。
ちなみに、コーカスとは英国では規律のある党組織の制度を表すそうです「キャロルの使うコーカスレーでは、
委員が政治的な利を求めて走りまわって落としどころがなくなるのを揶揄するかのように、好き勝手に動き
まわって堂々巡りの話となっています」(『アリスのことば学』より抜粋)
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/5414/dodo2.html
なんとも奇妙なお話です!
その後、しゃばりでお節介なネズミは嫌いな犬がネズミ一家をいかに脅かしたかという身の上話をします。
本ではこのネズミのストーリーは尻尾の形として表現されます。
http://www.cleavebooks.co.uk/grol/alice/won03.htm
ネズミが動物たちの目の前で出しゃばって「身の上話」(tale)を話す一方、アリスは目の前のネズミの
しっぽ(tail)に気を取られていると、このtailとtaleがこんがらがり、勘違いしてしまいます。アリスは
tailが長いlongと理解できるけれども、なぜtaleが悲しいsadなのか、という難問にぶつかります。
アリスはネズミの話のどこが悲しいのか一生懸命聞いたのですが、こんがらがり、このようにしっぽの形に
なってしまったそう。
これはアリスの脳の中で認識されたネズミの話の表象なのです。ちょっとおしゃれですね。
でもこのしっぽの話しの仕掛けはそれだけではありません、お話は続きます。
上の空にいるアリスに気づいたネズミはアリスに、自分の話しを聞いているのか確かめるために、
アリスに自分の話の説明をさせます。
でもアリスはこう答えます。「the fifth bend」(5番目の曲がり角)と。
しっぽの形のお話になっているのはアリスの頭の中のみ。ネズミに「5番目の曲がり角」と答えたって、
ネズミもわかる訳がありません。
そこでネズミはこう答えます。’I had not!’(「こんなこと言ってないわ!」)さらに、アリスは
否定語のnotを間違えてKnot(ねじれ目)と理解し、こう答えます。「ねじれたのなら私に任せて!」。
NotとKnotと聞き間違えたアリス。ネズミはアリスの話しでさらにねじれていきます。
TailとTale, NotとKnotを認識し間違えたところで、ネズミのしっぽの話がどんどんねじれていき、
終いにはネズミが憤慨してどこかへ行ってしまいます。実にナンセンスなお話しですね!
(『アリスのことば学』参照)
何か哲学的な答えにたどり着くどころか、意味を突き止める挙句に無意味にたどりついてしまうアリス。
これがナンセンス文学の特徴です。
でもその「意味」と「無意味」の島々を行き交うことで、アリスという登場人物を印象深く描いているのです。
アリス自体は物語のはじめと終わりに比べて、さほど変化や成長しないのですが、不思議の国に足を
踏み入れたことで、アリスはフランスの哲学者デカルトが残した言葉 ‘I think, therefore, I am’「我考える由に
我あり」のように、アリスが点線のアリスではなく「実体のあるアリス」で存在できているのです。
もし、なんでも起こることを当然のように受け取り、論理的に考えることが出来なければ、きっとアリスは
不思議の国に滞在し続けることになっていたでしょう。子どもにとってみたら悪夢でしかありません。
つまり、アリスが真理/Veritasなのです。
(ルイス・キャロルによる挿絵)http://www.aozora.gr.jp/aozorablog/?p=761
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
そうそう、著名なジャズ作曲家兼演奏家たちが『不思議の国のアリス』をタイトルに曲を出しているのです。
ビル・エヴァンズのAlice in Wonderland
チックコリアのAlice in Wonderland
デイブ・ブルーベックのAlice in Wonderland
オスカー・ピーターソンのAlice in Wonderland
どれも素敵ですね!
私は特に、デイブ・ブルーベックとオスカー・ピーターソンが茶目っ気たっぷりでお気に入りです。
音楽とアリスというと、ビートルズのメンバーだったジョン・レノンは『不思議の国のアリス』が
大好きだったそうです。ポール・マッカートニーも確か、この作品に影響を受けて作曲したとか。
「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」の歌はジョン・レノンが『鏡の国のアリス』の
「ウールと水」の章から影響を受けたとか。
音楽ともアリスは繋がりが深いのですね♡♡♡
2016/02/28
文・Yuria Yoshida
【参考文献】
『不思議の国の”アリス”ルイス・キャロルとふたりのアリス』
文:舟崎克彦 写真:山口高志 監修:笠井勝子 求龍堂グラフィックス出版 1991年
『150年目の「不思議の国のアリス」』編集:高山宏 青土社出版 2015年
『アリスのことば学』稲木昭子・沖田知子 大阪大学出版会 2015年
Irwin.W., 2010. ‘Alice in WONDERLAND AND PHOLOSOPHY’. Canada: Wiley.
Nagel. J., 2014. ‘KNOWLEDGE A Very Short Introduction’. Oxford: Oxford.
Susina. J., 2013. ‘The Place of Lewis Carroll in Children’s Literature’. London: Routledge.
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これはラテン語に訳された『不思議の国のアリス』です。
私の友人はラテン語が読めますが、私にとって残念ながら、お飾りの本です。