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グランマ・モーゼスの世界に、人生に触れる

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2022年2月4日

グランマ・モーゼスの世界に、人生に触れる


グランマ・モーゼスの世界に、人生に触れる

 

 

アメリカでは知らない人がいない国民的画家、それがアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスことグランマ・モーゼスです。

人生の大半をニューイングランドの地で、農民として生きた彼女が、絵を描き始めたのは、なんと70代半ばになってからのこと。

80歳で初の個展を開き、101歳(!)で亡くなるまでに、1600点以上もの作品を描きました。

飾らない、簡潔な表現で描き出された緑豊かな農村や、そこで暮らす人々の生活のワンシーンは、見る人の心に優しく寄り添い、温もりと安らぎをもたらしてくれます。

このような絵の前でしばし過ごすことは、まさに癒しの時間、と言って良いのではないでしょうか?

 

現在、世田谷美術館では、そんなグランマ・モーゼスの誕生160周年を記念した「グランマ・モーゼス展素敵な100年人生」が開催中です。

今回は、展覧会の出品作から、数点をピックアップし、グランマ・モーゼスの暖かな絵画世界をご案内しましょう。

 

 

1、70代半ばからのスタート

 

 

アンナ・メアリー・ロバートソン・“グランマ”・モーゼス 《窓ごしに見たフージック谷》

1946年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)© 20221, Grandma Moses Properties Co., NY

 

 

 

グランマ・モーゼスは、1860年、ニューヨーク州北部、 グリニッチの農家で生まれました。

「緑豊かな草地と手つかずの森のある土地」で幸福な子供時代を過ごしたモーゼスは12歳で奉公に出て、27歳で結婚。農場経営のかたわら、5人の子供を育てます。

農婦として、そして母として、堅実に生きてきた彼女の人生が大きく転換するのは、1930年代、70代半ばになってからでした。

最初のきっかけは、娘からの依頼です。

「孫のために刺繍絵を作って欲しい」

もともと刺繍や裁縫が得意だったモーゼスは快く引き受けます。

夫は既に亡くなっており、子供たちも手を離れ、ちょうど何かやりたいと思っていた時期でもありました。

贈り物は好評で、その後も、彼女は家族や親しい人への贈り物として、同じような作品を数多く作っていきます。

 

アンナ・メアリー・ロバートソン・“グランマ”・モーゼス 《海辺のコテージ》

1941年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)© 20221, Grandma Moses Properties Co., NY

 

 

この時の彼女は、使い慣れた針と糸でもって、絵を描いていた、と言えるでしょう。

やがて、リウマチで細かい作業ができなくなると、リハビリも兼ねて、絵画に転向します。

 

それまでの人生において、彼女は美術学校に通ったり、誰か特定の先生について絵を学んだ経験は全くありませんでした。

刺繍にせよ、絵画にせよ、作品制作は、あくまで彼女自身の「気晴らし」であり、底にあったのも、家族や親しい人たちを喜ばせたいという思いでした。

しかし、1938年、ドラッグストアに置いていた作品の一つが、コレクター、ルイス・カルドアの目にまったことで、彼女の人生は思わぬ方向に向かって動き始めます。

一目でモーゼスの作品を気に入った彼の尽力で、1940年、ニューヨークで個展「一農婦の描いたもの」が開かれることとなったのです。

絵は好評を博し、モーゼスは一躍人気画家になります。

時に、彼女は80歳になっていました。

 

が、有名になった後も、彼女はこれまで通り、農婦としての堅実な生活スタイルを守り続けました。

仕事のかたわら、暇を見つけては、心の赴くままに筆を動かし、自身の愛着のあるモチーフーーー慣れ親しんだ風景や身近な生活のワンシーンを描いていったのです。

 

 

 

2、モーゼスが見つめたもの~仕事の中の喜び

アンナ・メアリー・ロバートソン・“グランマ”・モーゼス 《アップル・バター作り》

1947年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)© 202, Grandma Moses Properties Co., NY

 

 

「昔はこんなにせかせかしていなかった。今よりみんなもっと人生に満足していました」(展覧会カタログp. 60)

 

 

モーゼスが生きていた頃は、蝋燭や石鹸など、ほとんどの生活用品を自分で作らなければなりませんでした。

現代なら、それらはコンビニやスーパーに行けば簡単に揃えられますし、わざわざ外に出掛けなくても、オンラインで買って済ませることも可能です。

便利といえば便利です。が、簡単に済ませられる代わりに、失われたものがあったのも確かです。

 

モーゼスの作品では、しばしば農民たちの生活場面の一つとして、様々な仕事やイベントが描かれます。

クリスマスやハロウィン、結婚式などのお祝い事。

引っ越し。

そして、シュガリング・オフや、アップルバター作り、といった農村ならではのイベント。

 

アンナ・メアリー・ロバートソン・“グランマ”・モーゼス 《シュガリング・オフ》

1955年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)© 2022, Grandma Moses Properties Co., NY

 

 

シュガリング・オフとは、2月、メープルシロップと砂糖を作るため、樹液を取る行事です。

絵を見ると、樹を切りつけて樹液を採取したり、大人たちを手伝って、樹液を移しかえたり、鍋の番をする子供たちの姿も見られます。

厳しい寒さの中でも、家族総出、近所の人々も集まり、協力しあっての作業は、特に子供たちにとっては楽しいお祭りだったでしょう。

シュガリング・オフは、モーゼス自身にとっても楽しい思い出の一つであり、お気に入りのモチーフでした。

 

 

「どんな仕事でも、幸せを増やしてくれるものです」(同上)

 

 

大変な仕事(作業)の中にも、楽しみや喜びを見いだすこと。

そのような心の「ゆとり」や、人と人とのつながり。

時間や手間がかかっても、努力して、一つの目標を達成する喜び。

それらは、利便性を追求する中で、徐々に私たちが見失ってしまったものと言えるでしょう。

 

あれもこれもと、スケジュールを詰め込み、慌ただしくこなしていくのではなく、一つ一つの「仕事」に時間をかけ、向き合うことができたなら。

その中で楽しみや喜びを見出し、一つずつでも積み重ねていくことができるなら。

モーゼスの絵を見ていると、そんなことを考えさせられます。

 

 

 

3、言葉、手仕事に触れる

 

グランマ・モーゼス展の会場で見ることができるのは、彼女の絵だけではありません。

愛用の品々、そして絵画以外の「作品」の数々。

それらは、グランマ・モーゼスの人柄や生き方を思い起こす手掛かりとなっています。

 

《絵を描くための作業テーブル》ベニントン美術館蔵

 

 

たとえば、このテーブルは、もともとは叔母から花台にと贈られたものですが、後に絵画制作の際の作業台として使われるようになりました。

机の周りには、彼女の手で風景が描き込まれ、大切に使われていたことがわかります。

他にも、孫娘のために作った手作りの人形やワンピースなどからは、家族を大切にする彼女の温かな思い、優しさが伝わってきます。

 

 

何よりも注目したいのは、会場のあちこちに散りばめられた、モーゼス自身の言葉です。

 

 

 

絵画を見ることは確かに楽しいことです。が、作者の人柄や、生き方、モットーについて知ることで、作品に描かれた世界は、より大きな広がりを見せてくれるでしょう。

グランマ・モーゼスの場合も例外ではありません。

 

 会場の壁に書かれた、モーゼスの言葉の一つにこのようなものがあります。

 

「絵がこんなにも多くのものをもたらすとは夢にも思いませんでした」

 

 

確かに、80歳で「画家」として本格的にデビューし、アメリカ中の人々から慕われるようになるとは、思ってもみなかったでしょう。

しかし、それは彼女の描く絵画が、どんな仕事の中にも喜びを見出し、それを丁寧に積み重ねてきた、彼女の生き方、そして親しい人たちへの温かな思いとを種として、生み出されたから、ではないでしょうか。

 

 

展覧会会場の最後の部屋の壁には、モーゼスの次のような言葉が書かれています。

 

 

 

「人生とは、私たち自身が作り出すもの」

 それこそが、現代にも共通する「幸せ」になるためのコツ、心構えと言えるのではないでしょうか。

 

 

文=verde

 

 

 

【展覧会情報】 

グランマ・モーゼス展

素敵な100年人生

 

会期:

2021年11月20日(土)~2022年2月27日(日)

※日時指定制  《日時指定券のご予約・ご購入はこちら》

招待券・招待状はがきをお持ちの方も日時指定が必要です。

2月1日(火)~2月27日(日)ご入場分:12月25日(土)12:00より受付

 

開館時間:

10:00~18:00(入場は17:30まで)

 

休館日:

毎週月曜日(祝・休日の場合は開館、翌平日休館)

 

会場:

世田谷美術館 1階展示室

https://www.grandma-moses.jp/tokyo/

 



Writer

verde

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美術ライター。
東京都出身。
慶応義塾大学大学院文学研究科美学美術史学専攻修了。専攻は16~17世紀のイタリア美術。
大学在学中にヴェネツィア大学に一年間留学していた経験あり。

小学生時代に家族旅行で行ったイタリアで、ティツィアーノの<聖母被昇天>、ボッティチェリの<ヴィーナスの誕生>に出会い、感銘を受けたのが、美術との関わりの原点。
2015年から自分のブログや、ニュースサイト『ウェブ版美術手帖』で、美術についてのコラム記事を書いている。
イタリア美術を中心に、西洋のオールドマスター系が得意だが、最近は日本美術についても関心を持ち、フィールドを広げられるよう常に努めている。
好きな画家はフィリッポ・リッピ、ボッティチェリ、カラヴァッジョ、エル・グレコなど。日本人では長谷川等伯が好き。

「『巨匠』と呼ばれる人たちも、私たちと同じように、笑ったり悩んだり、恋もすれば喧嘩もする。そんな一人の人間としての彼らの姿、内面に触れられる」記事、ゆくゆくは小説を書くことが目標。

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