予想がつかない展開に興奮 『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』で《サルバトール・ムンディ》の魅力を堪能
TOHOシネマズ シャンテほかにて、フランス発のドキュメンタリー映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』が公開中。こちらは長らく行方不明だったレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の絵画《サルバトール・ムンディ》を巡る作品です。
監督であるアントワーヌ・ヴィトキーヌはテレビ用のドキュメンタリー映画等を手掛けるジャーナリストで、フランスで2012年に最も海外に輸出されたドキュメンタリーとして受賞した『Qaddafi, Our Best Enemy(英題)』や、ヨーロッパにおける極右大衆迎合主義に関する『Populism, Europe in Danger(英題)』などを製作してきました。
その優れた手腕と洞察力は『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』にもいかんなく発揮されており、作中、ダ・ヴィンチの絵画を巡るやりとりから、アート界のからくりや闇の金銭取引に至るまで、複雑怪奇な人間模様が鋭くあぶり出されています。
行方不明だったダ・ヴィンチの名品
美術商の直感がドラマを生んだ
本作の主題になっているダ・ヴィンチの《サルバトール・ムンディ》は、もともとフランス王ルイ12世と王妃アンヌ・ド・ブルターニュの依頼で制作された可能性が高いとされる絵画作品です。ダ・ヴィンチの弟子や後世の画家は、この絵を基盤として多くの模倣やオマージュの絵をつくりました。一方でオリジナルの《サルバトール・ムンディ》は、さまざまな王侯貴族の手に渡った後、長らく行方不明になっていたのです。
美術歴史家のマシュー・ランドラスによる《サルバトール・ムンディ》の分析。ランドラスによれば「目で見える情報はアテにならない」とのこと。
映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』は、美術商が、名も無き競売会社のカタログに掲載されていた絵を13万円で購入し、それが行方不明になっていたダ・ヴィンチのオリジナルの絵だという可能性を信じるところから始まります。
美術商は美術修復家に絵の修復を依頼し、ロンドンのナショナル・ギャラリーのキュレーターや研究者らに接触、そして専門家の鑑定を得たナショナル・ギャラリーは、この絵をダ・ヴィンチの作品として展示します。
その後、絵は美術関係者だけではなく資産家や仲介人などを経て、2017年、オークション会社のクリスティーズの史上最高額となる510億円で落札され、世界中の大ニュースになります。当時は明かされませんでしたが、後に落札者はサウジアラビアの皇太子だったことが判明するのです。
美術商の友人にして美術修復家のダイアン・モデスティーニが初期の修復にあたった。
クリスティーズで競売にかけられている《サルバトール・ムンディ》。
ムハンマド皇太子は、《サルバトール・ムンディ》の競売半年前に皇太子になった。
《サルバトール・ムンディ》ってどんな絵?
モナリザ似のキリストがこちらを見つめる、謎めいて美しい作品
さて、世界中を驚かせた《サルバトール・ムンディ》とは、一体どんな絵なのでしょうか?
題名の「サルバトール・ムンディ」とはラテン語で「世界の救世主」の意味を持ち、この絵は「男性版モナリザ」の呼称のほか、ダ・ヴィンチの作品の中でも最後の絵画とされるため、《ラスト・ダ・ヴィンチ》とも呼ばれています。
絵の主題である男性はイエス・キリストとされ、青いローブを纏って右手の指を十字に切り、左手に水晶を持って正面を向いています。顔はダ・ヴィンチの絵画に特徴的なスフマート技法(物体の輪郭を線ではっきり描かず、周囲の空間との境界をぼかして描く絵画技法。色彩の透明な層を上塗りする。)が用いられ、朦朧として柔和な印象です。モナリザを思わせる口元はミステリアスで、こちらを見つめる眼差しは深く、見る者を強く引きつける力があります。
この絵は、複雑な経歴やダ・ヴィンチの真作か否か、また修復具合などをいったん保留して鑑賞しても、謎めいて美しい作品だと思います。
C)2021 Zadig Productions (C)Zadig Productions – FTV
最後まで先が読めないスリリングな人間模様
目が離せない驚きの展開
この映画では、《サルバトール・ムンディ》に関しては、絵を購入した美術商、美術評論家や研究者やジャーナリスト、美術館であるロンドンのナショナル・ギャラリーやルーブル美術館、競売会社であるサザビーズやクリスティーズでそれぞれ異なる見解を示しています。
《サルバトール・ムンディ》に見入る、美術歴史家のマーティン・ケンプ。ケンプは《サルバトール・ムンディ》とはじめて対峙した時を「驚くべき瞬間だった」と述べる。
さまざまな人の手に渡った跡、クリスティーズにて売りに出されようとしている《サルバトール・ムンディ》。(c)Christies
果たして《サルバトール・ムンディ》はダ・ヴィンチの真作なのか、ダ・ヴィンチ工房に属する別の人間が描いたのか、ダ・ヴィンチは絵に貢献しただけなのか。絵は何も語りませんので、事実は誰にもわかりません。また話の中では、仮に客観的な事実らしきものがあっても、別の力によって捻じ曲げられうることも示されており、最後まで目が離せません。
この映画は、冒頭で一見本筋とは関係ないようなニュースが複数流れるのですが、そこで語られている内容は、作中で芯となる要素と響き合っているように思います。
修復中の《サルバトール・ムンディ》。
本作には、目の離せないスピーディな展開や、美術業界の重鎮や専門家たちの言動、交渉人やオークション会社の商売っ気など、見どころがたくさんありますが、とりわけ題材になっている絵《サルバトール・ムンディ》が魅力的であると言えるでしょう。この絵がダ・ヴィンチの真作か否かを確実に知るすべはありませんが、名匠が描いたと思わせる力があることは事実なのだと思います。
美術業界でうごめく人間模様と、《サルバトール・ムンディ》の魅力をたっぷり映像で堪能できる『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』、ぜひ見逃さずにご覧いただければと思います。
文=中野昭子
【作品概要】
『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』
原題:The Savior For Sale/100分/フランス映画/カラー/ヴィスタ/5.1chデジタル
監督:アントワーヌ・ヴィトキーヌ
字幕翻訳:松岡葉子 (c)2021 Zadig Productions (c) Zadig Productions – FTV
配給:ギャガ
公式サイト:gaga.ne.jp/last-davinci/