西へ東へアート放浪記
「繊細と情熱の人、ミューシャ」
先日、チェコのプラハにいってきました。
プラハといえば、繊細な女性のポスターで知られる、アルフォンス・ミュシャですよね。
チェコ語発音では「ムハ」
そうそう、こういう絵の人です。
プラハには彼の美術館があります。
1860年に生まれたミュシャは19歳でウィーンで見習いとして働き、
それからフランスに渡りました。
パリで挿絵等をしながら過ごしていたのですが、
当時人気の サラベルナールのポスターを手がけたことで、一夜にして大人気作家になります。
この美術館の段階の途中にそのポスターがありますよ。
ミュシャの表現はとても細かいので絵だとばかり思っていましたが、
ポスターなので、実は版画なんですよね・・・すごい!
そんなミュシャの努力が垣間みれるのがこの美術館。
例えば、デッサンの数々。 それだけで作品として成り立つんじゃないかという完成度の高さです。
モデルも多数使い、表情まで指定させてポーズをとらせており、写真だけで十分面白い芸術作品となっていたりします。当時の時代の魔力も後押ししているかもしれませんね。
こうして数々の美しい絵やポスターが生み出されました。
私はミュシャの絵の、物語性があるところが大好きです。
絵の背後にあるストーリーはなんだろーと思いを巡らせるのが楽しい。
売れっ子になったミュシャはどんどん手を広げ、数々の物をデザインしました。
ため息が出るほど美しいアクセサリー。
家具もデザインしています。ミュシャエッセンスがぎゅっと詰まっています。
ここまではけっこう日本でもよく知られている繊細なミュシャの側面ですが、それで終わらないのが彼です。
彼には祖国、チェコに対する熱い思いがありました。
強い愛国心を持っていたミュシャは、彼の作品でも積極的にそれを表現していました。
当時、チェコはオーストリア=ハンガリー帝国の一部になっていました。
オーストリアはドイツ語を話すゲルマン民族、ハンガリーはハンガリー語を 話すフン族の子孫と呼ばれる人々。
それに対し、チェコはロシアとかウクライナとか(私とか)と同じスラブ民族。
自分たちと違う民族に占領されていることに疑問と怒りを感じていたわけです。
ミュシャはスラブ民族らしさを前面に出した絵を通じて 独立運動を展開していきました。
まさに絵筆を持って戦う!
チェコの美しさ、チェコ人の美しさ、文化的遺産を描いていたのです。
チェコの民族衣装を身につけた女性や、歴史のシーンなど。
国を擬人化してあらわすことが多く、例えばこちらのスポーツ祭典のポスターでは背後の女性はスロバキアをあらわしているそうです。
結局1918年にチェコは満を期して独立しました。
新しく生まれたのが チェコスロバキアという国です。
独立運動を支えたミュシャのもとに生まれたての国家のいろいろなものを
デザインしてほしいという依頼が殺到しました。
例えば、お金。なんとミュシャはお金をデザインしていたのでした!
こんなキレイなお金、コレクションしたくなってしまいますね。
プラハでミュシャの作品に出会えるもう一つの場所はここ。
なんとミュシャ作のステンドグラスがあります!
そして、やはりいました。中心に強いまなざしで こちらをみつめるスラブの民族衣装をまとった女性が。
中心の柔らかい暖色から周辺に向かう寒色と、その先の白い教会の壁。
同じ教会の中にあったミューシャ作ではないステンドグラスと比べてみると
ミューシャのステンドグラスの方がより調和しているのが分かります。
(こちらのステンドグラスも勿論美しいけれど・・・)
プラハは、ミューシャのバックグラウンドなんだと、改めて感じさせるモチーフがあちこちに散らばっている素敵な街です。
15世紀の時計。
上がプラネタリウムで星と月の動きを、下はカレンダリウムで農村の暦が記されている。
おとぎ話のモチーフが満載の雑貨
プラハ城のてっぺんには意外にもスタバがあって
オレンジ色の町並みを眺めながらお茶をするのもなかなか良い。
そして私は、美しいまちのシルエットを眺めつつ、ハンガリーに戻っていったのでした。
アルフォンス・ミュシャ美術館:
Muchovo muzeum Panska 7 , Praha 1
www.mucha.cz ←日本語でのページもあるよ
ミューシャ作成のステンドグラスがある教会:
katedrala sv. Vita ←プラハ城の中だよ