アートをつくらずに、友達を作ろう。ドイツ国際美術展「ドクメンタ15」への挑戦 /「居場所のかたち」栗林隆インタビュー
現代美術家の栗林隆さんは、日本の美術大学を卒業後ドイツで12年間暮らし、2005年からは逗子、そして2013年からはインドネシアにも「居場所」をつくってきました。そして2022年6月から9月にかけて、ドイツのカッセルで開催される国際美術展「ドクメンタ15」への参加が決定しています。
ドクメンタは、1955年に始まって以来5年に1度開催されてきた、世界的にも名高い国際美術展のひとつです。今年の「ドクメンタ15」は、インドネシアのコレクティブ(※1)、ルアンルパが芸術監督を務め、世界中から54組のアーティストやコレクティブが名を連ねる中、栗林さんは、共に長年活動を続けてきた「逗子海岸映画祭」を手がけるシネマキャラバンと出展します。
栗林さんのこれまでの軌跡と重なる部分が多い「ドクメンタ15」への参加は、まさに必然。その経緯や展望についてお話を伺いました。
※1:アーティストによって形成された集団を指す言葉
もともと仲間だし「あいつらを応援しようぜ」って
―近年は逗子とインドネシア・ジョグジャカルタの2拠点で活動している栗林さん。今回どのようにして「ドクメンタ15」への参加が決まったのでしょう?
最初から話すとかなり長くなっちゃうんだけど、簡単に言えば、これまでの繋がりから声をかけてもらったという感じで。元々、本物のアーティストになりたいという思いでドイツに留学して、最初はカッセルの美術大学に通っていたこともあって、「いつかはドクメンタにも出たい」という憧れもありました。
その後、日本でも仲間をつくりたいと思って2005年に帰国して。知り合いを頼って住むことになった場所が、たまたま逗子だった。そこで写真家の志津野雷をはじめとするシネマキャラバン(Cinema Caravan)のメンバーと出会いました。アーティスト仲間というより、サーファー仲間という感じで、職業もミュージシャン、デザイナー、大工などバラバラでしたね。2007年には、彼らと核燃料の再処理工場がある青森県六ヶ所村を旅して、そこから原発問題をテーマにプロジェクトがスタート。活動は10年ほど続きました。
2013年からはインドネシアのジョグジャカルタに移住して、インドネシアでも仲間をつくっていくなかで、「ドクメンタ15」の芸術監督を務めるアート・コレクティブ「ルアンルパ」のメンバーとも知り合いました。社会運動への制圧ため、5人以上の集会に制限がかけられていたスハルト政権下でも、彼らは地元の人たちやコミュニティとつながりながら、長年活動を続けていて。その手法やマインドは、シネマキャラバンとの活動とリンクする部分が多くて、お互いに見守り合うような関係性でした。
そんな中、「ルアンルパがドクメンタ15の芸術監督に決まった」と聞いて。5年前のドクメンタ14はアテネとカッセルの2会場で開催され、壮大であるぶん資本主義を象徴するような芸術祭となってしまい、ドイツ中からも大きな批判を浴びました。ドクメンタは元々、アートの見本市のようなものではなく、毎回鋭いテーマ性を持って開催される芸術祭です。あらためてアートのあり方を見直すため、資本主義とは異なる姿勢で「小さなグループでみんなで話し合って決めていこう」と活動を続けるルアンルパに白羽の矢が立ったのも、不思議ではないと感じましたね。
この話を聞いて、僕らも「現地へ行って、あいつらを応援しようぜ」って計画していたんですよ。そしたら2年前ぐらいかな、ルアンルパのメンバー、イスワント・ハルトノから「隆とキャラバンをドクメンタに招待したい」って直接連絡がきて。「もちろん、僕らにできることがあったらやるよ」って答えて、ドクメンタへの参加が決まったんです。
「アートをつくらない」前代未聞のドクメンタ15で目指すこと
―いよいよドクメンタ15の開催が目前に迫っていますね。どのように進めているのでしょうか?
メンバーや運営サイドとずっと話し合いを続けてきて、この前ようやく何をやるかが決まったところです。
今回のコンセプトは「ルンブン(Lumbung)」。インドネシア語で、直訳すると「米倉」という意味です。この言葉には、コミュニティにある知識やアイディア、資源などを集約し、共有しようという、ルアンルパが元々持っている方針が集約されています。だから実際のミーティングもかなり多くて、しかもトータル300人くらいのメンバーがオンラインで話すものですから、毎回5時間くらいかかるんです。ほんと大変で(笑)。現地での視察を終えてからも、何回も場所やプランが変更になって。難しさも感じますが、そのプロセスこそが作品にとって重要でもあるので、面白いと感じています。
そのほかにルアンルパは、現代アートの根本的な概念を広げたいという考えから、「ノーアート・メイクフレンズ」というスローガンも掲げています。つまり、アートをつくらずに、友達を作ろうということ。
―芸術祭でそれを言うのはすごいですね。
一種の“とんち”ですよね。だけど、ドイツにいた頃にゲルハルト・リヒターやトニー・クラッグたちから言われた、「お前の作品や何をしてきたかはどうでもいい。お前は一体何者なのか?」という問いが、改めて投げかけられている感じがします。アーティストの僕にとっても、大きな課題ですね。
―現時点で、どのような展示を予定しているのでしょうか?
『TRIP MUSEUM/documenta fifteen“蚊帳の外”』の展示を予定しています。ある一定の段階で、僕らもようやく「場所をつくろう」という方針が固まったのですが、いざ交渉を初めてみるとなかなか決まらなくて。そんなピンチの中、「場所を一箇所に固定しない」というアイデアが閃いたんです。「僕らがこれまでやってきたように、移動式のキャラバンにしたらどうか?」って。しかもそこに、「蚊帳」を使うんです。シネマキャラバンの映画館やカフェ、DJブース、僕のインスタレーション作品『元気炉』をすべて、うっすらと中が見えて、軽量な蚊帳でつくっていく。
『蚊帳の外』イメージスケッチ(元気炉)。今もまだ試行錯誤を繰り返しているそう。
日本では、仲間はずれにすることを「蚊帳の外」って言うでしょう? ドイツに行けば、僕らはまさに蚊帳の外の人たちです。そんな僕らが、逆に蚊帳をつくって、蚊帳の外をつくり、蚊帳の中に外の人を入れていく。これまで「境界」というテーマで作品を発表してきた僕自身にとっても、腑に落ちる形になったと思います。
―チームで作品をつくっていくことに大変さは感じますか?
僕は基本的にひとりが好きだから、今回の「色々な人を巻き込んで、みんなで一緒に作品をつくろう」みたいな取り組み自体、結構なチャレンジです。開催まであと2ヶ月。何をやるかは決まったけれど、それ以外は全然固まっていません。だけど焦りや不安はあんまりなくて、結構普通なんですよね。振り返ればこれまでの人生も、人との出会いとタイミングが重なって、自然とものごとが決まっていったし。先をみたら不安になるものかもしれませんが、サーフィンと一緒で、波乗りのように波が来たら乗るだけ。ドクメンタにもそのようなマインドで取り組んでいます。
ドクメンタはプロジェクトの1部。終わった後もつづいていく
―今回クラウドファンディングにも挑戦するそうですね。
はい。実は今回のドクメンタは、予算面にも「ルンブン」がしっかり適用されていて、予算を共同資源庫に集約して共有するというシステムがとられています。1組あたりで使える金額にも上限があって、たとえ他から助成を受けたとしても、その分は共同資源庫に入れなければならない。僕らは大所帯だから、飛行機のチケット代や宿代だけでもかなりの金額になります。しかも、割り当てられている予算自体もかなり少なくて。さすがに何にもつくることが出来ないということで、ドクメンタを大きなプロジェクトの一部として扱うということで許可を得て、制作にかけるお金の一部をクラウドファンディングで集める予定です。
『蚊帳の外』は、ドクメンタが終わり、日本に帰ってからも巡回する予定だという。
―「境界」をテーマに作品をつくり続けてきた栗林さん。アートと人、そして居場所の関係性について、現在はどうお考えですか?
3.11の東日本大震災で津波や原発事故が起こり、僕自身もボランティアに行ったりしたなかで、生きるか死ぬかの状況になった時、そこに住む人たちにとって、アートは音楽よりもかなり優先順位が後ろにあると痛感したんです。それから、「こういう時、俺のアートはなにもできない。じゃあ何ができるんだろう?」ってずっと問い続けていました。並行して、福島に毎年通って、原発反対の運動も続けていましたが、ある時「ここにフォーカスを当て続けるのはなんか違うな」と思って。
全然違う次元に立っちゃおうという発想で、2020年から『元気炉』をつくり始めたんです。一番最初の『元気炉』は、一見すると原子炉のような、どこか恐ろしさも感じる見た目です。だけど、入るとスチームサウナで温められて、強制的に元気になっちゃう。アートなのか、サウナなのか、グレーではあるけれど、とにかく僕が引き出したいのは、作品という「居場所」の体験を通して、人びとが俄然元気になってくれたらいいなということなんです。この作品を通して、ようやくひとつの答えにたどり着けたなという感じです。
GENKI – RO / First machine No. Zero(2020)Photo ©Rai Shizuno
「サウナが好きな人はアートに開眼して帰っていくし、アートが好きな人はサウナに開眼して帰っていくんですよね」(栗林)photo ©Rai Shizuno
そこから形も変化させていって、美術館の地下に展示された2号機『GENKI-RO / OHYA No.2』は、木の根のかたち。4月と5月に展示する3号機はスリムなミノムシのかたち。そして4号機がドクメンタ15で展示される蚊帳の『元気炉』になります。
『蚊帳の外』イメージ図(元気炉)
―これから3号機、4号機を体験できるチャンスがあるということで、楽しみですね。最後に今後の展望を教えてください。
アーティストである僕らは、これからもおかしいことを「おかしい」って言える立場であるべきだと思うんです。人間としてどう生きるべきか、立ち戻って考える場所がアートであり、その先に暮らしがあればいい。そういった「普通」の状態に戻れるよう、僕自身も活動を続けていきたいですね。これから始まるドクメンタ15は、僕自身にとっても、アートシーン全体においても、大きな転機点になりそうだと予感しています。
文=宇治田エリ
写真=岡村大輔
編集=新井まる
【Profile】
栗林隆(Takashi Kuribayashi)
武蔵野美術大学を卒業後、ドイツに滞在。2002年デュッセルドルフ・クンストアカデミーをマイスターシューラーとして修了する。東西に分かれていた歴史をもつドイツ滞在の影響もあり、「境界」をテーマに様々なメディアを使いながら制作を続けている。シンガポール国立博物館(2007)、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(2013)での個展をはじめ、シンガポール・ビエンナーレ(2006)など国際展への参加も多い。国内でも十和田市現代美術館に《ザンプランド》(2006)が恒久設置されている他、「ネイチャー・センス展」(森美術館、2010)などのグループ展にも数多く参加している。
【クラウドファンディング】
CAMPFIREのAll-in方式にて6月以降を目処に募集開始予定
https://slthis.org/archives/219
【今後のイベント】
ドクメンタ15
2022年6月18日〜9月25日
連携メディア「ARToVILLA」
https://artovilla.jp/articles/takashi-kuribayashi-interview.html
取材協力:自家焙煎珈琲 隠房