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岡本太郎が丸わかり!ようこそ岡本太郎記念館へ!

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2014年12月18日

岡本太郎が丸わかり!ようこそ岡本太郎記念館へ!


When East Meets West

岡本太郎が丸わかり!

ようこそ岡本太郎記念館へ!

 

 

 

今回、コラムでご紹介するアートは青山にある岡本太郎記念館です。
こぢんまりとした記念館で岡本太郎が生前、自宅兼アトリエとして芸術活動を行っていた場所で、岡本太郎のアトリエやお庭など、当時のまま残されています。

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記念館のカフェ ア・ピースオブケーキ

 

川崎市岡本太郎美術館に比べ規模はこぢんまりとしていますが、岡本太郎と彼のパートナー敏子の魂が今なお残るこの記念館は、岡本太郎ファンにとっては必見な場所です。
大量の筆やピアノやゴルフクラブや本棚がそのままにされている太郎のアトリエは、まるで岡本太郎がこれから絵を描き始めるかのように「時」が止まっている空間。
一方、太郎が制作した作品が飾られている庭を前にcaféの席にゆったりと座っていると、静かな空間に柔らかな風が流れ込み、ふと「時」がゆっくりと進んでいることに気が付きます。岡本太郎記念館は過去と現在と未来を行き交う、そんな空間なのです。

 

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20世紀に活躍した岡本太郎—彼の作品や言葉を通して、21世紀に生きる人びとが良いインスピレーションを受けることが出来るはずです。
岡本太郎記念館にて行われていた『岡本太郎の目玉』の展覧会に去年行きました。
太郎の作品を見てみるとギョロッとした眼、ジロっとした眼、ズンとした眼、一枚一枚見てみると異なる顔と目があります。岡本太郎は晩年、眼しか描かなかったそうです。でもどうして岡本太郎は晩年に眼ばかり描いたのでしょうか!? 

 

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『岡本太郎の目玉』岡本太郎記念館にて

 

日本語では、動詞で「見る」という動詞は基本的に一つしかありません。しかし、英語では「見る」は色々有ります。see, watch, view, sightそしてinsight。見る対象のものの時空間によって動詞が変わります。

岡本太郎が晩年、顔や眼だけを描いた理由はinsightという言葉にあるのではないのでしょうか。周りの風景や人びとなど、見たものをそのまま写実的に見る(see)ためだけの目ではなく、時代を読む力・過去を見て未来を見る力—本質や真実を見抜く(insight)力の大切さ、それが21世紀・22世紀に生きていく人びとに伝えたかった太郎のメッセージであり、晩年に眼ばかり描いた理由なのではないのでしょうか?

 

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私の一番のお気に入りの作品『眼の宇宙』眼の宇宙に吸い込まれそうな、そんな優美さがあります

 

この記念館にはとっても美味しい特製ホットケーキやケーキが食べられるア・ピースオブケーキという素敵なカフェもあります。岡本太郎記念館のお庭を眺めながら、良い時間が過ごせるはずです☆

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岡本太郎の人生を音楽に例えるならば、芥川也寸志作曲の「弦楽のための三楽章」です。荒波のようなリズミカルな1楽章と3楽章は岡本太郎の魂の爆発を表現したよう、哀愁を帯びた美しいメロディーな第2楽章は繊細な岡本太郎の魂を表現したような音楽です。
「芸術は爆発だ」という爆発—ただ意味をなさない無機質な爆発ではなく、一瞬一瞬を大切に生き、魂の炎を燃やし続けた太郎の人生。
20世紀の日本に隕石のごとく強烈なインパクトを残した岡本太郎はいかに育ったのか!? 岡本太郎という一人のアーティストの生涯を少し紹介したいと思います。

 

岡本太郎は1911年2月26日に漫画家・岡本一平と小説家・岡本かの子の長男として東京に生まれました。
母・かの子は太郎を産んでからも、彼女の情熱は子育てよりただ一筋に文学・芸術のみに注ぎ込まれていました。人生に起るどんな災難や困難が起きようとも、何より己の文学への情熱を貫いて生きようとする母。本当に母親の風上にも置けない人であったと言い、そんな母の姿を太郎は見て育ちました。修羅と情熱に溢れ、自分を貫いて生きた岡本太郎の原点は母親の存在にあるのかもしれません。

 ~幼少期~

太郎の小学校一年生の時、自宅は青山にあるのにもかかわらず、小学校を四つも転校しました。戦後の小学校での幼少時代の経験から、彼は後に自身の教育論を確立することになります。

 

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こどもの樹

 

青山通りの「こどもの城」の前に、「こどもの樹」というモニュメントがあります。よく見てみると、一人一人顔が異なります。笑った顔・泣いた顔・怒った顔・ベロを出している顔ー「子どもというのは一人一人、みんなその子独自の、ユニークな自分の顔を持っていなければならない。それぞれ、その姿のまま、誇らしくなければならない」という太郎のメッセージの通り、この「こどもの樹」は子どもたちの個性と力を大切にするために作られたモニュメントなのです。

~自由な街パリにて~

18歳になった岡本太郎は一人、花の都パリで芸術を学ぶため留学を決意しました。太郎はソルボンヌ大学哲学科にて学び、知的好奇心を高めていきました。そして、20世紀の歴史に名を残すような学者・芸術家・思想家(マルセル・モース、ピカソ等)たちとの交流を深めていきました。また、アプストラクシオン・クレアシオン・協会抽象芸術運動(メンバーはモンドリアン、カンジンスキー、アルプ等々)やジョウジュ・バライユらの神聖社会学研究会などにも参加していたそうです。

一人のアーティスト・ユニバーサルな人間として、真なる自由を心に噛み締めながら過ごしていたパリでの生活も、1940年ドイツ軍のパリ侵略をきっかけに、30歳になった太郎は日本帰国を決意しました。
ユニークで生きることに真っすぐだった岡本太郎ーパリではモテモテだったそうで、何人ものパリジェンヌと恋に落ちたそうです!つき合っていた女性たちの名前も覚えていないほどに。

~絵画の石器時代は終わった~

岡本太郎は帰国すると同時に、日本軍の軍隊生として4年間捕虜収容所にて、1年間中国で過ごしました。その計5年間を太郎は後に、「冷凍されていたような気がする。我が人生で、あれほど空しかったことはない」と語っています。
1946年35歳の時に帰国し、世田谷区にアトリエをかまえて、本格的に日本の地にて芸術家として活動を始めます。戦後、ヤニ一色で絵を描いていた日本の美術界のアーチストの中では珍しく原色の目立つ色で作品を制作していた太郎ー 非リベラルな戦後の美術界の体制に同化せずに身を任せることに、芸術家として生きた太郎。うむ、根っからの芸術家だったんですね!

その後、生涯のパートナーとなる敏子と出会います。「惚れていましたよ。本当に。好きだったし、心底、尊敬していた。あんなに素晴らしい人間は、世界中探してもいない。ああいう人をこの眼で見られて、しかも身近に暮し、一緒に動いた、ふれあった。信じられないくらい、凄いこと。」(岡本敏子著『自分を賭けなきゃ』より引用)

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1967年の夏に行われた大坂万博博覧会テーマ館のプロデューサーも務め、「太陽の塔」は多くの人びとに驚きを与えました。1996年1月7日、太郎はこの世を去りました。お葬式の代わりに草月会館のイサムノグチが手がけた一階のプラザ「天国」の空間に「岡本太郎と語る広場」を設け、誰でも自由に参加出来るようにし、多くの人びとに送られながら太郎の肉体は天国へと旅立っていきました。

ずっと太郎を支え続けていたパートナー敏子は、太郎が天国に旅立ってから悲しみに浸ることなく、すぐに執筆活動を始め、偉大な芸術家・岡本太郎がこの世界に生きていたことを次世代に伝えるため、太郎が残した言葉を本に必死に書き留めました。その後、行方不明であった『明日への神話』がメキシコシティーで見つかり、敏子が絵を日本に送り返すための準備を行い、偶然にも次の日に船で日本に送りかえされるという日に、それまで元気にしていた敏子は太郎を追うようにして天国へと旅立って行ったそうです。太郎を支え続けた日の良き終止符として、岡本敏子はその日を選んだのでしょうか。

 渋谷駅の『明日への神話』や子どもの城や青山の岡本太郎記念館に足を運び、岡本太郎が21世紀に生きる人びとに伝えたかったメッセージを心で感じてみては如何でしょうか!?

 

 

岡本太郎記念館公式Webサイト http://www.taro-okamoto.or.jp/
現在開催中岡本太郎記念館『岡本太郎の言葉』展覧会公式Webサイト http://www.taro-okamoto.or.jp/exhibition.html
川崎市岡本太郎美術館公式Webサイト http://www.taromuseum.jp/

 

参考資料

岡本敏子著『自分を賭けなきゃ』
岡本敏子著『芸術は爆発だ』
岡本太郎・敏子著『愛する言葉』



Writer

Yuria Yoshida

Yuria Yoshida - よしだ ゆりあ -

青山学院大学文学部卒。
ロンドン大学院ゴールドスミスカレッジ​教育学部修了。
大学在学中より​世界中​の美術館巡りなどを通して、日本と西洋の​文化的な​つながりを模索する。
在学中、ニューヨークにある​The Art Students League of New York​にアート短期留学​。卒業後、オハイオ州​にあるDenison​大学​で日本語・日本文化教師​として勤務。

 

パリにある国連ユネスコ本部のお庭でコンテンポラリーなお茶会を開くこと​と​絵本を出版すること​​が夢。​
ルイス​・​キャロル​など、​​イギリス児童文学​に興味があり​。
好きな作家はヴィクトル=マリー・ユーゴー​とキャサリン・マンスフィールド​​とジョンロック​​。
​好きな詩は、W.H.オーデン作 「1939年9月1日」。