写真家・映画作家にしてアーティストであるアニエス・ヴァルダの最高傑作!
自由で孤独な主人公・モナによる『冬の旅』を堪能
今、フランス映画『冬の旅』が東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほかにて公開されています。
写真家・映画作家にしてアーティストであるアニエス・ヴァルダ監督による『冬の旅』は、1985年にヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝き、フランスでは興行面においてもヒットした名作です。一方、当時の日本では、公開に6年もの歳月を費やし、興行的にも成功したとは言えませんでしたが、2022年の今まさにスポットが当たり、全国で公開される運びとなりました。
『冬の旅』(c) 1985 Cine-Tamaris / films A2
「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」であり、写真家、映画作家、アーティストでもあったアニエス・ヴァルダ
『冬の旅』の監督であるアニエス・ヴァルダ(1928年5月30日 – 2019年3月29日)は、ベルギーのブリュッセル出身です。ヴァルダは第二次世界大戦中に南フランスに渡り、戦後にパリのソルボンヌ大学で文学と心理学を専攻した後、ルーヴル学院で美術史を、写真映画学校の夜間クラスで写真を学びました。その後、国立民衆劇場(TNP)の公式写真家となったことで映画に興味を抱きます。
ヴァルダが26歳の時に手掛けた自主製作の長編劇映画『ラ・ポワント・クールト』は、ヌーヴェル・ヴァーグに先立つ先駆的な作品として評価され、彼女が「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」と呼ばれるきっかけとなりました。その後、ベルリン国際映画祭銀熊賞やヴェネチア国際映画祭金獅子賞、ヨーロッパ映画賞や米アカデミー賞など、数々の栄誉に輝きます。
またヴァルダは、写真家、映画作家の他に、「ビジュアル・アーティスト」としても制作を行うなど非常に幅広く活躍しており、ヴェネチア・ビエンナーレなどでも展示を行いました。
『冬の旅』の概要 放浪する主人公、モナを複数の視点で追う
多くの名作を撮ったヴァルダの作品の中でも、最高傑作との呼び声高いのが『冬の旅』です。本作の冒頭は、フランスの片田舎の畑の側溝で一人の若い女性、モナが凍死しているというショッキングなシーンで始まります。
物語はモナを主人公として展開します。彼女は荷物を背負ってヒッチハイクで流浪する日々を送りながら、様々な人と交流していきます。
この作品は、モナの旅を追うシーンと、カメラがモナを知っている人々を追い、彼らが語ることからモナについて辿るシーンを組み合わせた構造で、劇映画でありながら疑似ドキュメンタリーを内在しており、鑑賞者は情報を繋ぎ合わせてモナを理解することになります。
ヴァルダは『冬の旅』製作前にドキュメンタリー映画『ダゲール街の人々』を撮っており、ヌーヴェル・ヴァーグにドキュメンタリーのセンスをもたらした、とも評されるので、本作は多面的な才を持つヴァルダの特性が活かされた作品であると言えるでしょう。
主人公のモナは、ヒッチハイクで旅を続けます。
『冬の旅』(c) 1985 Cine-Tamaris / films A2
嫌われることを恐れないモナ 自由と孤独の中で
モナは臭くて不潔であり、楽をして生きたいと平気で口にし、薬物や酒類を好み、与えられた仕事を平気でサボり、お礼も言わず、態度や仕草も粗暴です。
それでも彼女の一見自由に見える生き方、奔放な振舞い、凛として人に媚びない態度などは、人慣れしない野生動物にも似て人を魅了します。またモナは大学で速記とタイプを習っており、選択して今の生活スタイルを採っていることも、悲惨さや悲壮な雰囲気を和らげています。
『冬の旅』(c) 1985 Cine-Tamaris / films A2
モナについて語る男性の多くは、まず彼女の(かわいいと評価される)見た目に言及し、それから彼女の汚い身なりや一般から外れた生き方に対して批判的な態度を取り、時に一方的な同情を寄せます。彼らはモナを表面的な要素で判断し、彼女を搾取しようとします。
その中で、モナと一定期間同居したアスーン(アッスナ)は印象的です。男性ではありますが、チュニジア出身のマイノリティであり、モナ同様に家族がいないアスーンの登場は、監督であるヴァルダ自身が異国からフランスに来ていることを想起させます。モナに恋愛感情を抱くアスーンは、インタビュー中に話しませんが、モナが彼に返したマフラーの匂いを嗅ぐことで彼女への思慕を示します。
モナの放埓な生活や人に頼らない態度に理解を示し、時に憧れるのは女性たちです。特に樹木を研究対象とするランディエ教授との感情のやりとりは複雑で、心を深く揺さぶられます。教授はモナの悪臭にたじろぎながらも次第に魅了され、研究対象のスズカケ同様にモナを放っておけないと感じるようになります。そしてモナを救おうとするのですが、結果として教授の弟子であるジャン=ピエールに阻まれます。
ランディエ教授は、モナの匂いにうんざりしつつ、彼女を気にかけるようになります。
『冬の旅』(c) 1985 Cine-Tamaris / films A2
家族とキャラバン暮らしをする男性は、モナに「自由を選べば孤独になる」と言い、放浪の暮らしをやめるように進言します。一方で裕福な老婦人に仕えるメイドのヨランダは、恋人の心が自分にないことを示しますし、老婦人は身内が自分の死を望んでいることを知っています。これらのエピソードは、人と関わっていても孤独から逃れられないことを暗示するようです。
キャラバン暮らしの男性は、モナに働くように勧めますが……。
『冬の旅』(c) 1985 Cine-Tamaris / films A2
南フランスとの情景の魅力と、絵画を思わせる映像
美的な要素もこの映画の大きな見どころです。土嚢の上に置かれたマフラーの赤い色や、砂や壁の幾何学模様のような細かい要素も目を惹きますし、無数のアートが置かれた豪奢な屋敷や、ランディエ教授の家の内装なども見ごたえがあります。歴史的建築物の残滓のような建物が片田舎の風景の中に溶け込んでいるさまや、荒れた廃墟すらも独特の美を有しています。
裕福な老婦人の家で、束の間の楽しい時間を過ごすモナ。家の内装が豪華。
『冬の旅』(c) 1985 Cine-Tamaris / films A2
この映画を撮った南フランスの情景の効果も見逃せません。冬の寒々とした農村やどんよりとした空は旅が厳しいものなることを予感させ、毅然として人を寄せ付けない雰囲気は、どこかモナの特徴と共通しています。
旅の道中で見うけられる、ツンと尖った木はイトスギです。ヨーロッパでは街路樹としてよく見受けられるイトスギは、イエス・キリストが磔にされた十字架の素材として使われたとされ、また生命のシンボルでもあります。
イトスギはまた、フィンセント・ファン・ゴッホが南仏のサン=レミの療養所で過ごした時に没頭した画題でした。本作でもモナがゴッホの絵画『糸杉と星の見える道』と思しきポストカードを並べるシーンがあります。
フィンセント・ファン・ゴッホ『糸杉のある麦畑』1889年メトロポリタン美術館蔵
※ゴッホの手による糸杉の絵の中の一つ。本作ではこうした糸杉が随所に登場します。
なお、『糸杉と星の見える道』はオランダのクレラー・ミュラー美術館にありますので、鑑賞する機会があるかもしれませんね。
『冬の旅』の美しく詩的で、一枚の絵画のような映像は、「放浪の女性の死」という端的に悲惨な事態において、モナの魅力を際立たせる効果をあげています。恐らくこうした作品を創作できるのは、監督であるヴァルダが、映画作家であると共に写真家でありアーティストであったためでしょう。
西洋近代の重厚な油絵を思わせるショットが、随所に見受けられます。
『冬の旅』(c) 1985 Cine-Tamaris / films A2
センセーショナルな冒頭で驚きをもたらす本作は、映画の構成やテーマに多くの見どころがあり、主人公であるモナや、彼女を取り巻くエピソードやシーンなども非常に魅力的です。アニエス・ヴァルダの最高傑作とも評される本作を、是非堪能いただければと思います。
文=中野昭子
【作品概要】
『冬の旅』
監督・脚本・共同編集:アニエス・ヴァルダ
撮影:パトリック・ブロシェ
音楽:ジョアンナ・ブルゾヴィッチ
出演:サンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリル、ステファン・フレイス、ヨランド・モロー
1985年/フランス/ヨーロッパ・ビスタ/カラー/105分
原題:SANS TOIT NI LOI (英題:Vagabond)
公式HP:www.zaziefilms.com/fuyunotabi
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
配給:ザジフィルムズ