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<世界を広げたジョン・ケージ> ~後編~

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2014年1月29日


<世界を広げたジョン・ケージ> ~後編~


<世界を広げたジョン・ケージ> ~後編~

 

 

 

 

 ケージが日本に初来日したきっかけは、1962年に草月アートセンターで作曲家の一柳慧氏によって日本に紹介されたことでした。草月アートセンターとは1958年に華道家の故 勅使河原宏氏をディレクターとして発足した所で、さまざまなジャンルの表現がその枠にとらわれずに自由に集まり、創造し、発表し、批評し合える場、アーティスト同士が交流できる場を目指して活動を開始しました。この活動が最も画期的とされたのは、アーティストが自分自身で自作をプロデュースするというシステムで、これが商業主義の嵐から創造活動を守る上で非常に大きな役割を果たしたのです。

 

 明治時代以降の日本はクラシック音楽の伝統に追いつくことを目標にしてきましたが、ケージは東洋を、なかでも日本を愛し、1949年からニューヨークのコロンビア大学で学んだ鈴木大拙の禅の講義の影響がケージの作品を大きく変えます。当時ケージは40歳前後。それからのケージの活動がクラシック音楽の歴史の概念をも大きく揺るがしてしまうことになりました。

 

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  「ジョン・ケージとデヴィッド・テュードアのイベント」左よりジョン・ケージ、デヴィッド・テュードア、小野洋子、黛敏郎 1962年(草月アートセンターにて)

 

 

 

 

 また、ケージは世界で5の指に入る菌類学者で、時間があればキノコを採集。ケージは、ニューヨークの郊外にパトロンたちが用意した小高い丘に芸術村をつくって、川が流れている広大な自然に住んでいました。そこには野生の果物や、お茶にする木の葉なども採取でき、都会的なニューヨークの町とは正反対の生活がありました。

 

近代のヨーロッパという一地域の一時期を除くと、音楽は昔から祭りや、宗教や、コミュニケーションの手段や、呪術や魔術など、日常生活の全てに関わっていて、そこでは芸術と日常生活の区分けがなく、音楽は生きること、生活することと直接つながった活力に満ちたものであったのです。まるで自然界の音の営みが聞こえてくるかのように演奏できると、ケージの作品はもっとも活きることになるでしょう。

 

 

 

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無創造性に徹しよう

今行っていることをすべて正確に行う

音を音自身に還そう、彼らは人間ではない、音だ。

 

 

ケージ作曲「ある風景の中で」  演奏:スティーブ・ドゥルーリー

http://www.youtube.com/watch?v=XF1DoVdHM9M

 

 

 

 

 

 

 

 

 



Writer

寒川 晶子

寒川 晶子 - Akiko Samukawa -

ピアニスト

フェリス女学院大学音楽学部器楽学科を卒業。
神奈川県民ホール主催「アート・コンプレックス (塩田千春〜沈黙から〜展) 」でデビュー。
エルメス特別エキシビジョン「レザー・フォーエバー」(東京国立博物館表慶館) レセプションやファッションショー、美術館、プラネタリウム、寺院、イルフ童画館などでコラボレーションや記念演奏会に多数出演。
ピアノを中心とした作曲や即興演奏も行う。

オフィシャルホームページ http://akiko-samukawa.com






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